偉人『ウィリアム・スミス・クラーク』

昨日のこどもの日を受けて今回は名言『少年よ、大志を抱け』を残した有名なウィリアム・スミス・クラーク博士を取上げる。今回はクラーク博士が行った教育方針を通して日本とアメリカの違いや日本の道徳教育について考えてみる。シオの勝手に幼少期から大きく脱線するのでご容赦願いたい。

1826年アメリカ・マサチューセッツ州で医師をする父アサートン・クラークと母ハリエッとの長男として誕生。子供の頃から負けず嫌いで学ぶことも好きであったがスポーツや喧嘩はめっぽう強く一般的に勉強ができる優秀な子供とは掛け離れた勝気な少年であった。子供の頃から動物や植物に興味があり、やがて進学していくうちに化学へ強い関心を示し18歳でアマースト大学で化学を専攻する道を選ぶ。大学卒業後に神学校で教鞭に立つも化学への情熱は高鳴るばかりで、ドイツ・ゲッティンゲン大学に留学し博士号を取得。24歳でアマースト大学の教授に就任する。当時大学には博士号を持つ教授はおらずクラーク博士を迎え入れることは大変名誉のあることであった。大学では専攻の化学のみならず動物学や植物学の授業も行い神職を忘れるほど多忙を極めた。

一方ドイツ留学中に農業の重要性に気付き紆余曲折あった後に農業学校の設立に至る。お気付きの方はやっとクラーク博士が北海道に来ることになった糸口が見えたのではなかろうか。

明治政府は当時士族の次男や三男を集めて農業学校創設を計画立てていた。後に同志社大学を設立する新島襄がアマースト大学留学中でクラーク博士の化学の講義を受けていたことから彼を介して、1876年札幌農学校設立にあたり教頭としてクラーク博士を招いたのである。クラーク博士にとっては1年の長期休暇を利用し札幌農学校に滞在したのは僅か8ヶ月である。その短い期間に学生の心を掴んだというわけだ。

札幌農学校の生徒として選ばれた人物は先にも説明したが武士の次男や三男といったものばかりで、江戸幕府が終わり新しい世を作りを明治政府が取組んでいる最中である。武士は商人や農民のように働いて生きる糧を生み出すことに抵抗があった時代である。士族の息子たちは反発し札幌に向かう船の中で酒やタバコに現を抜かした状態であった。それを目の当たりにしたクラークは生徒たちにある決断をさせるために自ら好きな酒を断つことにしたのである。無類の酒好きでアメリカから樽ごと持参した酒を生徒の前で叩き割り、自らも君らと同調し教鞭を取る覚悟を示したのである。

また働くことが卑しい身分の者たちがする行いだとして農作業に身が入らない士族の息子たちに対して、働きに応じて給金を出したのである。その結果意識が変わり始め農作業や学業に身が入るようになった。またクラークは野外授業を多く行い課題を出し生徒らに「君ならどうする?」「君ならどう考える?」と個人尊重の授業を行い、落ち零れは一切出さないという信念で授業にあたった。

また雪が降り積もる中生徒が雪球を投げているとそこに参戦し、取っ組み合いになるほど競争心むき出し負けず嫌いを発揮し生徒との時間を謳歌した。

ある日野外授業に出かけ丸太橋で小さな女の子が向こう岸からおそるおそる渡ろうとしていると、生徒の一人がその小さな女の子の手を引こうと橋を渡り出した。しかしクラーク博士はその行動を制止し、女の子が自力で渡りきるのを見せ渡りきった所で「よくがんばった。」声を掛けた。そしてクラーク博士は生徒らに「生きるということは無闇に手助けをするものではなく、自力で生きていく力を付けさせるべきだ」と教えたのである。困った人に手助けをする昔からの日本人の道徳教育に存在することを否定した教えであるが、生徒らはその考え方に感銘を受け新たな価値観を獲得したのだ。これまで多くの教えを受け徐々にクラーク博士の魅力に引き込まれた生徒らは一層勉学に励んだ。

クラークは当初から生徒の意識改革をするには道徳教育が必要であると説いた。アメリカ人の道徳教育とはキリスト教のことである。明治政府はそれに異論を示したが強行的に推し進めるクラーク博士に圧されどうすることもできなかったが、これが功を奏し生徒らは後にそれぞれの分野で大成している。


現代の日本教育も「君ならどうするか、君はどう考える、君はどう思い感じるか」という教育が優先されるようになった。19世紀の自ら考え行動する教育が今生きていることを考えると不動の教育であることは間違いない。一方その教育を推し進めてきたアメリカの教育は教育格差が広がり命の安全性も保てない学校すらあるのである。しかし外国から日本の教育は一目置かれている。それは日本に昔からある道徳心や礼儀作法を持って仲間と協力し、与えられた責任を全うすることである。それが分かるのが初等教育である。給食当番、日直、各係り、動植物のお世話、全校生徒での清掃活動などである。これらを通しそれぞれのスキルを習得することも長い人生を考えれば素晴らしい活動である。

また小学校に上がる前に家庭教育の中でお手伝いや家庭内での役割分担の土台があればそれは結実すると考えている。沖縄の言葉で「やーなれー、ふかなれー」という言葉があるが家での行いや習慣が外に出たときに現われるという意味だが、確りとした教育を受けていれば品性が生まれると捉えることができる。長期的に見れば品性こそが子供達の人生を決定するといっても過言ではない。

ウィリアム・スミス・クラーク博士の品性によって江戸幕府崩壊で路頭に迷った士族の子息が救われ、またその士族らの大成によって今現代の教育環境がある。私達親が最後に子供達に残せるものは品性・品格・心の豊かさ・愛情など紙幣や物品に換算できないものでなくてはならないのだと沈思黙考するのである。


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