偉人『フランソワ・ポンポン』

日本に於いて『フランソワ・ポンポン』この名前に聞き覚えのある人はどのくらいいるだろうか、そしてどのような人物をイメージするだろう?可愛らしい女性?それとも小さな女の子?

色々なことを知っている夫に投げかけてみると「フランソワ・モレシャン?」と言い返してきたくらい知名度が低いのである。今週は動物というテーマで記事を書いているので動物を愛した彫刻家フランソワ・ポンポンを取り上げることにする。彼の作品は子供達の観察眼を育てるためには良い作品ばかりなので是非とも親子で画集を見たり、実際の彫刻を県外で見て欲しいと思う。


フランソワ・ポンポンは19世紀後半から20世紀にかけて活躍した遅咲きの動物彫刻家である。

彼が一躍有名になったのは1922年67歳のサロン・ドートンヌに出品した長さ2.5mの石膏でできたシロクマである。その滑らかでしなやかなシロクマは、生命力あふれる堂々とした力強さを持ち革新的な作風を表現できたポンポンの傑作である。この作品で彼はやっと高い評価を得たのである。

現在この作品はフランスのオルセー美術館にあり、ご覧の通りシロクマ特有のどっしりとした風格があると同時についつい手で触ってなめらかな感触を確かめたくなる作品でもある。実際の動物を写実的に表現しようとすれば毛並み一本一本を忠実に彫らなければならないのであろうが、輪郭を有する曲線以外のもの全て削ぎ落としたシンプルかつ大胆な作風である。野生動物という荒々しさはなく、彼の動物に対する想いがこもった優しさあふれるものなのだ。

もう一つの代表作である『フクロウ』も羽を纏っているような姿で、今にも大きな目を動かしてこちらの様子を伺ってきそうなほどである。ブロンズの滑々とした感触を味わえるようでもあり温もりさえ感じさせてくれる作品だ。

1855年5月9日フランス・ソリューの木工家具職人の息子として誕生し、父と共に働きながら大理石の職人の見習いとしても働き、そこで彫刻の基本に触れることになった。

墓石工房の大理石職人として務める傍ら彫刻を学び始め、1876年21歳でパリの芸術名門校の国立美術学校エコール・で・ボサールの夜間課程に在学し、そこで動物彫刻家のピエール・ルイ・ルイラードに師事し彫刻のみならず建築も学んでいた。その後彼は普仏戦争後の復興のために技術職人として彫刻の仕事で生計を立てることになる。


その後近代彫刻家の父であるオーギュスト・ロダンの元で助手として働き無名のまま日々を過ごしていた。

しかし1890年に入り動物彫刻に魅了され日本やエジプト美術のシンプルでありながら神聖な彫刻に影響を受け、これまでのリアリズムからシンプルで現代的な作風に舵を切ったのである。多くの作品を助手と製作していたロダンの工房から自立することはできず、ロダンの死後に独立を果たしようやく自分自身の作品と向き合うことになったのである。ロダンが長生きしていたらポンポンはロダンの影に埋もれ名を残せなかったかもしれない。

なぜ彼はロダンから離れることができなかったのであろうか。寄らば大樹の陰で力のある彫刻家に頼り生活の安定を図ったのか、それとも芸術家として認められなかった彼を即起用したロダンに恩義があったからか、それともロダンを尊敬しすぎるあまり自分の才能に気づかなかったのか、はたまたロダンから離れることができない何らかの理由が他にあったのか・・・いずれにせよ彼は遅咲きながら自分自身の道を見つけることができたのであるから、カミーユとは比べ物にならないほど幸せだったのかもしれない。

屈強で人間を襲いかねない野生動物を愛らしく思わず触りたくなってしまうほどの慈しみ感を持たせてくれる彼の彫刻は、鑑賞した後にほのぼのとさせてくれ充足感を味合わせてくれる。そんな優しさや幸福感を表現できる作品を生むフランソワ・ポンポンとはどんな人物であったのだろうか。

これまでに子供の置かれる環境がその後の人生に深く関わっていることは、私のブログを読んでいるのであればお分かりだろう。ミケランジェロが石切場で石を切り出す大きな音を聞いて育ったからこそ、あの荒らしくも力強い作品を生み出し性格もまた大変気難しい人物であった。またアントニオ・ガウディのように幼少期に病気がちで自立歩行が難しい幼少期を送れば観察眼に秀でた能力が生まれる。またロダンのように発達課題を抱えていたにもかかわらずその特性を活かそうと身近な大人が関われば彫刻家のパイオニアとして名を残せるのである。

彼の育ちに関する文献を何一つ見出せていないので全てが勝手に想像することになるのであるが、15歳で親元を離れて自分自身の道を歩むことができたのは職人としての父の姿を見て、自分自身のすべき道を探し当てたと考えると同時に、彼の作品から読みとることができる動物から滲み出る優しさから判断すると、乳幼児期に愛情を持って育てられていたのであろうと勝手に想像する。人格形成において満たされた乳幼児期を過ごしていたのではないだろうか。

フランソワ・ポンポンの作品を鑑賞するときにさらっと通り過ぎてしましそうになるかもしれないが、実はそのシンプルなまでの作品に到達するには遅咲きの彼が多くの時間をかけて作品を生み出しているはずである。もし私が彼の親ならこう言うだろう。「人生早いも遅いもない。有名か有名になれなかったではなく、いかに自分らしく心を込めて一つのことに向き合ってきたのか、それこそが君の人生の価値そのものだ。」と。もし彼の作品の前をただただ呆然と通り過ぎる人というのは、見えるものの奥にある本当の見えないものを見る、読み解く力を想像力という力を持って鑑賞してほしい。すべての物事に向き合うとき表面的なものではなく、その一歩奥に存在する見えないものを心で感じることができるように子供を育てて欲しいとただただそう思うのである。

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