偉人『サンドロ・ボッティチェッリ』
15世紀のイタリア・フィレンチェはヨーロッパ一豊かで美しい芸術をこよなく愛し大輪の花を咲かせた街であり、ルネッサンス期の画家や彫刻家を排出した美の街でもある。その芸術家の中の一人であるサンドロ・ボッティチェッリをを今回は取り上げる。
彼の名前は知らずとも彼の代表作品を目にしたことがない人は少ないであろう。今でこそ彼は世界的にも名を知られるようになったが、実は長いこと闇の中に埋もれていたのである。彼が世に再登場したのは19世紀後半、イギリスの批評家ランキンスやルネッサンス期を見直そうと立ち上がったロセッティやラファエル前派の画家たちのお陰である。もし彼らがいなければあの芸術界初のヴィーナスは未だ日の目を見なかったであろう。
彼のデッサン力の確かさを持ちながらも技量とは真反対の自分自身の中に思い描いたものをありのままに描いた『ヴィーナスの誕生』がなぜこんなにも人々の心に留まるのかを考え、今回は子育てに於いて基本とその基本をもとにした自由な発想で子供を伸ばすことについて考えてみようという提案である。
1445年3月1日イタリア・フィレンチェでの皮のなめし職人であった父マリアーノ・ディ・ヴァンニ・フィリペーピと母の4兄弟の末っ子としと誕生した。兄は金細工職人でボッティチェッリも金細工の手解きを受けていたとかいないとか、他の手工業に従事していたと言われるが定かではない。しかし彼のその後の活動が明白なのは19歳以降である。これもまた彼の類なる絵画センスに驚いた父が絵の道を進むよう進言したとかしないとか、一般庶民であるがゆえ定かな記録は残っていない。
しかし19歳で画層のフィリッポ・リッピの工房で修行をしていた記録は残り、その工房を出た後ヴェロッキオの工房にも出入りした。そこで7歳年下のレオナルド・ダ・ヴィンチと共に修行し、レオナルドの手記にボッティチェッリの名前が記載されていることも注目を浴びるきっかけになった。
この作品を見れば遠近法が使われていないことやビーナスの首が長すぎること、極端なまでの撫で肩など絵画の技法については基礎がなっていないと言われても仕方のないことであるが、彼が描き出したかったのは正しい姿を描くのではなく、自分自身の頭に浮かんできたありのままを純粋に表現したかっただけなのだろうと考える。これまで趣味で多くの画家の人生を読み解いてきたが彼らに共通することは、自然や人間、ものなどありとあらゆるものをありのままに忠実に描くことを行なっていることである。その後自分自身の持てる力や発想を頼りに芸術作品の制作に邁進しているのであるが、古代ギリシャ時代には描いてきた裸婦像が、キリスト教会が絶対的権力を持った中世以降は女性の裸婦像を開花後主題にするのはタブーとされた。ボッティチェッリはその中世後期に活躍し、時代が人間回帰的な人間讃歌を迎え彼なりに境界を軸にした考え方と芸術家としての折り合いをつける作品に仕上げることを考え抜いて足掻いた作品であると考えている。彼の場合、人間讃歌のルネサンス期という時代とメディチ家という大きなパトロンの存在によって成し得たことかもしれないが、自分自身の表現として生み出す力が圧倒的に強かったのだ。本来であればその凄さを解説したいところではあるが、今回は人というテーマで記事を記しているので説明はできないが、子供の絵画や文学的センスを磨くという点では大変興味深いものがあるため機会があれば論じてみたい作品である。
また彼の黄金期の作品といえばこの『プリマヴェーラ(春)』である。ボッティチェッリや数多くの芸術家たちののパトロンでもあり、商人や職人の町であったフィレンチェを芸術の都にしたメディチ家を象徴するオレンジをこの作品の背景位に多く描き、フィレンチェやメディチ家、そしてルネッサンス期を高らかに歌い上げた作品であると言っても過言ではない。残念ながら絵画は宗教や政治からも切り離せなかったようにこのフィレンチェもまたイタリア全土を支配しようとするミラノ大公の脅威からフィレンチェの自由と平和を守ろうと市民意識を高揚させ美術革新も起こさせた背景がある。時代が混沌とすればするほど自然回帰を求める人間の性は今も昔も変わらなく存在することを芸術からも読み取ることができるが、本来ボッティチェッリが描き出したかったのは、オレンジがたわわに実のる愛とファンタジーの世界である。
しかし彼は絵画的基礎や技術を無視した作品を描いたのではなく、実は彼の卓越した線描を用いて優美な人物像や背景の細部を繊細な描いている実力があったからこそ何百年も絵画歴史の中に埋もれながらも日の目を浴びた途端その洗練されたボッティチェッリの筆使いが輝きをまし現代人に受け入れられているのである。彼の名は知らぬとも彼の作品を一度は目にしたことがあるという人々が存在することこそがボッティチェッリの底力なのだ。
さてまとめに入ろう。
今年当教室で最終年度を迎える小学校2年生がおられる。とても意志が強く親御さんは日々彼の成長をどうすべきか悩ましくお考えのようであるが、ここ数ヶ月で漢字の書き取りをした文字に劇的変化が生まれている。とにかく美しいのである。そして彼の書き出す作文が躍動的で読んでいてもワクワクしたり、手が止まらずに次々と書いている様子は楽しそうなのである。
しかし親御さんは親御さんで悩み多くご家庭内で小さな小競り合いが続いているようなのだ。書道を習っていない子が大人顔負けいや手本に劣らぬ美しい漢字を書いているのだから、ものの形を捉える力を認めて「はらい、とめ」の注意を前向きに捉えられるように促せばもっとやる気が出るであろうと思うのであるが・・・ものの形を捉える力のある子供に真っ向から違うと注意するのではなく、その自尊心を傷つけずにやる気になることを言えるようにするのが親の学びである。基礎ができている子供に基礎をやり直せと頭ごなしに伝えるのではなく、『あなたの素晴らしさはここにある。だからこの力を持って新しいことを学んでみないか』と舵をきってみたらどうであろうか。
サンドロ・ボッティチェッリの晩年は自分自身の素晴らしさを宗教的な考え方で全停止させ、黄金時代に書き上げた作品を焼き払うなどの行動に出た人物でもある。もし彼が何の支配も受けずに自由に創作活動ができていたなら絵画の歴史も大きく様変わりしていたのではないかと思うのだ。
子育てに於いても親の良かれと思っている行動が、実は子供の成長に足枷になっていたりはしていないだろうか。今回はそのことを伝えようとフィレンチェの黄金期の立役者の一人である彼サンドロ・ボッティチェリを取り上げた。
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