偉人『芥川龍之介』

『蜘蛛の糸』や『羅生門』『杜子春』など彼の童話作品を一度は子供頃に読み聞かせたことがあるだろう。彼の短編小説は近代的な知識人の苦悩が描かれていることもあり読みやすく好きな人も多いのではないだろうか。

さて芥川龍之介の人となりを語るとき、とても繊細で自信がなく厭世的な一面のある人物として捉えられていることが多い。彼は35歳で『将来に対する唯ぼんやりとした不安』と言う理由で自ら命を絶った。彼がなぜその不安から逃れることができなかったのであろうか。

今回のテーマは困難に直面したときに『逃げるのか』または『小休止なのか』はたまた『卒業なのか』を判断する基準を芥川龍之介の人生から考えてみる。


彼は1892年東京都中央区の牛乳製造販売を営む新原家の長男として誕生。しかし6歳の長女を亡くし精神的に不安定になった母が龍之介を養育することができず、彼は母の実家で叔母に育てられる。しかし父の不貞行為により彼は生家に戻されることなく芥川家の養子になったのである。

芥川家の人々が文学に傾倒していたことや叔母に文学を読んでもらうことで彼の才能は開花したといわれ、彼自身が「叔母がいなければ今日のような私ができたかどうかわかりません」と語っている。

そして彼の心に影を落としたのは実父とその叔母の間に義弟が誕生したことだ。このことで新原家と芥川家が険悪になり、また叔母との大好きな本を読むことも間々ならず、彼は『いい子にしなければ捨てられる』という強い恐怖心を抱くようになった。ここから彼の優秀でなければならないという思いと人の視線を気にする不安性や臆病な性格が目立つようになっていく。

龍之介は優秀な成績を残し学業を修めていくも達成感を得られず、自己肯定感も育たぬ状況下で常に地に足がつかない生活を送るが、尊敬する夏目漱石の門下生になってからは文学仲間と心満たされる時間を過ごし気持ちも明るくなり、その上漱石に『鼻』を評価されてからは自信が付き勢い付いていった。


しかし家庭を持ってからも彼には次々と不安を増長させることが身に降りかかってくる。

姉の夫が保険詐欺の疑いをかけられ自殺を図ったため義兄の借金の肩代わりと姉一家への経済援助、そして姦通罪を問われかねない秀しげ子との不倫と彼女の執拗な言動に悩まされ、その上養父母の面倒をみること、自分自身の病気などで精神的に追い込まれていく。彼が将来に対する唯ぼんやりとした不安と残した言葉はそれらを指している。

また家庭を持っても彼の中には個人主義が強くあり、父としとの行動を問われる事件が起こった。関東大震災時家が大きく揺れた瞬間に妻に早く逃げるように言い、自分だけ家の外に逃げたのである。妻は2階で寝ている子供の元へ駆け上がり一人で子供を助けに向かったのである。烈火のごとく怒りを露にした妻に向かって「人間、最後になると自分のことしか考えないものだ。」と言い放ったという。全ての母を敵に回すような発言だが物心付く頃から一人である彼にとり家族ということや我が子に対する思いは希薄だったのであろうか。そうは思いたくないが、家族のことと自分が楽になりたいということを天秤に掛け、自死という道に逃げたのである。残された家族はたまったものじゃない。

もし彼が孤立を味わうことなく育てられていれば、自分だけのことだけを考えず困難に立ち向かうか、小休止をするかの道を選択できたのかもしれない。育ちを考えると同情もするが、親になれば子供のことを自分のことよりも優先するべきとは思う。しかし彼を責めるのも可哀相な気もする。親自身が自分の親からの愛情をどう受けたかによって我が子に向き合うことと関係しているからだ。龍之介には悲しみや苦しみのループを生むことのないように親としての自覚を持って逃げずに子供のために立ち向かって欲しかったものだ。

実は大人の逃げ癖は子供の頃にほぼ出現している。子供の頃に途中で投げ出す行為が繰り返されて、小学校低学年では『面倒くさい』と思いつつ大人の監視下で実行はするが、成長と共に『面倒だから辞めてしまおう』に変化してしまうのだ。忍耐と成功体験の両方が良いバランスで経験している子は比較的そのような傾向が見られないが、乳児の頃から親が加勢を繰り返すといとも簡単に投げ出すことを覚えてしまうので注意が必要だ。常に少し難しいと思われることを成し遂げる経験を繰り返し、その難しさのレベルを少しずつあげていくべきである。


では大人や思春期の子供が不安を抱いたときにどうするかということだが、基準をはっきりと設けることをしていた方がよい。

『面倒だな』と感じている場合は実は課題に取組む余地があり打つ手を考えるべきである。考えもせず行動も起こさない場合は『もういいや』と投げやりになる傾向があり、これが逃げ癖になる。もういいやと割り切ってしまう人に限って課題を解決できていないので、残念だが似たような問題が手を変え品を変え繰り返されていることが多い。

次に『手は尽くした。もう方法が思い浮かばない』となれば少し休む方がよい。すると案外方向が違っていることに気付いたり、そのタイミングでなかったりと道筋が見えてくる。それが見えてきたら再始動すればいいのである。

最後に『やるべきことはやった。これでよい』と判断すれば大凡結果やその先が見えている。この域に到達するとその物事自体の卒業を迎えることが多く、新たな目標が出てくる傾向にある。

いろいろ判断するときには知恵や知識が必要になるため課題や状況を精査するために頭の中にあることや感じることを書き上げるとよい。するとこれが案外功を奏すことが多い。困難や苦難に遭ったときにこそどうすべきか判断できるように努めてほしい。


文豪芥川龍之介は多くの選択肢を持っていたのかそうでないのかは知る由もないが、生きるか死ぬかの2択であったに違いない。もし彼が生きると言う選択視をしていたならば菊池寛らと共にさらに日本文学界を高みに押し上げることができたのではないか非常に残念である。彼には3人の息子がいた。長男は俳優の芥川比呂志氏、劇団四季の名付け親であり、孫は詩人の耿子氏である。次男が文才があったとされているが第二次世界大戦で戦死。三男は指揮者の也寸志氏で女優の草笛光子さんの元夫である。父は早く逝ってしまったが子供達が活躍されたことを考えると龍之介の妻文氏がしっかりと育てたことが救いである。


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