偉人『ターシャ・テューダ』

今回取上げるのはアメリカの挿絵画家であり、絵本作家、ガーデナーとして世界から注目を集めたターシャ・テューダ。2008年に92歳で亡くなり自分らしく人生を全うする信念の強さや母親という役目を多いに楽しんだという点では是非取上げておくべき魅力ある人物だ。

書店に行くと彼女の素敵なタッチの絵本が並び、ガーデニングや写真集コーナーでは彼女の創り出した美しい庭や丁寧な暮らしぶりを画像から垣間見ることができる。単調な毎日に喜びを見出す可愛いおばぁちゃまの丁寧な暮らしは、肩の力を抜いてありのままに生きることの喜びを目覚めさせてくれる。センサーで、指先1つのアクションで、声掛けだけで事が動く便利な世の中では得られない労力を必要とするがささやかな喜びが何十倍もの幸福感として返ってくる充足感が彼女の世界には存在していた。

今回は彼女が子供のためにと行った手仕事全てを真似ることは容易ではないが、ほんの少しでもヒントを得て行動できれば、現代の忙しない生活と子育てに温かな幸せをもたらしてくれるのではなかろうか。先ずは彼女の生い立ちからざっと見ることにする。

東京ドーム20個分の広大な庭で1850年代の晴耕雨読的なスローライフを好み、朝起きて水汲みをし鶏や牛の世話や農業をする日常と雪の降り積もる時期に挿絵画家や絵本作家として生計を立て、晩年は何十年もかけてコツコツと庭仕事に励み自然をこよなく愛し自給自足の生活を送った。とても茶目っ気のある人でこんなエピソードが残っている。庭にチューリップの球根を植えることにし球根を手に放り投げた。そして球根が転がり止った場所が球根が落ち着きたいと思っている場所、すなわち植える場所として球根の意思を尊重する方法をとった。彼女は生き物だけに命が宿るのではなく、もの全てに命が宿るものとしてユーモアたっぷりにすべてのものに話しかけるのだ。

そういえばわが祖母も探し物をしていると「ものを大切にしないから足が生えて逃げていったんだよ」と擬人化した表現をしていた。歳を取ると物事をそんな風に捉えたくなるのであろうか??

ターシャは田舎の農家のおばあちゃんのようであるが実はアメリカ建国に携わった名家の出である。曽祖父はアイスキングと呼ばれ氷を世界輸出し財産を築き、父はライト兄弟と方を並べるほどの技師で飛行船やヨットの設計家、母方はボストンの政財界を治める名家の出の肖像画家であった。父は読書家で話好きであった影響を受け彼女は父から想像力の源泉を得、母からは絵の手ほどきを受け幼い頃から自作の絵本を作っていた。

しかし9歳両親の離婚により大都会のボストンからニューヨークに移り住むが、母の仕事の都合でコネチカット州の田舎の脚本家の家に預けられる。週末だけ母とニューヨークで過ごす生活をしたが、何不自由なく暮らしていても都会で満たされない思いを抱えていた。預けられた先の娘と共に野原や森を駈け巡り、農場には牛や鶏に山羊そして犬という生活に多いに喜びを見出し、将来のライフスタイルを決定付けた。13歳のときには念願の牛を誕生日プレゼントしてもらい14歳までの預けられた時間は最高のものだったと後に語っている。

彼女は両親から受け継いだアメリカの社交界的な環境を好まず、社交界でビューを断り、パーティーを抜け出し15歳で学校を辞め農業と絵画の世界へ進んだ。自ら田舎での暮らしを選択し令嬢としての道を拒んだのである。

彼女は「自分はわがまま人間で便利なものにコントロールされたくない。」と発言し、自然に寄り添いそっと生きていくこと、人工的なものに頼らず全て自分の手で紡ぎ出すことに魅了され、自分の世界を自らコントロールする自由を見出した人生だ。

彼女の名言の中に『人生何があっても生きることを楽しむ』『やらなければならないことは、やりたいことにする』という信念がある。その言葉の通り彼女は日々の生活の小さなことをユーモアを持ち合わせ心から楽しんだ。

