偉人『グリム兄弟』

今週は童話に関する内容の記事を連日掲載している。ということで偉人に関する記事は『グリム兄弟』と決めていたのであるが、彼らの人生を語ることは多くの書籍やネット上の記事に任せることにして、乳幼児教育の専門家としての視点で内容を展開していくことにする。

健全なアイデンティティの形成は乳幼児期が重要であることは何度もこのブログで説明をしているが、この世界的な童話作家として有名になった彼らにはそうなるべくしてなったという4つのポイントがあった。今回はアイデンティティを確かめて偉業を成し遂げたグリム兄弟にスポットを当てることとする。


1、幸せな家庭環境

ドイツ中央部の片田舎ハーナウで1785年兄やーコブ・グリム、1786年弟ヴィルヘルム・グリムが裕福な家庭に誕生する。父フィリップは勤勉な法律家、母は良妻賢母で子供思いの大変穏やかな人物であった。ドイツ人らしい勤勉な父はことあるごとに子供たちにこう教えを説いている。「誰しも正しく生きていれば間違いはない。」とその姿勢を実践し見せていたといい、母は寒さの中遠出をしている息子のために自らも外寒に身を置き子供の無事を祈っていたそうである。幼少期は両親の愛に恵まれた生活を送った。


2、第三者の援助

ヤーコブ11歳、ヴィルヘム10歳の時に父が肺炎で急死し、一家は裕福な生活から貧しい生活を余儀なくされる。しかし叔母の援助により彼らは古典語高等中学校で学び主席で卒業後、マールブルク大学法学部への進学を果たした。この叔母の援助により彼らは法律は勿論のこと、ドイツ語の言語学や古代ゲルマン文学の研究に勤しんだ。

また牧師である祖父は彼らにこのような教えを説いている。「よく勉学に励み出世し、将来は富と名誉を手に入れ、母を喜ばせるようになりなさい。」この祖父の言葉を胸に猛烈に学ぶ事になる。1日10時間の学びのお陰で彼らは飛び級で大学進学を果たしたのである。


3、兄弟の絆

しかし母も父の後を追うように病に倒れヤーコブとヴィルヘムは幼い6人の兄弟の面倒も見ることとな理、自ら学業と研究を進めながら兄弟を育てるために図書館司書としての職に就いたのである。

活動的な兄のヤーコブは頑固な一面もあったが身体が丈夫であったため童話収集のために各地の聞き取り取集活動をし、喘息と心臓病を抱えていた社交的な弟のヴィルヘムは童話の編纂に尽力したのである。またあまり知られていないが美術学校の教師であり画家であった弟のルートヴィヒ・エミール・グリムが挿絵画家としても参加するようになったのである。


4、ドイツ人としての誇り

当時のドイツはナポレオンの戦争によりフランスに占領されており、政治と社会的な混乱の中にありヤーコブとはナショナリズムを目指し、祖国の伝統や歴史、文化や言語に光を当てようと活動したのである。兄ヤーコブは言語学者や文学者としての活動よりも一時期政治活動の一面もあり、ウィーン会議への出席に加え外交官としての手腕も発揮している。やはり人間は自分とは何者かを追求し、自分の奥底に流れている確固たるものの発見をするために生きているのである。

現在のロシアによるウクライナ侵攻にも同様のことが言えるのではないだろうか。悲劇的な記事を読み衝撃的な映像を目にする度に、ウクライナの人々の中の自国愛やアイデンティティの確立をより強固なものにしていると実感している。ウクライナの子供の中から自分は自分であるのだと偉業を成し遂げる子供が出てくることを願わずにはいられない。


さてグリム兄弟のまとめに入ろう。

グリム兄弟がそれぞれの立場を理解し尊敬し、一つの目標に向かって邁進できたのはやはり父の教えである「正しく生きていれば間違いはない」という事に尽きるだろう。彼らが物心ついた時の社会情勢は、他国の侵攻により自国の発展や保持が揺るがされた時代であり、自らのアイデンティティの危機を感じた時代でもある。彼らが法律よりもドイツ言語や文学の重要性に気付き心惹かれたことは『正しく生きるということ=ドイツ人の誇り』に繋がったことは当然のことである。また彼らの生まれは裕福であってもその後の貧しい中で努力した事により、なんと裕福を絵に描いたようなメンデルスゾーンの音楽・文学・教育の重鎮らが参加する非常に高い水準のサロンに出入りすることができた。これは祖父の言葉を借りれば富と名誉を手に入れたともいえようが、それ以上に彼らの類まれなる努力の賜物であろう。

親が子供たちに与えることができるものは多くあるが、人生を左右するのはやはり子供の努力である。子供に楽しみを見つけながら努力を積むことを教えなければならないのだと改めて実感しているのである。




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