偉人『フィンセント・ヴァン・ゴッホ』

激しく情熱的に生きた炎の色彩画家ゴッホ。色彩の魔術師として光り輝く黄色が印象的な『ひまわり』は彼の代表的作品として日本人に好まれる。その明るく逞しいひまわりを目にしていると彼の激しい人生は想像だにできない。またわずか10年という画家人生で画風が次々に変貌を遂げたのも彼の心の大きなうねりが影響したのである。

今でこそ彼の絵画は至るところで見ることができるが生前売れたのはたった1枚のみ。彼の壮絶な生き方がそうさせたのかもしれない。生前は弟テオの経済的援助と精神的サポートで画家人生を送り、没後はテオの妻の尽力で歴史に埋もれずにすんだのだ。

生前彼は物事を柔軟に受け止めることができず、常に自分自身の理想を追い求め、常に完璧を求め、常に他者と自分との立場やその距離も掴めずもがき苦しんだ。

言い換えれば自らの悶々とした苦しみ、そしてどうしても理解できない環境や人生とを引き換えに画家としての大成を手にしたともいえる。才能溢れる画家としてはドラマティックであるが、一人の人間の人生として考えるならば幸せといえたであろうか。死してどんな名誉ある称号や評価、賞賛を得ようともこの世で生き辛さを抱えることほど苦しいことはない。

親として考えてみよう。

我が子にゴッホと似たような人生を歩いてまでも名声を勝ち得よというだろうか。

そうあって欲しくないと思う親が大半ではないだろうか。

ゴッホを語るとき境界性障害や双極性障害などの病名が取り沙汰されるがその点は除外視し、彼の生き辛さを育んだ一因を人格形成から考え現代の私達が子育てで学ぶべきことは何かを感じ取ってもらいたい。


1853年オランダ・プロテスタント牧師の息子として誕生。6人兄弟の次男だったが兄が早世したためゴッホは長男の名前をそのまま名づけられ、その死した兄の代わりのように育てられる。

想像してみてほしい。自分と同じ名前の兄がいてその名前を親がそのまま自分に名付けてしまったとしたら・・・親は自分自身を見ているのではなく、自分に兄を重ねて見ているのだろうかと猜疑心に駆られ、またそうであると悟ったときの子の衝撃はいかばかりであっただろう。教会敷地内にある兄の墓に刻まれている名前は自分と同じである。心穏やかに親の愛情を受け入れれることができるであろうか。


彼の幼少期を調べるとやはり激高しやすく学校を勝手に辞めてしまったり、常に何かに怒りを感じていた節が読み取れる。その一方とても優しい一面もあるのだ。相反する感情のうねりが既に幼少期から存在しており本当の自分の姿がゴッホ自身も分からなくなっているように思える。

その後成長し父との衝突も多く家を出ることになり、また職についても対人問題で長続きせず衝動的行動を起こし仕事を解雇されたり、貧しき人のために自分自身を活かそうと思っていた慈愛が裏目に出て教会から資格剥奪されてしまう。また純粋で思い込みが激しい一面もあり、その感情を女性に向け受入れてもらえないからとその家に押しかけて自傷行為にいたった。婚約者のいる女性なのだから諦めて他の女性に目を向けることさえ考えられないのである。融通が利かないといえばそれまでだがやはり心理的柔軟性に欠け尚且つ特異的こだわりが垣間見える。

また耳きり事件も真面目で共に芸術家の理想郷を築こうという純粋であるが故に完璧なものを思い描き、ゴーギャンの画風や芸術性を理解できず衝突を繰り返し、終いに自分自身を追い込んでしまい極端で奇行的行動をとった。周りの人間にしてみれば何をしでかすか分からない怖い人物であったに違いない。


ここまでで分かるようにゴッホは両極端な思考を持つ人物なのである。人を思いやり自分自身を人のために活かそうとする一面と自分自身がこうと思ったら相手のことなんか構うことなく行動してしまう激情的一面である。私が勝手に想像するにその原因は生まれにあると考える。

