偉人『ヘレン・ケラーの五感』
奇跡の人と呼ばれる舞台が有名なお芝居を見たことはおありだろうか。三重苦のヘレン・ケラーの人生についての舞台で多くの人が彼女の人生について世界的に知られることになった。改めて彼女の努力とサクセスストーリーをここで述べるつもりはなく今回はヘレン・ケラーの乳児期の五感に焦点を当て話を展開していく。
1880年6月27日アメリカ・アラバマ州の田舎町タスカンビアで誕生。父は広大な土地を所有する地主であり母もまた裕福な家の出身で、使用人の居る豊かで恵まれた家庭にヘレンは生まれた。生後半年でお茶を意味するtea、水をさすwaという発語を繰り返し、片時も目を離すことができないほど活発な子供であった。しかし1歳の誕生日を迎えた頃高熱を出しそれがもとで視力聴力共に失ってしまったのである。
健常児の1歳児が五感のうちの視覚と聴力を失うということは身体発達のみならず、精神の発達に於いてもかなりのダメージがある。生後1年は物が見え、音が聞こえる状況から突如として暗闇と無音の世界に陥るわけであるからその衝撃はいかばかりであろうと推測できる。
先ず五感の中で最も情報量が多いのは視覚である。視覚発達の途中とはいえ対象物との距離を埋めながら物を確認する行動が先ず抑制される。何があるのかを認識できないのであるから身体発達の促しを自発的に行う機会が作れないということである。その一方でその視覚を補うために発達するのが聴覚であるがそれも彼女は失っていたためそれ以外の触覚、嗅覚、味覚を研ぎ澄ましたと考える。そしてサリバン先生に出会うことにより触覚を発達させながら物に名前があることを理解した。人間の身体能力の素晴らしきはその欠所補完的能力である。
聴力について考えてみよう。子供が誕生する前に既に出来上がっているのが聴力である。新生児の聴力は視力の未発達を補い、音のなる方向へ顔を向け視覚発達を促しそれと同時に首も動くようになり身体発達も共に成長させるほど重要な器官である。中途失聴者は視覚発達のチャンスを失うだけでなく、身体の発達も制限されまた言葉を発するという発語さえも奪われ聾唖に直結しやすくなってしまうのである。そこに視覚ハンディがなければ発語者の口元を見て発語の訓練ができるのであるが、へレンの場合には視覚聴力共に失っているのであるから相当厳しい状況に置かれていたのは間違いない。
しかし彼女はもともとものバイタリティ溢れる行動で発語にもチャレンジしていくのであるから並大抵の人物ではない。そこで発揮されたのが触覚である。発語者の口や喉下に触れ発語の訓練にあたったという。
へレンが視覚と聴覚を補うために取り入れていたのが触覚であるが、その感覚は使えば使うだけ研ぎ澄まされていく。サリバン先生から指文字を教えてもらいそこから点字を習得していくのであるが、好奇心も同時に育ててもらっていたため点字を読むことに夢中になりすぎ指先から血が滲むほどであったそうである。
彼女の残した言葉にこのような発言がある。「幸せの扉が一つ閉じるとき、別の扉が一つ開く。けれども私達は閉じた方ばかり見つめていて、開けられた扉に気付かないことが多い」
この言葉が意味しているのは精神的働きにも読み取れるが人間の身体能力にもいえることではないだろうか。このことに気付いた人のみが道を開いてきたのではないかと感じる。
失った感覚があれば残された感覚が突出するということは世の中に奇跡を起こしている人々を見れば明らかであるが、その残された感覚をやはり最大限に引き出す努力が必要であることはいうまでもない。そんな人々の努力を目の当たりにしていると、なんとまぁ恵まれた環境に自分は胡坐をかいているのかと反省しきりである。
ではヘレンから何を学ぶのかと問われれば在り来たりの発言は他の人に任せておこう。私なりの意見とすれば、五体満足な子供でも五感をふる活用しているのは少ない。バランス良く全ての感覚を鍛えることにより全体の底上げができ、その子の個性を汲んで抜きんでている感覚を鍛えることができれば更に可能性を広げることになるのではないかということである。一昔前まではハンカチの中央を持ち上げると四隅も持ち上げるという例に準えて、吐出した能力を磨けば他の能力の底上げも成されるといわれてきたが、昨今感じることはある一つのことを磨き上げてもそこから更に高みを目指す場合には、あらゆる経験や知識が必要になるということだ。バランス良く働き掛けて興味や関心のあることを伸ばしてあげることに無限の可能性を感じている。
またたとえ身体的に欠けた器官があってもそれをカバーする人体の神秘性があるのであるから、抜きんでた能力に追い付こうとする能力や器官の変化があっても起きても不思議ではない。そして欠所補完の能力が尋常でない伸びがあることをヘレンが示してくれたと考える。ならば人間の能力は無限であり、ハンディがあっても吸収力のある乳幼児であれば早期教育でその無限性は広がるであろう。
ヘレンの言葉を借りるとすれば、幸せの扉が開いているのであれば開いていることを喜び受け止め、そこを最大限に活かすことを優先すればよいのだ。閉じている扉の前に立ち憂えるよりもできることをバランスを考えてあたることが最善の道であると考え、人間ないもの強請りをしている場合ではなく、そうすることにより前進はないとさえ思うのである。
子供の五感への働きかけとそのバランスを意識して過ごしてほしい。
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