偉人『大隈重信』

楽天主義の器の大きな人物であった大隈重信は、江戸から明治・大正という激動の時代を推進力を持って日本を近代化へと導いた。その力たるや彼の人好きと情報収集能力あってのことである。先行きが混迷している今だからこそ彼の人となりを紐解き、彼の生き方から教訓を得て子育てに活かしてほしいと考える。

2021年12月17日『大隈重信の母三井子』と題し、母が彼をどのように育てたのかを書いたわけであるが、母三井子が幼い重信(八太郎)に言い聞かせていた訓示が以下の左記で、右はその教訓を支えに重信が政治家五訓とした内容である。この教訓を比較しても分かるように母の教えを自分なりに人生に活かしたのである。


1、喧嘩をしてはなりません。              1、物事は楽観的に見よ    

2、人をいじめてはなりません。             2、怒るな

3、いつも先を見て進みなさい。             3、愚痴を結うな

4、過ぎた事をくよくよ振り返ってはなりません。     4、むさぼるな

5、人が困っていたら助けなさい。            5、世のために働け

口角の下がった表情を見ていると気難しいような人物に見受けられるが、ユーモアがありしゃべりに長け、人々は彼の演説に魅了されるほどであった。人のために尽力するんだとの意識が常に働き、人の悪口は一切言わず相対していた西郷隆盛についても誉め言葉を残し、また敬遠の中とされた福沢諭吉とは後々分かり合える存在となった。究極は自らの脚を切断に追い込んだ犯人にまでも気遣う言葉を残している。なぜ大隈は人格者でいられたのか、それは母の教えがベースとなり彼の政治家五訓がそうさせたのである。また彼が前向きに物事を受止め行動が起こせたのは人が好きということと、情報収集という方法を持ち合わせていたからでもある。

大隈重信が情報収集にに長けていたのは無類の人好きが関係している。常に人との交流や面会を好み朝の9時から夕方まで来客を招き、年間2万3千人と面会したというから驚きである。彼にとって多くの人々と面会することは先を見通すための重要な方法であった。

実はその情報収集能力と人のためにという思いが結実した逸話がある。ある日大隈は千疋屋のメロンを食し「こんなに旨いものを多くの人々に食べさせたい。」と栽培のノウハウを情報収集し、所有する温室でメロンの品種改良を重ね『ワセダ』という品種を完成させた。彼の情報収集と情熱そして人のためとの思いがなければ、メロンは全国的に普及しなかったかもしれないし、あの甘く放縦な香りのするメロンを口にできなかったかもしれないのだ。

彼の情報収集能力が最大に活かされたのは日本の通貨を円に統一したことである。それまで幕府や各藩によって通貨が異なるため両替が発生し、外国が10進法であるのに対し日本は4進法で行われ国内外の取引を混乱させる有様であった。大隈は近代国家を目指すためには円という通貨を確立さる必要があることに気付いた。しかし大隈には実務を取り仕切るだけの手腕を持っていない。そこで大隈はその道の優れた人物に任せるという決断力に至る。大隈が白羽の矢を立ったのが渋沢栄一である。円を確立した大隈ではなく、実務部隊の渋沢栄一が2024年の新札の顔になるのである。個人的な思いからすると総合手腕をふるった大隈ではなく、渋沢栄一の顔をこの先見ることになることに少々解せない。しかし大隈重信が生きていたならこう言うだろう。「世のため人のためになったのであるから私が新札の顔にならなくてもよかろう」大隈重信とはそうことを顔色変えずに言う人物だと勝手に想像している。

大隈重信は日本を近代国家にするために政治や経済のみならず教育にも尽力した。当時伊藤博文など政治の表舞台に立つ重要人物は海外に出て先進国を目の当たりにしていた。しかし大隈は一度も日本を出ることはなかったのである。しかしやはり情報収集に長けている彼は人との交流で得た情報を元に先進的考え方を有していたのだ。

こんな話が残っている。成瀬仁蔵という教育者が日本の女子教育の必要性を説くとこれに賛同し、「男女は車の両車輪だ」と男女共に平等であるべきだと唱え、日本女子大学を創設する成瀬に協力した。大隈の優れた点は男尊女卑の時代に自ら海外の先進的ものを見ずに国家に必要なものは男女平等の教育という考えや妻に名刺を持たせ人との交流を促していた政治家である。現代においても男尊女卑を平然と口にする政治家がいることを考えるとジェンダーの先駆者といえる。情報収集能力の高い人物とは全てに於いて明るいといえるのかもしれない。

大隈重信が江戸・明治・大正と行き抜き日本を近代国家へと導けたのは情報収集能力の高さと無類の人好きにある。彼は人と面会することで多くの情報を得ると同時に、実は電信電報でも多くの情報を得て通信費は現在の価格に換算すると100万円だそうだ。彼が外交に長け、経済や財政を弁え、企業振興などに一家言であったのは貪欲に情報収集をしていたことにある。

混沌とする世の中で先を見通すことが難しい時代を迎えている昨今、子供達に何を信じて生きていくかを判断できるよう情報収集能力を磨くことを教えておくべきであろう。

大隈重信の情報収集力がここまで冴え渡ったのは彼が招く多くの友人を母三井子が嫌な顔をせず、輪の中に入り喜んでもてなすことから始った。やはり偉人の後ろには多大な影響を及ぼす偉大な母がいたのである。

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