偉人『ガリレオ・ガリレイ』

「それでも地球は回る」と異端審問にかけられた際に呟いたとされるイタリアの天文学者であり物理学者のガリレオ・ガリレイについて今回は迫っていく。

では彼の何に迫るかといえば、なぜ彼がキリスト教の影響が多大な時代に神への冒涜とされる地動説を唱え続け、幽閉されてまでも研究をし続けたのか、その彼の真理を追い求めることができた理由を幼少期に紐解いて、現代の子供に活かせることを見出していきたいと考える。

1546年2月15日イタリアのピサで貴族の血筋を持ち呉服・織物商を営む父ヴィンチェンイオ・ガリレイと母ジュリア・アンマンナーティの長男として誕生した。父は生業の他に音程学の研究や音響学の研究に数学的記述と分析を用いるなどし、息子のガリレオもその数学的手法を物理学で用いている。やはり家庭内での影響が多大であることは承知の事実であることをまた確認させられる事実に出会ったのである。ちなみにガリレオの弟が父の音楽的要素を受け継ぎ音楽の道を歩んでいる。


この写真の生家でガリレオは育ったわけであるが、子供の頃から大人が教えることをそのまま受け入れる子供ではなく、まず自分の目で確かめなくては気が済まない性格で全てを疑ってみることからスタートする性分であった。彼の言葉に「見えないと始まらない、見ようとしなければ何も始まらない」と言葉を残している。

言われるまま教えられるまま受け入れるのではなく、本当にそうなるのかを自分自身の目で見聞きしなければ確信を得られないとする真理を追求するような子供であった。

1581年ピサ大学の医学部に入学するも物理学や天文学の道を諦めきれず17歳で進路変更していく。この時きっかけになったのがピサの大聖堂のシャンデリアが揺れ動く様子を見て振り子の等時性を発見したことを皮切りに、25歳でピサ大学で数学の教鞭を取り、その後40歳で落下の法則を発見したのである。

1609年にオランダで望遠鏡が発明されると自らの数学的知識と技術で屈折望遠鏡を作成したのである。そしてその望遠鏡を制作し貴族に販売することで天文学の研究費を捻出している賢さもあり、ビジネスの才能もあったのである。ガリレオのこの行動でヨーロッパの貴族がこぞって天文観察をすることになったのである。その貴族の様子を貴族の肖像画や名だたる名画からも見ることができる。

しかしヨーロッパの貴族の懐に入り込んでもキリスト教という大きく高い壁が彼の前に立ちはだかり、彼の研究や実際の観測から導き出した地動説は通らず、宗教を取るか学問を取るかという洗濯を余儀なくされ、学問を諦めると裁判で進言したもののその後、彼は自由の効かない状態での幽閉を余儀なくされ77歳でこの世を去ったのである。

彼が幼い頃から真理を求めて物事の筋道を見ようとしてきた行動が、正しいものだと証明してもそれを受け入れることのできない状況下で、もがき苦しんでいたのは間違いない。しかし彼は諦めることなく自らペンが持てなくなっても口述筆記でその真理を弟子に託していたのである。

2008年ローマ法王ベネディクト16世がガリレオ・ガリレイの研究が信仰に反してはいなかったとし地動説を公式に認め彼の名誉を回復したのである。何と時間のかかったことか。

ではガリレオはなぜ真理を追求することができたか。

それはやはり父の指し示している学びの実証の重要性が形として表れていることを彼は幼い頃から学んでいたのだ。だからこそ父の手法を物理学に応用し多くを発見ができたのである。

では現代の子供たちが彼から学ぶことは何か。それはやはり教えられたことをそのまま受け入れることと同時にそれが本当に正しいのか常に考える力を持つことである。

子供達は私が作成した問題が全て正しいと思い込んで答えを出す子がいる。しかし私は敢えてそこに一石を投じ、意味が通らない文章やミスを誘う内容、ときに完全に間違っている内容を出題している。その異変に気付けた子供が本当意味での学習を理解をしていると考えているからである。「先生、この問題変だよ。」と言える子を私は心から待っているのである。そしてその文章や内容をどのように変更すればよいのかを考えさせるのも思考をさらに一歩進めさせることになり、その力は彼らの中に根を下ろし必ずや人生に必要なものであると確信している。

ガリレオ・ガリレイはこうも語っている。「人に物事を教えることは出来ない。自ら気づく手助けができるだけなのだ。」

この言葉は本当にそうだと日々実感している。何度も繰り返し教えていても習得が難しい場合にはいかに気付くというスイッチを入れることができるかと常に私は考えている。しかしこの気付きというスイッチは、1歳になるか否かの幼い頃の『探す』という発達の促しが鍵となるのだ。よって何かを探すという経験が少ない場合には、気付きという思考獲得が難しくなるのである。

そう考えるとガリレオ・ガリレイは物事の真理を探すことを十分に実践していたのであろうと容易に想像がつく。彼のように気付きの天才として育てるためには探索という経験を十二分にさせることが必要なのである。ハイハイをたくさんさせ、いろいろなものの存在に気づき、子供自身が探索行動をし始めたら、真理の追求の芽が育ち始めたのだと認識し間髪入れずにどんどんさせるべきなのだ。

シドニー・スミスの言葉を借りるとすれば『各人の運命は各人の手中にあり』、何もわからない子供の行動と将来に必要な能力の鍵を握るのは母親の手の中にあるということなのだ。

Baby教室シオ

ほんものの学び。今必要な学び。乳児期から就学期までを総合プロデュースする沖縄初の乳児のためのベビー教室です。