提案『花火鑑賞の薦め』
夏の風物詩として朝顔、向日葵、金魚掬い、入道雲・・・挙げるとキリがない程ありますが、その中でも花火をあげる人も一定数おられるでしょう。子供が幼い頃浴衣を着せて河川敷の花火を家族で見に出掛けたのは懐かしい思い出ですが、風向きの関係で打ち上げられた花火がまさに頭の上に降ってくる経験を初めて味わい親子で興奮したものです。「夜のお空から花火の赤ちゃんがふってきた」「花火って手を伸ばせば掴めそうだったのに・・・」と大喜びしていた反面少し残念そうにしていたのが印象に残っています。
社会人になり職場にいたスペイン人が日本の花火は地味だし、花火を見る人が多すぎて帰れなくなるからと何処か見ることができる場所はないかと社員に声を掛け回っていたのが思い出されますが、日本の花火は欧米諸国の光と音の祭典として行われているのではなく、実は鎮魂の意味が含まれていることがあまり知られていないものです。沖縄でも琉球海炎祭として光と音楽のコラボレーションとしトロピカルビーチで3年ぶりに開催されましたが、10,000発の花火に魅了された人もおられるでしょう。
今回は日本人の中に育まれている花火の魅力と子育てに与える良い影響を考えてみます。
「花火の魅力ってなんだろう?」そう問われると皆さんはどのような答えを返すのでしょう。
欧米諸国のNew year のカウントダウンや独立記念日のような派手さのある花火大会も日本には存在しますが、元々は江戸時代に飢餓や疫病の退散を祈願した鎮魂の意味を含んでいます。またコロナ化に於いては医療従事者への感謝の意味を込めた意味も含まれるようになりました。日本人の中には元々心静かに花火の変化を楽しみ、刹那的花火の楽しみ方だけではなく、花火が姿を変え散りゆきその姿が無くなってもその余韻を楽しむ日本人独特の感性が存在することが世界的に誇れる文化だと思うのです。
打ち上げ花火や仕掛け花火の他に手持ち花火を愉しむことこそが、日本人の感受性の豊かさを象徴していると思うのです。百花繚乱の花火の中に儚さや切なさを感じ、手持ち花火の質素な光の揺らぎを愉しむ繊細さも持ち合わせているのが他の民族と異なる感情の豊かさだと思います。
派手な音のない世界の中で刹那に終わる花火が、夏の終わりをあたかも告げているかのように感じ取る想像力を子供達にはぜひ身につけてほしいと思うのです。
ヒュー、ヒュルル、シューと静かな音を立てて打ち上げられた一発の花火が、静寂を切り裂いてドーンと大きな轟を響び聞かせたかと思うと夜空一面に豪華絢爛に彩りどりの大輪の花を咲かせ、あっという間に夜のキャンパスから消え去る姿を子供達にしっかりと感じ取り、儚くも繊細でその美しさの残像が子供の心の中に優しさとして残る機会を与えてほしいのです。
花火は観る人の心情に左右されるといいます。花火の美しさに心躍ることや夏の終わりを感じ寂しさを感じる、お盆で見た花火が先祖に対しての気持ちを掻き立てているかもしれませんし、恋人どうしなら夏の良い思い出になるかもしれません。
子供達が毎年花火を見ることでさまざまな感情を抱く心の余裕がある人生を送ることができるのが花火だと思うのです。ただ綺麗だなと眺める思いから図形的や色彩的に観察することに移行し、その美しさを表現してみたいと実行し、花火の美しさに自分自身の体験をオーバラップさせ感情や感性を豊かにするなど歳を重ねるたびに成長してほしい物です。花火を見聞きして想像力豊かになることで物事の真髄を自分自身の内なる部分でみることができる人生を作ってくれることを願っています。
我が家から毎年打ち上げを見ることができる花火です。静かな音で打ち上げられた花火が時間と共にこれでもかと続々打ち上げられる音に愛犬は吠え立てまくり、その様子に音楽を思考しヘンデルの王宮の花火の音楽序曲やトラヴィンスキーの花火、メンデルスゾーンの夏の夜の夢と色々考えますが、やはりそこは花火の音だけで情感豊かにその終わりを迎えなければとと最終的にそう思うのです。
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