偉人『無条件の愛を求めたマリア・カラス』
20世紀最高峰の歌姫と称されるマリア・カラス。彼女ほど母親に対しての複雑な思いを抱え無条件の愛を求め、歌の中にその思いを昇華させ燃え尽きた女性はいない。
親は子に無条件の愛を注がなければならないことをレッスン時に伝えてはいるが、子供に無関心な親や愛情が希薄な親の存在も少なからず存在する。マリア・カラスの母エヴァン・ゲリア・ディミトリアスも子供に対して無条件の愛を注ぐことができず、子供の人生を自らの生活の糧にし無条件の愛からは遠く掛け離れた親であった。娘のマリアはその母に翻弄され苦しんだ人生の中で自らの愛情表現を模索し、死してもなお作品の中で生き続けている。
今回は親の無条件の愛を追い求める子供の葛藤を彼女の人生から考えてみる。
1923年12月2日アメリカ・ニューヨークでギリシャからの移民である父ゲオルク・カロゲロープロスと母エヴァンの次女として誕生する。
しかしこのマリアの誕生は母エヴァンにとっては落胆でしかなかった。母はマリアの兄であるヴァシリーを3才のとき髄膜炎でなくしている。妊娠が息子の生まれ変わりと信じ男児を望んだが、マリアの誕生で落胆し看護師がマリアを抱かせようとすると「あっちへやって、見たくもないわ」と発した。そして母エヴァンは次女であるマリアに愛情は傾けることはなかった。
母は父親似の容姿に恵まれた姉ジャッキーに音楽教育と花嫁教育を施し裕福な家庭に嫁げるよう金銭継ぎ込んだが、妹マリアには一銭もかけることはなかっただけでなく、姉のピアノや歌のレッスンに同行させただその様子を見せ、自力で音楽をマスターせよと言わんばかりにマリアには数時間ピアノから離れることを禁じたのである。母は夫の不甲斐無さに見限りをつけ、容姿端麗の姉を音楽家として成功させる野心を前面に出し教育に奔走した。マリアに対しては微塵の関心も示さずにいたのである。その様子に夫は呆れもともと上手くいっていなかった夫婦仲は更に冷め切っていく。
マリアは幼心に両親の自分に対する無関心さと姉との差別を感じるだけでなく、あからさまな扱いに理不尽さを感じていたのである。この思いはマリアの生涯に渡る愛着形成の欠所を生み出し、満たされる愛情を埋めようともがき苦しむことに至らしめたのである。マリアに本当の意味での無常の愛を注いだのは、彼女の音楽性を導き声楽と舞台上での立振る舞い、そして感情コントロールを教えた恩師エルビラ・デ・イタルゴのみであった。
以下の写真は母エヴァンと姉ジャッキーである。マリアは母との関係を姉のようであってほしいと幼い頃は望んだに違いない。しかしその幼い気持ちは母に生涯通ずることはなかった。
マリアは姉ジャッキーに同行しレッスンを見ているだけで音楽の才能を開花させ、姉以上の才能があることを母は耳にした。その一方で姉ジャッキーは才能がないことを自覚し友達との時間を持ち始めたこともあり、母は手の平を返すように妹マリアの才能で生活の糧や名声を手に入れる方向に舵を大きくきったのである。
そこからの母は形振り構わずコンクールやオーディション、ラジオ出演と精力的に活動させ、彼女の才能を伸ばすために声楽のプロを探し回り、17歳で入学の音楽学校を年齢詐称しパスポートを偽造した上で13歳で入学させた。マリアは母の愛情を受けることに喜びを感じたが、マリア純粋に望んだ母の愛はいとも簡単に打ち砕かれたのである。母の野心は子を思うものから発されたものではなく、母自身の自己愛から発声したもので言葉は悪いが子供を道具として捉えていたと考えられる。
母はマリアばかりではなく姉ジャッキーを着飾らせ裕福な交際相手から生活の援助資金を取上げ、またマリアを食べる糧を得るためにイタリア兵の交際相手として売春を強要させた。後にマリアはこの時期のことについて聞かれると激高し頑なに口を噤んだ。しかし彼女と関係を持った将校が事実を認め、彼女の恩師であるイタルゴによってその時期は涙を流している様子が頻繁に見受けられ、彼女をその環境から救わねばならないと感じていたと証言している。
子供にとって母に取り自分は何ものなのか、愛される価値がないのかと苦悩した。人間に本当に必要なものは、『愛されたということ』『ありのままを受け入れ自分を愛せる自己愛』『自分は唯一無二の存在だという尊ぶ自尊心』である。マリアはどれも母から与えられず乳幼児期を過ごした。これは私の立場からするとなんと愛情に飢えた経験を子供に強いて、心を殺伐とした中に置き去りにしたのかと口惜しいという言葉では表すことが出来ないほどの感情を抱いてしまう。
幼い頃から抱いた母に対する複雑な思いは愛情欲求からやがて憎悪に変わる。子供の頃は母が求める家事をこなし、10代で売春で生活費を稼ぐように強要され、オペラ歌手として成功すれば金銭の無心に応えた。彼女は母のみなならず父や姉からも金の無心をされ家族が起こす問題行動に翻弄され疲弊しても家族を見捨てることができなかった。
ではなぜその家族から逃れる方法を取らなかったのか。
マリア・カラスは成功者であったからこそ逃げられなかったということもあるだろう。しかしそれ以上に純粋に『愛されること』を求めていたんだと考える。何の対価をも求めない『無償の愛』を知らずに育ったがために常に家族が欲する要求を等価交換し、それが愛情であると履き違えていたのではないだろうか。
『親の無条件の愛』というものは子供にとって絶対的に必要なものである。しかしマリア・カラスはその無償の愛を確信できるものがなかった。唯一自分自身を裏切らないのが歌であり、音楽の道に無償の愛で導いてくれた恩師イタルゴにより芸術への愛を学んだのではないだろうか。マリア・カラス以前にも以後にも彼女を越えるドラマティックでエレガントでゴージャスな表現をする者がいないといわれるのは、この彼女が苦しんだアイデンティティによるものだと考える。
もし彼女が親の愛情に恵まれ歌の道に進んでいたら肉体はこの世から消え去っても彼女の芸術的な歌声が賞賛されることはなかったであろう。とても皮肉であるが彼女が残した言葉通りに「人生は苦悩の連続で、生きることは逃げ場のない戦いである」しかしその自分自身を燃やしきって表現した彼女の歌声はどの作品も後世に語り継がれる不朽の名作である。
マリア・カラスが幸せだったかどうかは彼女にしか分からないことであるが、私達は彼女の残した最高峰の歌声を耳にすることができ、子育てに於いて何が重要なのかを学ぶ機会を彼女の人生からヒントを得ることができる。彼女の生きた証を自らの子育ての反面教師にすることで救われる子育てもあるのではないだろうか。
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