偉人『クレオパトラ7世』

今日は3月3日桃の節句、そんな日に相応しい偉人は誰かと白羽の矢を立てたのがクレオパトラ7世である。イエス・キリストが誕生する50年も前の古代エジプト・プトレマイオス朝の最後の女王である。

歴史の表舞台に立つクレオパトラは世界三大美女の一人であり、英雄二人をその美貌で骨抜きにした魔性の女や男を翻弄した怪しい女王として取り上げられることが多かったが、彼女の人生を紐解けば解くほどエジプトを愛し人生をかけて最強国ローマからエジプトを守ろうと戦った人物でもあることが分かる。今回は兄弟姉妹であっても互いに蹴落とし蹴落とされるような王族の立場の中で彼女が国を率いる立場になぜなれたのかを考えてみたいと思う。

今回は大いに脱線しながら彼女の人生を断片的に紐解いてみたい。

フランスの哲学者パスカルの有名な言葉で「クレオパトラの鼻があと1cm低かったら世界の歴史は変わっていた。」という名言をご存知だろうか。紀元前40年ごろに制作されたこの世頭部はベルリン美術館にあるのだが、余りにも高い鼻を揶揄しながら男を操ったファラオとして扱うには大変もったいない話である。

教室では乳児期からの思考の促しで言語性の高い能力を持つ子供達の育成を担っている一面があるのだが、幼児期に小学校2年で学ぶ長さ学習に際し、パスカルのこの言葉を取り上げて1cmは小さな長さではあるが、重要なことに大きな影響を及ぼす可能性があるという現代的考え方を子供達に理解してもらおうと取り上げている。初めてこの話を聞く子供達はきょとんとしているのだが鼻が1cm低いということはどのようなことなのか実際にものさしを自分の鼻に当ててみるのである。自らの鼻の高さを計りその高さを紙に記し、そしてそこから1mmを刻みながら変化する様子を確認していくのだがそんな道草に近い遊びをしながら、クレオパトラという世界史に登場する名前をインプットしていく。子供達の柔軟な頭脳は必ずその名前を見聞きするたびにいろいろな情報を上書きしていくに違いない。いつの日か教室でこんな遊びをしていたなと思い出しながら世界史の扉を開けてくれることを期待したい。


では脱線した話を戻していこう。これまでの世界的流れで女性が世界を統治した歴史上の人物は多くはない。その中でも世界的に飛び抜けて有名なのがクレオパトラ7世なのである。昨今の説の中ではさほど美人ではなかったとの説もあるらしいが、彼女が世界最強国の英雄二人と子供を設けるまで親密な仲になり、エジプトを守ろうとしたクレオパトラは単なる絶世の美女ではない。あまり知られていないことだが他言語を多く習得し、文学、哲学、政治、軍事、天文、歴史を学び、社会的コミュニケーションにも長けていたといわれる知性の持ち主であったがゆえファラオとして君臨できたのであろう。私にも憧れの友人がいるが彼女の知性や教養に追いつけ追い越せで様々なことに関心を持つようになったのである。その友人との会話は奥深くて泉の如く湧き出る話が尽きることはなく、ついつい時間わ忘れて話し話した後は仕事に追われる始末であるがそれでもその充足感に後悔を一度もしたことはない。おそらくカエサルやアントニウスも私と同じ会話が尽きない楽しい時間や感情に浸り、クレオパトラ7世に尊敬の念も寄せていたのではないだろうか。

三度脱線した話を戻すこととしよう。

彼女の一族はギリシャ系マケドニア人でありエジプト人ではない。エジプトを治めながら公用語をギリシャ語で一族の中でエジプト語を話せていたのはクレオパトラ7世のみであった。彼女はエジプト人の乳母から言葉を学び、好奇心は止まらず父プトレマイオス12世は彼女に多くを学ぶことを許し、国を治めるファラオになるよう言い聞かせて育てていたのである。当時エジプトには世界中の書物を集めた図書館や学者までも集めた学問研究所ムーセイオンがあり、地中海の学問の中心地でもあった。父プトレマイオス12世は先祖が作ったこの文化的場所を誇りとするように彼女に伝え、「金銀財宝は奪われ人間や国が滅びたとしても人類の叡智に滅びはない」と伝え彼女の学びを最大限に後押ししたのである。

現代はネット社会でなんでも検索をかければ欲しい情報がすぐに見つかり、自分自身の思考をより筋道を立てて行うことができず一部分を切り取る思考の仕方をしておられる方が多いように感じるが、読書をするご家庭の親御さんと子供達の思考力には確かなものがあると感じている。例えば何が違うのかであるが、ネット社会での情報は断片的で情報の孤立化が著しく様々な関連性を辿ることができない、一方読書で得た様々な情報はあらゆる思考に繋がりやすく視野や思考の幅が格段に広がるため物事を考え捉える場合に否が応でも様々な情報を処理する能力がついてくるのである。現代人にご都合主義の考えが蔓延っているのも情報の断片をより簡潔にまとめているからではないだろうか。クレオパトラ7世が幼い頃から新しいことを知る喜びを貪欲に求め、多くの書物に触れていた経験がある種彼女が生きていた時代のエジプトの繁栄と彼女が没してからのエジプトの衰退を物語っているようでもあり、現代の家庭環境の読書の世界と大変類似しているように強く感じている。親御さんが読書をしている環境で育ち子供達もまたその環境に身を委ねる場合は子供達の習得能力は半端なく高い傾向があり、そうでない家庭で育った子供達の力とは明らかに差がある。よって叡智の差が広がるのは当然至極致し方ないことなのだ。


話題をクレをパトラ7世に戻そう。

彼女は他国語を多く学ぶ理由を「他国の使者との会話を従者に頼るのではなく、自分自身が直接話すことで人間関係を構築するのだ」と語ったのである。事実ギリシャ語に加えエチオピア語、シリア語、アラブ語など9ヶ国語を自在に操り、あのカサエルに援護を頼みに絨毯に巻かれ現れた折、カサエルがギリシャ語での会話を行おうとするとどのような言葉でも話せることを伝えた上でその理由をこう述べている。「その国の言葉で話すことで誤解や揉め事、争いを自分自身の知識で回避できる。よって多言語を学ぶに越したことはない」と。

ヨーロッパ全土、中東やアフリカの一部までその勢力を伸ばしていた最強国ローマの将軍カサエルが、単に絶世の美女に惑わされたのではなく、彼女の2年間に及ぶ軍事と経済政策を評価し、知性と教養の深さ豊富さに心奪われるのは必然であったのだ。世界を統一して争いのない世界を作るという野望を抱いていたクレオパトラ7世とカサエルの夢は実現しなかったが、現代人が彼女から学ぶこととは、人間は上部だけや見てくれだけではなく、学ぶことがいかにその人を豊かにするのかということなのではないだろうか。今回は桃の節句ということで教養高い女性としてクレオパトラ7世を取り上げたのであるが、余りにもネット社会からの断片的な情報の取得を繰り返し、本筋の子育てや人間関係の構築を行えないようなことでは大切な何かを見失うことになることがないように、クレオパトラのように多くの読書で本物の子育て、自分育てとは何かを学んでほしいと願うばかりである。

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