ゴッホは牧師の息子らしく常に『自らは何かに役立つ人間なのだ。必ず生を受けたのには目的があるはずだ。』と自問自答し続けた一面と私は私であって兄の生まれ変わりではない。私には必ず生まれてきた意味がある。その意味を分かってほしい、理解して欲しいと親や身近にいる人への愛を訴える生き方である。

『自分は自分であり兄ではない』という思いが度を越えて大きくなり過ぎ、良いか悪いか、白か黒か、プラスかマイナスか、成功か失敗かなどの極端すぎる思考に囚われたのであろう。彼の人生には中間でいい、ありのままでいい、曖昧でいい、休んでもいい、囚われなくていいという心のゆとりや休息に繋がる選択的思考が無かったのである。さぞ生き辛かったであろう。

勘のいい方ならお分かりであろう。ゴッホの純粋で真っ直ぐな一面は聖職者の家庭ならではの教えから発し、彼の苦しい心のうねりのような叫びは最初に親に向けられた愛情の裏返しで、その後身近な人へ自分を理解して欲しいと向けられたものであるある。たとえ親が兄の生まれ変わりではないと思っていても受取る側のゴッホはそう思えなかったのである。ヨーロッパでは時にこのような生まれ変わり説はよくある話で特段珍しくもないのだが、育つ環境はそれぞれであるから親が子に与える影響は多大である。


子供にはあなたがあなたらしく生きることこそが、子供自身のの幸せであり親の幸せであると真っ先に伝えるべきであろう。

また自分自身で選ぶ行動の責任は自分で取るのだと子供に教えるのも重要である。蒔いた種は自分で刈るということだ。ゴッホのように兄弟親類を頼り後始末はその人々任せというのでいいだろうか。私も子供が成人して実感したことであるが、親がどんなに心配しようとも応援しようとも子供自身が選択をし進む道が決まれば親は何もできないし、何もする必要がないのである。その子供の責任で人生を切り開いていく自立に達するのである。

親は子供が自立し自分の責任でもって人生を歩めるように育てるのが親のできることなのだ。『自分らしく生きる』を見つける選択肢を多く与えておくことしか親にはできないのである。

そしてもう一つ気を付けてほしいことがある。それは子供を育てるにあたり完璧を求めないことだ。子供の学びの中で正解か不正解か、できるかできないかに捕らわれ過ぎるのは望ましいことではない。子供の負担にならず学びを楽しく受け止めることができるようにするためには、どのように課題を克服し、改善できるのかを親子で考えることが重要である。結果よりもそのプロセスを如何に楽しいものにするのかを考える必要がある。

また几帳面な子供の場合にはできないことが辛くなるときがあるが、乳幼児の頃からそうなる可能性があることを親が認知していれば柔軟にものごとを受入れる促しができる。完璧性を求めたり、妥協できないことは4歳ぐらいまでに物事を受入れる練習をし身に付けておくことが望ましい。なぜなら5歳を過ぎると妥協することが難しく融通がきかなくなるからだ。

また自分自身の意見を他者に求めすぎたり、相手を動かそうと必死になる場合には相手の立場を考えたり気持ちに共感する促しも必要になる。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ彼は8歳のとき、『庭のりんごの木に上ろうとしている猫』を描き、母がその出来栄えに驚き誉めてもらった瞬間が忘れられず画家の道を歩んだのかもしれない。『あなたは唯一無二の存在である。』『自分らしく生きていくこと』を親として彼に伝えることができていれば、ゴッホはもっと才能を開花させることできたのではないかと残念に思う。

尾崎豊氏の『僕が僕であるために』を耳にするとゴッホの人生を歌っているように感じる。兄ではなく自分を認めて欲しいというある種の優位性を求め続け自分らしく生きることを模索し、オランダ人のゴッホが異国のフランスで自分を捜し求め彷徨い没頭できる絵の世界を見つけ、日いずる国ジャポンに理想郷を追い求め、人々の冷たい視線を受けてもなお描き続けることで心を満たそうとしていたのではないかと切なくなるのだ。

人間は『自分らしく生きるために、勝ち負けではなく自分自身を肯定して生きていくこと』が必要なんだと教えられるのは私達親なのだ。

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