偉人『リヒャルト・ワーグナー』
楽劇王ワーグナーはどうしても人物としては良くないイメージが先行してしまう。略奪愛や借金踏み倒しの逃避行に指名手配、また死後はヒトラーにより彼の作品が事あるごとに使用された。そのようなイメージが先行する彼の音楽も映画『地獄の黙示録』の戦闘シーンや『白い巨塔』の主人公財前五郎の強い権力を象徴するなどリアリティを増徴させる最高の音楽なのである。
彼は楽劇王としてロマン派の音楽に終止符を打ち、常識を全て壊し画期的な方法で新たな音楽性を生み出したばかりかヨーロッパの政治や社会情勢、そして現代の芸術にも大きな影響を及ぼしたのである。
この眼光鋭き非常識極まりないこの楽劇王の作品は未だに色褪せず、彼が作り上げた芸術は今尚新鮮味を帯びている。どうしても彼の楽曲を楽しめないこともあったが、九州交響楽団の演奏を目の前で子供と拝聴する機会があり、そのときに初めてワーグナーの実力を知ったような気がする。人間性に問題はあっても作品は一流を実感した。
ワーグナーは野心に溢れた人物である。彼の野心はどのように形成されたのか、子育てに於いての野心とはどうのようなものであるべきかを考える。
では彼の生い立ちを語ろう。1813年5月22日ドイツが統一国家として成立せず、まだフランスの占領下のライプツィヒで生まれた。写真は生家である。父は警察署の書記官を勤めアマチュアの俳優で熱狂的な演劇愛好家であったが、ワーグナーが生後6ヶ月頃に病死している。直ぐに母は父の友人である俳優と再婚し、彼はその継父のもと育つが実は継父ではなく実父ではないかという説もある。またワーグナーの兄弟には長兄と3番目の姉はオペラ歌手、長姉と2番目の姉は舞台女優として活躍し彼も子役として舞台にも上がり、育った環境はその頃から音楽と演劇が結びついていた。彼が楽劇王になるのは必然だったのかもしれない。
しかし彼は音楽家の家に生まれたわけでもなければ早期の音楽教育を受けたわけでもない。その後何度か音楽教育のチャンスを得るが、ワーグナー自身が自我流を優先し専門的音楽教育を受けることは無かった。9歳でウェーバーの『魔弾の射手』に熱狂し、当時では珍しい作曲家がオーケストラを指揮者として指示しまとめ、ワーグナーにとってはそのウェーバーの姿が国王や皇帝よりも偉大な人物に見え、そして彼の知的で穏やかで紳士的な姿に憧れを抱いた。またウェーバーが当時主流のイタリアオペラよりもドイツオペラの普及に果敢に挑戦していた姿が神々しく見えたのである。既にワーグナーの野心の芽生えはこの少年期に出現したのである。彼のウェーバーに対する敬意は生涯は変わる事はなかった。
13歳でシェークスピアに没頭し、15歳でベートーベンに傾倒し17歳で彼のスコアを研究した。そこから作曲になることへの熱い思いと作曲家として華々しい生活を送る夢が急激に大きくなる。そして18歳でライプツィヒ音楽学校に入学するも中退し自由に作曲をして生きていくことを決意した。物後心付いた頃から型にはまることを好まず、好きなように行動してきたのであるから仕方のないことであるが、学校で学ぶことと彼が望むことが一致せず、また秀でた才能があったのも間違いはない。
彼は音楽と劇作の双方を融合させるべき才能を生まれながらにして授かったのであろう。また同時に幼き頃から心惹かれていた舞台の煌びやかな小道具や高価な衣装で目を肥やしていれば、自身の舞台をより一流のもので表現することは不思議なことではない。経済的破綻をきたしているにも拘らず贅沢な舞台や自らの暮らしの水準を落とせないのは仕方のない気もするが、借金は踏み倒さず返す人間性は忘れずにいてほしかった。
ワーグナーの野心の形成はウェーバーであることは間違いないが、彼のその野心がどこで暴走してしまったのかといえば、それは作品を前代未聞のものにする、誰もなしえていないことをするために何をしてもいいんだという考え方が原因だと考える。
どうしても野心という言葉は肯定的な意味合いで用いられることは少なく、野心=計算高い、穏やかさの無い欲のある様子、腹黒いなどといった意味合いで使われることが多い。
その悪い意味での野心をワーグナーは成立させてしまったのである。天上天下唯我独尊というような思いの上にうぬぼれた行動や自分勝手な行動が強かったのであるが、なぜ敬意をはらっていたウェーバーのように控えめで紳士ぶりを発揮できなかったのであろうか。さすれば人物評価も作品の受け止め方も違っていただろう。
これまで伸びる子供の多くがこの『野心』を持っているように感じている。
野心とは夢に向かってがんばることであり、未来の自分を思い描けることであり、そのためにどうすべきかを自分自身と向き合う素晴らしい心の成長であると考える。よって『野心を抱け』と子供達には訴えかけたい。
しかしこの野心には幾つかの落とし穴がある。負けず嫌いで自分よりも評価が高い人を認められない、結果に拘りすぎてプロセスを軽視しがちであること、自分よりも劣ると判断すると見下す傾向がある、物事を達成できないときにジレンマに陥りやすくまた達成すると燃え尽き症候群に陥りやすく意欲が湧かず、新たな目標が見出せなくなることもある。このような落とし穴に落ちないように育てるべきである。
ではどのように子供に野心を持たせ天狗にならないように育てたらいいだろうか。
それは『常に努力をして一つの物事をなし得たら、またその次に挑戦することを生活の中で教えていくこと、そして世の中にははるかに自分以上の人々が多く存在していること、互いに助け合いまなびをふかめること』を教え伝えるべきである。
もしワーグナーにその要素が身に付いていたら無粋な人物として扱われること無く、人種差別をしなければイスラエルでも彼の作品は演奏されていただろうし、ヒトラーによって彼の作品が汚されることも無かっただろう。彼の偉業が彼の行動により汚されてしまったのは大変口惜しいことである。
楽劇王リヒャルト・ワーグナーから学ぶこと、それは美しい本来の野心を子供には持たせよということだ。
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