偉人『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ』

ゲーテは実体験を小説にした『若きウェルテルの悩み』や『ヴィルヘルム・マイスターの就業時代』でヨーロッパ全土でベストセラー作家になり、詩劇『ファウスト』を生み出し、ワイマール公国で政治家として活動し、骨学にも造詣が深く35歳で人間には無いとされていた前顎骨を発見し科学者としても名を上げている何でもこなせる恋多き天才である。

1749年ドイツの中部フランクフルトの大変裕福な家庭に生まれる。父カスパルは教養豊かで親の莫大な遺産を受け継ぎ、定職に付かず悠々自適な生活を送る人物である。自らの理想とする子供の将来図を画き父自らゲーテに学習を教え、語学・乗馬・音楽・美術・ダンスなどは家庭教師を雇い厳しく教育し、そのお陰もありゲーテは英・仏・伊・ラテン・ギリシャ・ヘブライ語の6ヶ国を習得した。

ゲーテは後に「父からは体格と真面目な生き方、自らの進路決定(法律家)の義務と重圧を享けられた」としている。大変教育に熱心で厳格な父親であった。

一方母エリーザベトの生家はもともと法律家の家系で市長の娘であり18歳で夫カスパル39歳に嫁いだ。年の離れた夫婦であったが息子ゲーテにとっては厳しい父と若く元気な母はバランスがとれた親であったといえよう。

母は一言で表すなら太陽のような人。その朗らかで素直な人柄は周りの人から愛される人物であった。また想像力が豊かな芸術を愛する人物であったためゲーテはその文才を母から得たとこのように語っている。「母からは快活さと物語る楽しみを享けられた」

母がゲーテに物語を楽しむためにどう接したのかは有名な話なので既に知っている方もおられるであろう。しかし母エリーザベトの行動や言葉は現代の子育てにも多いにヒントになり、実践することで効果があるため改めてこの記事で周知したいと考えている。

ゲーテは毎晩寝る前に母エリーザベトに物語を読んでもらっていた。その物語のクライマックスやラストシーンに至ると「今日はここまで」として読むことを敢えてせず、明日へと物語を持ち越したという。するとゲーテは最高に盛り上がる内容をあれこれと想像を巡らし眠りに付いたという。先がどうなるのか知りたいという欲求を先延ばしにすればするほど想像が膨らんでいくのであるから、シンプルに楽しいわくわくするといった感情は多いに刺激されたであろう。そうなればしめたものである。物語を好きになるお膳立てはできたも同然で自ら物語を創作する力は備わり、父の教育で培われた語学を以ってして詩作に当たったのは両親の教育の賜物である。

18世紀のゲーテの作品が今も尚各国で読み継がれているのは、母の力が大きかったのである。この母の子供の好奇心と創造力を育み世界有数の文豪に押し上げた。

これらの書物はゲーテが幼い頃より家にあったものである。子供が文学的要素を身に付けるには家庭の中にいつでもどこでも本を手にできる環境と読むことができる蔵書の数が必要である。

またゲーテの母エリーザベトのようにわくわく感の種を蒔くことができるのはある程度本に親しんだ子である。絵本に集中できない子にゲーテの母のような方法をとっても期待はできず、肩透かしを食らうだけである。先ずは地道に親子で絵本の世界に浸り堪能することを行おう。そしてわくわく感を味わう瞬間が来たと実感したときに策を講じて欲しい。

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