偉人『宇野千代』

20代、30代のお母様方に宇野千代氏の名言を話すと「誰ですか?」と逆質問を受けるようになった。そうか、彼女を知る若い世代も少なくなってきたのかと思えば、瀬戸内寂聴氏と間違えている方も・・・両者ともに自由奔放に生きてきたという点については共通しているが、両者の区別がつかないということは勿体無いように思う。

宇野千代氏は作家であり、編集者、着物デザイナー、実業家として大正・昭和・平成にかけて活躍した恋多き人物である。

私と偉人との出会いは多くが作品からであるが、宇野千代氏との接点は彼女が綴った作品ではなく、マンションのオーナーさんであった。いつもラフな格好をしていたオーナーさんが春を先取りした淡い桜色の着物を召していた。その後私が引っ越すにあたり宇野千代氏プロデュースのお重箱を頂戴した。自分自身では買うことがなかったであろうそのお重箱は、春のお花見に限らず子達の運動会や遠足などと行事の度に活躍してくれたものである。このような出会いで宇野千代氏を知ることとなり彼女についてアンテナを張ってきたのである。

折に触れて宇野千代氏の名言に触れてきたのであるが、自由奔放に自分自身の素直な感情のままに行動してきた彼女の言葉の中には、男女の恋に関するものや自分自身を修めるために生み出したような名言が、実は子育てにも共通するものが多くあることに気づいたのである。今回はその言葉を皆さんに紹介する記事としたい。

一つ目の名言を取り上げる。

「幼い頃、大人たちからたくさんの愛をもらって育った子どもは、大人になった時、真に人を愛することができる。逆に愛情薄く育った子どもは生涯愛に飢えて生きる。」

宇野千代の実母は彼女を産んで一年半後肺結核で病死している。そして父は娘と一回りしか年の離れていない女性と結婚する。その継母との関係が先の言葉を生んだのである。

世にいう継母との確執的なことは無く、継母は先妻の子供である千代と実子らと目にみえる格差をつけた取り計らいをしたのである。それは童話のはいかぶりひめ(シンデレラ)のようないじめではなく、一番美味しいものを千代に食べさせ、お風呂は一番風呂だったという。継母との良好な関係はやがて異母兄弟への慈しみをを育み、側から見ていてもその兄弟愛は羨ましく思えたという。

宇野千代が語った先の言葉は実感のこもったものである。この言葉から私たち母親が学ぶことは、自分自身の子供はもちろんのこと他人様の子供を我が子同様世の中を背負って立つ未来の子供達の人生に愛情を注ぐべきである。

二つ目の名言である。

「幸福せのかけらはいくつもある。ただそれを見つけ出すことが上手な人と下手な人がある。」

この言葉は私も日々実践していることである。毎日父を思い数度涙を流してしまうが、この涙は父が私に注いでくれた愛情の証であり父との思い出の数であると気持ちを切り替え、笑える思い出に立ち返りまた気持ちを切り替えている。幸せの中にある間は本当に幸せなことに気づかないことが多いが、どのような状況に置かれても幸せのかけらを見出すことができるような人物でなければならないと宇野千代氏に叱咤激励をされているようで、この言葉で気持ちを切り替えまた前を向くのである。

小さなお子さんとの生活の中で忙しさや思い通りに進まないことに苦労したり悩んでいる方もおられるであろうが、子育てという時間はそう長くはない。そして子育てが終わり「こうすればよかった」と振り返ってもどうすることもできない時間である。時間も足りず悩みも多い時期だからこそ見方を変えれば、幾つものたくさんの幸福のかけらが存在していることに気づく事ができる。その目線を変えることで気づける幸福を逃さない人がいわゆる充足感を味う事ができ、人として親として成長できるのだとお母様方を見ていて感じる。不平不満を言って心を曇らせるよりも視点を変えることで新たな見方ができる生き方をした方が素晴らしい人生が待っている。


宇野千代氏の父は博打に競馬と放蕩ぶりが収まらず、子供に対しては非常に態度が厳しい人物であり、雪の日に草履は腐っても足は腐らないと言い切り素足のまま学校へ聞くよう命じた峻厳極まりない人物であった。そんな厳しい生活の中でも千代は弟や妹の面倒を見ながら小さなお母さんと自分を誇らしく思っていたという。もしかすると家庭内には父VS千代・継母・異母兄弟の構造ができていたのではないだろうか。父が没した後は、近所の人がお悔やみを伝えた後にこれから気楽に生活できるのですねと言われ、継母と共に浪花節を聴きに行った幸せを見つけたという。いろいろな家庭環境があるが人生の幕が降りる瞬間に彼女の父のような評価を他人が口にするような人生だけは送りたくないと思う。

だからこそここだけはやり切ったと言える人生を送る事ができるように、それぞれの心の持ち方で幸せのかけらを見つける努力をすれば心穏やかに生きて行くことできるのではないだろうか。


最後は以下の二つの言葉である。

「愛とは関心を持つこと。手入れが必要である。手を掛けないと愛は枯れてしまう」

「最も身近な人を幸せにすることは最も難しいことである。それ故に最も価値のあることである。」

これら二つの言葉はお母様方の中に刻み込んで日々過ごして欲しいと思う。

千代の「手を掛ける」と言う表現を「愛情を示す言葉を掛ける」に置き換えることで子供が愛されていることを実感し、自立行動ができることに繋がるとこれまでの経験から断言しておく。愛情のある言葉は身近な人を安心させ勇気付け元気付けることができのである。母親としては子供を育てるには労力も時間も心配りや気配りをかけ、自らのことは後回しにしている。その中で前向きな言葉を掛けると言うことが難しいこともあるが、そういう状況にこそ気持ちを奮い立たせ大切な人のために生きることは最も重要な人生だと考えている。そのことを価値あるものかどうかは人生の幕を下ろす直前や直後に明らかになるであろう。


今回は恋多き宇野千代氏の名言を子育て目線に置き換え焦点を当ててみた。偉人の名言は色々な立場から解釈することも面白いものである。機会があれば彼女の人生を別の切り口から記事にしたいものだ。



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