偉人『カミーユ・サン=サーンス』

神童モーツァルトの再来と言われた後期ロマン派のオルガニストであり作曲家のカミーユ・サン=サーンスは、ヴィルトーゾのフランツ・リストから大絶賛を受けたフランスの音楽家である。彼の曲の中でも特に好きなのが『序奏とロンド・カプリチオーソ』である。今回はその曲を頭の中に流しながら記事を書くことにする。

サン=サーンスは1835年フランス・パリで誕生するも生後2ヶ月で官吏の父を亡くし、母と大叔母と貧しい生活を送る。2歳で大叔母からピアノの手解きを受け一音を鳴らし、その音が減衰するのを聞いてからまた次の音を鳴らすという選択的聞く力を発揮しながら、ピアノ開始1ヶ月で児童向け教本をマスターした。またその頃体が丈夫ではないサン=サーンスがピアノに夢中になりすぎるがため、ピアノに鍵をかけるも泣き喚くサン=サーンスに困り果て解錠したという。3歳5ヶ月で作曲、4歳でサロンデビュー、5歳で歌曲作曲、10歳でコンサートデビュー、13歳でパリ音楽院入学を果たすも既にピアノの技術は完成しており、敢えてオルガン科に入学をする。モーツァルトは5歳で初の作曲をしたのであるから彼はモーツァルトを超えた神童の中の神童だった。

卒業後は18歳でサン・メリ教会のオルガニストとなるが、23歳で国内外の貴族や音楽家が集まるマドレーヌ教会のオルガニストに引き抜かれた。ここでサン・サースは20年に渡り彼を高く評価するリスト、シャルル・グノー、ヴァイオリニストのサラサーテ、女流ピアニストのクララ・シューマンらと出会うことになる。

彼には他にも秀でた数々の才能を持つ顔がある。それは万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチのような天文学・哲学・考古学・数学・文学・ギリシャ語やラテン語にも精通し多くの学問に非凡な才能を持ち合わせていた。ありとあらゆることに精通し、音楽だけの人生ではなく多くのことに興味や関心を寄せ実力も兼ね備えていたのである。

しかしその中でも音楽は特出していたが、フランス国内では古臭く時代遅れの作風であると評価され思うように活動ができなかった。しかし国外では彼の古典的で客観的な描写の音楽が受け入れられ順調に音楽活動ができていたのである。

しかし彼の歯に衣着せぬ発言が禍し頻繁に誤解や対立を生むようになり、ドイツでの演奏会が軒並み中止となり、人とのコミュニケーションも上手くいかず国民音楽協会を脱退するなど活動が狭められてしまったのである。そんな中、内輪でのサロンで発表した『動物の謝肉祭』の皮肉を込めたパロディ作品が本人の意図しない所で評価を受けたのである。その作品の中で最も有名なのがチェロでの演奏が大変美しい『白鳥』である。またアンナ・パブロワやマリヤ・プリセツカヤが演じたバレエの瀕死の白鳥は、彼の作品をさらに崇高なものに押し上げたのである。

自国フランスでの評価がされないばかりではなく、こき下ろされるような発言に対し限られた仲間内で反発や抵抗を行ったのである。人間は誰しも日々の生活のガス抜きが大なり小なり必要である。幼い頃から神童といわれ実力を伴うサン=サーンスは、この作品を冷静沈着に心のガス抜きをはかりながらも、妥協を許さない音楽性の高さと同時に皮肉を込めたパロディー作品として作曲をしたのである。自分自身を時代遅れだと揶揄する人々に向けだけではなく、自分自身を化石として登場させているのもまた彼の真面目さや音楽に対する美学を感じずに入られない。

ではここから人ガス抜きについて考えてみる。なぜ心のガス抜きについて話を進めるかと言うことだが、ガス抜きの方法は母から子へバトンされることが多いからである。

心のガス抜きには大きく分けて2タイプある。1つは人や自分に対して攻撃的な方法を取るものと、2つめは静かに感情を見つめ自己完結型で上手にガス抜きを行うものがある。

人との関わりの中では絶対的に後者を選択することが心を乱さなくてすむのである。人を攻撃すればするほど自分自身の心も荒んでいくことを親は認識し、自分自身の心を乱さないように努めれば、親の姿を見て育つ子供もそのように成長する方向性を見出すことができるのである。常に親は穏やかな心のガス抜きに努めるべきである。

では子供はどのようにガス抜きをするのかを記しておく。

子供の多くは就学後の教育という矯正の中で心のガス抜きを自然と実践するようになる。学校が矯正の場であり、ガス抜きは家庭である。小学校低学年次によく見受けられる行動が、帰宅後の抱っこをせがんできたり、やたらと母親に擦り寄る行動である。それらはガス抜きをしながら心の回復を図る行動である。小学生にもなってと思われるであろうが、心が満たされるとまた矯正の場で頑張ることができるのであるから、是非そのときには全ての仕事の手を止めて受け止めてほしいものである。

また中学年以降の心のガス抜きは形を変えてやってくる。学校や習い事で頑張ってきた子供が家でぼーっとしたり、ソファーやベッドの上でゴロゴロ、何をするわけでもなくだらだらとする様子が見受けられる。今日は疲れていそうだなと感じる場合に現われる傾向がある。このような経験を積重ねて自己解決を図るトレーニングを子供達は身に付けていくことができるのである。これは幼稚園や保育園に通う子にも見受けられるため親はよく観察をしてガス抜きをしている我が子の特徴や表情、行動を認知しておくとよいであろう。

カミーユ・サン=サーンスが文学・哲学・言語学に優れていたのは、音楽的能力に長けていたからである。音=言葉であり、言葉の始まりは音である。乳児が言葉を話す前に擬音や擬声・擬態語に反応するのは言葉を覚える前の段階だからである。音と言語は人間の発達に連動していることはこのことからも明らかだ。音に対する反応を最大限に導き出すと言語能力も自然に高まるのだ。彼の音楽描写は美しい言語表現だともいえる。

また自分自身の素晴らしき音楽を酷評されたときのガス抜きは、その才能を駆使して表現し、直接的に誰かを傷つけることなく作品を輝かせ自分自身を高みに昇華させたのである。存命中フランス国内では評価されなかった彼の作品が、年々フランス国内でも評価が高くなっていることからも分かるように、基本の力を以ってして作られた名曲は、時代変遷の中で必ず輝きを放つこととなり古典の力強さを感じさせるのだ。


木枯らしが吹く前に物悲しく切なくなる『序奏とロンド・カプリチオーソ』を身に沁み込ませて秋の幕を引くこととする。



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