偉人『ヨハン・シュトラウス1世』

年の瀬を迎えたらなぜか聴きたくなるのがヨハン・シュトラウス1世の『ラデツキー行進曲』。おそらく1年間無事に乗り切れたという思いと、そして関係を深めた人々への感謝と更なる幸福を祈る気持ちがあってのこと。この曲を聴いたことがある方やオーストリアのニューイヤーコンサートに行かれた方は、自然と拍手が沸きあがる感覚に賛同いただけると思う。このシオの勝手に幼少期シリーズは今回で76回目となり、2021年の締めくくりの人物となる。

ワルツ王として名を馳せていた彼が、息子の登場でオーストリアの音楽界は父と子の対決の舞台となり、やがて息子に王の立場を奪われ父は王から『ワルツの父』になってしまった。

息子たちの華々しい活躍の陰で彼の多くの作品は陽の目を浴びず、知られているのは『ラデツキー行進曲』と『ローレライ=ラインの調べ』くらいである。しかし彼の功績は大きく、彼無くしてウィンナ・ワルツを現代の私達が聴くことは無かったであろう。


ヨハン・シュトラウス1世は父が経営する宿屋兼居酒屋で演奏される音楽を家族に見つからないようテーブルの下に隠れ、日夜演奏される音楽に聴き惚れていた。その一人からヴァイオリンをプレゼントされ音楽に目覚め始めた。しかしシュトがラウス1世が4歳のとき家業が倒産し、7歳で母が過労死、13歳で父と死別してから継母の手で製本屋に奉公に出される。

しかし奉公先から逃げ出し、とある楽団の演奏家にヴァイオリンの手解きを受け、彼はその道で生きていく決意をするのである。食うや食わずの貧しい中楽団での下働きをし、14歳でその後まで演奏家として共に活躍するヨーゼフ・ランナーと出会い、ウィンナ・ワルツの基礎を形成していく。頼る身内は無く自分自身で生きる道を切り開いた人物である。

シュトラウス1世はヨーゼフ・ランナーと共に活躍し、オーストリアのウィンナ・ワルツの先駆者として一時代を築き、妻マリア・アンナとの間に3男1女を儲けたが夫婦の間に決定的な亀裂を生んでしまう。

彼は長男を商人に、次男を軍人に、三男を弁護士に育てるという野望があった。しかし妻アンナが彼に内緒で子供達にピアノを習わせたのである。趣味としてのものならと黙認していたが、彼に隠れ長男のシュトラウス2世に本腰を入れヴァイオリンの手解きを受けさせた。彼は妻が内緒で本腰を入れ音楽教育を開始したことに激高し、息子のヴァイオリンを叩き壊し、家を出て愛人の下に走ってしまった。その後妻と子供達の生活費を一切入れず、生活に困窮した妻マリアは息子たちを立派な音楽家に育て、夫を凌ぐ音楽家にすることで復讐を果たすことを胸に誓う。夫婦の亀裂は子供達の人生を巻き込んで敵対していく。

オーストリアでのウィンナ・ワルツの成功とその確立は、ヨハン・シュトラウス1世とヨーゼフ・ランナーの二人によるもので、ヨーロッパ全土で彼らの人気は高く、あのショパンでさえその人気に圧倒され演奏会を開けないほどであった。現代のショパン人気から考えると想像だにできないが、当時のシュトラウス1世の人気は現代のショパン以上だったと容易に想像できる。しかしその人気の勢いは息子の到来で消沈してしまうのだから、妻アンナに勝負の軍配が上がったと言わざる得ない。

シュトラウス1世自らは華々しい場所にいて、妻子は生活困窮の中に置くという理解しがたい行動が、彼の現代の評価に繋がっているのではないかとさえ思うのである。ある文学作品に女の情念は男のその後の人生を狂わすという一文が脳裏を過ってしまうからである。また偉人に関心を持ち調べているこれまでの知識すると、大概筋を取り違えた人物の行く末は成功とは真逆に作用してしまう因果応報ということにあるように思う。これまた私の勝手な推測であるが、不条理の行動の行く末というのはどんなに隆盛に乗っていても、衰退の一途を辿るものだと歴史が語っている。人間の心理のなせるものなのか、大きな宇宙の仕組みの一部なのかは知らないが、人間真っ当に生きるこそが本当の弥栄(いやさかえ)なのだろう。子供を育てていく上で本当の幸せを願うのであれば、真っ当こそが全てのような気がするのである。


息子シュトラウス2世の音楽界へのデビューにより彼は自分自身が築いてきた表舞台から降りることになる。妻アンナの夫を越える音楽家に育て上げるのだという意地に息子たちが応え、長男シュトラウス2世、次男ヨーゼフ、三男エドゥアルドはオーストリアの音楽界で大きな成功を修めた。時に妻アンナ側の子供達や孫らの音楽界での華々しい成功と、愛人側の子供達の目立つ成功が無いことが比較されるが、これもまた宇宙の摂理なのかとても興味深いものである。

ではなぜシュトラウス1世は可愛い子供の生活費さえ与えず困窮生活をさせたのか。それは彼の育ちに関係している。前述した通り彼は幼くして両親を亡くしている。父が川に身投げをした後継母により家を出され奉公に出されるが、住んでいた家は継母のものとなる。行き場を失った彼が見つけた居場所が音楽楽団であった。誰も頼る人が無く自分自身の力で生きてきたという経験が、子供に対してもどうにか生きていけると考えたのかもしれない。妻アンナとの冷え切った関係は修復できないところまできており、その煽りを受けたのが子供達である。

見方を変えればシュトラウス1世の冷淡な態度が、甘美で美しいのウィンナ・ワルツを多くこの世に生み出すことになったと考える。

シュトラウス1世から学ぶこと。それは親の育ってきた環境が子供にとって本当の幸せをもたらすのか、それともその環境から波及する影響をを変えなければならないか、時代の流れを読んで何が大切なのかを考え新たな息吹を吹き込むべきか、固定概念を捨て頭を柔らかくして子供のことを考える先進的考え方を持つことができるかにかかっているのだ。


オーストリアの危機を救った名将ヨーゼフ・ラデツキーを讃える『ラデツキー行進曲』を聴く度に、シュトラウス1世は息子たちの甘美で美しい名曲の露払いのために、無慈悲な行動を起こし、この曲を書き上げたではないかとさえ思うのである。オーストリアの第二国歌とされるこの名曲を聴き、拍手(かしわで)で子供達の未来への道筋を今年も付け、導けたらと考える。

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