偉人『湯川秀樹から学ぶ読書習慣』

日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹は理論物理学者である。彼の姿を写すフォトの中で私が好きなものを選んでみた。訝しく深く何かを考えている彼の表情より、人間らしいその頬笑みの中にある怜悧さを紐解く方が読み手も読みたくなるだろうという理由からである。

ようやく朝夕涼しくなった沖縄の秋の夜長は絶好の読書時期だ。夜風を感じながら三ツ星片手にぐびぐびと五臓六腑に染み渡る芳醇の液体を流し込みながら、好きな本を読む至福はなんと贅沢なことであろうか。勿論子供の頃は三ツ星ではなく真っ赤なV8片手に本を読んでいたため、今でも飲み物なくして本が読めなくなってしまっ凡人である。しかし偉人湯川秀樹の読書環境は私とは大違いで子供の頃から凡人と偉人の差は大きいのだと改めて感じる。

今回は幼き頃からの読書環境を湯川秀樹の生涯を通して考え、子育てに活かしてほしいものである。

地質学者の小川琢冶と小雪の三男として1907年に東京麻布で誕生し、生後間もなく父の赴任先である京都に移り住み育つ。

彼は7人兄弟で5人の男兄弟がいた。4人の男兄弟はそれぞれ学者として名を残している。長兄小川芳樹は父の後を継いで地質学者となり、次兄貝塚茂樹は東洋史学者、弟小川環樹は中国文学者、末の弟も優秀であったそうだが戦死している。

両親は生まれた男児は学者に育てようと考えていたという。思惑通り子供4人が学者の道を歩んだわけだが、時代背景を考慮しても親の思い描く学者の道に4人が進むということは大奇跡に近い。計画的に環境を整えたとはいえ、何の種蒔きも素養もないまま学者の未知へ進むはずもなく、必ず関係因子があるのである。では小川家にはどのような環境や働きかけがあったのか考える。

先ず母小雪に焦点を当てる。母小雪は漢学に秀でた父駒橘の教養豊かな女性に育てようと意向の元、当時としては珍しい東洋英和女学校で英語を学んだ才女である。時代的に女性が教育を受けるのは大変珍しいわけであるから、もうその時点で環境はある程度決まったと考えてもよい。父の教育から学んだ読書の習慣を子供にも身に付けさせようと、常に茶の間の卓上に当時発売していた児童向けの生活教育雑誌『子供之友』を置いていた。

男兄弟を学者に育てるという教育的目標があったことから母小雪は、読書に重きを置きながら子供が疑問を持ち質問をしてきたときには、仕事をしている手を必ず止め、子供の目を直視しながら正確に説明したそうだ。湯川は著書でその母のことを「私の質問に応えるときの母の目が、子供心になんと美しく見えたことか」と記している。

そして秀樹らに多大な影響を与えたのが、小雪の父・祖父の小川駒橘である。彼は元紀州藩藩士で、福沢諭吉に学んで師範学校の校長となった人物である。

秀樹は5~6歳で祖父に難解な漢籍の素読を行い、その後はどんな難解な文章も難しいと感じたことはなかったとも語っている。秀樹にとって祖父の存在は多大で「今も昔も私が好きな書物といえば、結局は『老子』『荘子』ということになる。」と述べている。また祖父駒橘は明治以降は洋学を学び、晩年はロンドン・タイムズを購読し続けていたとも言われ、学びに対しての意識の高い人物である。

もう一人彼に影響を与えたのが父小川琢冶である。

秀樹は幼少期から祖父に漢籍を学び、母に読書を中心とする学びを伸ばしてもらい、小学校では算数に秀でていた。中学校に上がる頃には父の書斎にある多くの書籍を読み漁った。そして父は秀樹兄弟にこう教えたのである。

「学校の成績のために勉強するのは愚かである。自分の好きな学問を学べ」と語った。

そんな父琢冶は長兄や次兄のような優秀さがない秀樹を案じ、大学進学ではなく専門学校へと進学させるしかないと考えていた。おしゃべりが得意ではなくひ弱な秀樹は、返答に面倒になると「言わん」と言葉を残し、逃げ去ることを繰り返す様を見て協調性を欠き、学びの熱量を感じ取れない息子だと心配していたのである。幸い母小雪の助言で専門学校への進学は回避されたのである。

父の目に写ったのは兄たちとの比較による出来不出来と判断しただけであり、秀樹自身の個性を見抜いたのは母小雪であったと考える。点や線で子供を見るか、それとも面で見るかの違いであったのだろう。母のナイスアシストでノーベル賞への道は繋がったのである。

さてその面の礎になったのは秀樹の半端ない読書量である。彼は読書について趣味というより条件反射的行為に近いと表現しており、彼にとって読書は当たり前のことで息をすることと同じ感覚であったのかもしれない。母が躾けた読書習慣の獲得の計算が吉と出たといえる。

秀樹が書物についてこう語っている。

「本の面白さはいろいろあるが一つの書物からそれ自身の世界を作り出して、読者がその世界に暫くの間でも没入してしまえるというような本を私は特に好もうとする。」

秀樹は老子や荘子、浄瑠璃や和歌、山家集に伊勢物語などの漢籍や古典に親しみ、物理学に進んでからも多くの書物と出会い、物理とは無縁の文学の中にさえ物理学を絡めるなどの思考を行っていた。読書を読書と終わらせず、その内容さえも自分自身の分野に引き寄せてしまう教養の深さは、幼き頃からの読書量と母が子供の質問に真摯に向かい合い育てた思考にあると考える。人生の豊かさを読書で開拓した人物であるといえるのではないだろうか。


湯川秀樹の本から刺激を受けた私自身も彼のようにアンテナを張り巡らして自分自身の中にあるものを結び付けようと画策するもその思いはちちとして進まない。しかしこの世の全ては何かしら関係を持ちつつ動いていると秀樹から教えられ、今は無駄なように思えても必ずどこかに通じ、どこかに着地するための学びだと考えることにした。

初めて当教室を訪れる保護者さんは小さい頃から幼児教室は必要なのか?と疑問をもたれる方も多い、しかし当教室が乳児から3歳まで行うレッスンは知識の詰め込みではなく、心も体も豊かさでどう満たしていくかを実践していると考えとほしい。豊かさの延長線上に知識や様々な能力の獲得があるのだ。

さぁ、一日5分でもいい子供と絵本の世界に浸り、子供の質問に心を込めて応えてほしいと願い今回の記事を締めくくることとする。



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