彼女の子供達は母の手にかかれば全てが魔法にかけられたような喜びがあったと語っている。例えば子供の洋服は彼女の手作りだったが、オーダーメイド形式のカタログを作成し子供が自ら選び、発注用の手紙を出すポストもターシャが作成し、出来上がった洋服はそのポスト経由で子供たちの手元に届くようにした。また子供達が遊ぶ人形やぬいぐるみも全てお手製。人形の洋服のカタログは見本帳のように生地まで貼り付けていたという。母の機転と子供の目線に下りた見立て遊びの最たるものだったにちがいない。

日々の季節を楽しむことも子供達と共に喜びを分かち合いながら行い、クリスマスや誕生日・ハロウィン・感謝祭・復活祭・独立記念日・バレンタインデーなどの行事は勿論、日頃のお茶の時間のケーキやクッキー、食事なども全てが彼女のお手製であり、晩年は仕事そっちのけで愛犬コーギーの誕生会を優先した。手間を惜しむことなくそのプロセスを喜びに変えていった。

またあのコネチカット州の預け先である家で脚本家の母の友人が台本を書き、お芝居をした楽しい思い出を子供達にも経験させようと小さな劇場を作り、操り人形や衣装や小道具も全て手作りしたのである。子供の頃に経験した喜びを母親になると子供に与えようとするが、ターシャはその喜びの体験が人より多かったのかもしれない。

自分自身の中で何を楽しむかと言うことを明確にし、華美なものではなく質素でありながら最も心満たされる方法で優雅に丁寧に日々を紡いだのであるから、同じ母親としては本当に素晴らしい時間を子供達に与えた考える。

また彼女は幸せになりたいと話す人々のことについてこう語っている。

「みんなが欲しいのはこころの充足、幸せになりたいというのは心が満たされていたいということでしょう。」と。人それぞれ心が満たされることは異なるが『自分自身でつかむもの』であるといわれているように感じる。幸せは誰かが運んでくれるのではなく、自分自身の中で育み生み出すものだとターシャが教えてくれた。

人それぞれ幸せのものさしは異なるのだが子供の頃に楽しかった思い出は人格形成に大きな影響を及ぼす。ターシャが子供時代のコネチカット生活が心を満たし、更に我が子にその想いを還元できるようにとゆったりとした時間や空間楽しい環境を与えようと全力で楽しむ姿勢はから学ぶことは多くあるのではないか。

「何でも上手に手作りしてしまう人は偉いなと思う。でも私は器用ではないのでできません。」と漏らした方がおられた。生きている場所も環境も器用さも全て違うのだからターシャのように行う必要はない。ただ頭からそう思って何の行動をお起さないことが残念に思う。

以前ケーキなどのお菓子作りが全くできないと話すお母様に、市販のロールケーキを買って生クリームを子供と泡立ててデコレートすることから始められたらどうかと提案し、今では家族の誕生日ケーキは一から手作りし、家族で食すパンを毎週焼くまでになっているのだから彼女もまた家族の喜ぶ姿を見て自分の中で喜びを掴む方法を見出したといえる。その親の姿勢が変われば子供も変わる。お手伝いをしたがらない子が率先してキッチンに立つようになり、野菜の名前を覚えようとしない下のお子さんも野菜の名前を覚えだし好き嫌いもいわなくなり、休日は寝に徹していた御主人が家族のために畑を借り夏野菜の成長をお子さんと毎週末お世話しに出掛けている。誕生日ケーキで誕生日を祝という『やらなければならないこと』が、『やりたいこと』になったということで、ターシャの言う所の『人生何があっても楽しむのだ』という想いに近付けたお幸せなご家族だ。

これまで何気ない日々の出来事を幸せの種として置き換えることができたら、幸せの歯車がゆっくりと動き出すのではないかと手応えを感じている。

幸せになりたいと思う前に幸せの種を自分自身の中に見つけることができれば、幸せになりたいなんて言わないのであろう。ターシャのカレンダーを見て憧れを抱くようでは私もまだまだ青二才なのだろう。オオゴマダラの幼虫の世話をして1つ幸せの種を植えるとするか。

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