偉人『アルキメデス』
オーダーメイドのレッスン形態を行なっているため幼児であっても円周率に進んでいる生徒が毎年数名存在する。円周率が発見された状況を説明するにも幼児相手には大変難しいことであるが、円周率を発見した人として『アルキメデス』がいたこと、そのアルキメデスがその円周率をどのように発見したかという説明が理解できなくてもいくつかの言葉(π、3.14159・・・、無理数、正6角形、正96角形・・・)を子供達の頭の中にお土産として置いてこようと努めている。なぜ今回アルキメデスなのか、8月18日の『大きさを測る2広さ』(記事はこちら)でその週の偉人のアルキメデスが来るのかもと思われた方もおられるであろうが、予想を覆そうという狙いで今日取り上げることにしたのだ。理由は簡単である・・・アルキメデスは面積と物体の体積を求める方法に大きな貢献をしたからである。
3大数学者のうちニュートンやガウスがいるがその中でも一人超天才なのがアルキメデスである。4年に一度の数学界のノーベル賞のフィールズ賞のメダルに刻まれているのがアルキメデスであることもちょっとした知識として覚えておくと良いだろう。
アルキメデスは元前287年ごろの古代ギリシャの数学者、物理学者、工学者であり、彼の功績は浮力の原理、レバーの法則、円周率の近侍値の発見、軍艦を動かすパワーアップの支点力点作用点のてこの原理を発見するなど様々な偉業を成し遂げている。また子供達の学習テーマに則した物体(球や円柱など)の体積を求める方法にも大きな貢献をしたのだ。
今回は冒頭で彼がなぜ天才となったのかを提示しておこう。
アルキメデスはシチリア島のシラクザで誕生した。父フィディアスは天文学者で常に数学と星に囲まれた家庭環境で育つ。天文学と数学は当時密接に関わっていた分野であり、このことからアルキメデスが幼少期から科学や数学に親しんでいた可能性が高いと言われている。
また誕生したシラクサは当時強力なギリシャ都市国家で、アルキメデスはこの中でもかなり高い地位の家庭であり知識階級の家に生まれており、後にエジプト・アレクサンドリアへ留学し、あの有名なムセイオン(当時最高の図書館とされるアレクサンドリア図書館)で多くのことを学びユークリッドやエラトステネスらと交流もあったエリート集団の一員であった。つまり最高の教育を受ける環境が整った裕福な家庭だったと言える。
彼の学びや研究、そして発見したものは古代ギリシャの知識と技術の最高到達点を示し、科学と技術の進歩に大きく影響を与えたのである。また一部ではアルキメデスはシラクサ王ヒエロン2世のために発明したものが多く、一部の研究者は彼が王族の親戚だった可能性も示唆してい流。いずれのしてもアルキメデスの功績は現代の我々にも大きく関わっているのだ。
では彼の育ちや教育環境がわかったところで学問への向き合い方や彼の性格及び人間性をそうぞしてみようではないか。彼を語るに有名な逸話「アルキメデスの原理」では冠の純金性を調べるために水の体積の変化を観察した浮力の法則を発見したエピソードが写真入りで取り上げられることは多い。王が金細工しにつくらせた王冠が銀を混ぜてつくられていると密告がありそれを受けてアルキメデスに王冠をそのままに混ぜ物が使われているか否かを証明せよと名額だったのである。入浴中にに浮力の法則を思いつき混ぜ物が使用されていることを証明したのだ。「エウレカ!(わかったぞ!)」と叫びながら裸で街を走ったことはである。
これらのことからアルキメデスはいかなる時も常に問題を考え解決方法を思考し探り結論を導き出すことに長けていたことがわかり、その解決策が閃いた途端感情を抑えられないほどの情熱があり、深い探究心と学問にまっしぐらな一面を持っていた人物である。
次にアルキメデスの秀でている所は、桁外れの非常に高い集中力を持っていたことである。
ローマ軍がシラクサを包囲していたとき、アルキメデスは自宅で数学の問題を考えており外界で何が起きているのかさえも察知出来ないほどの集中力であった。そしてローマ兵が家に入ってきたとき、地面に描いた図形を使って問題を解いていたアルキメデスがローマ兵に邪魔されたくなかったという理由で「私の円を壊すな」と語ったのだ。今まさに自分自身の命の危険が及んでいるときにこのような発言ができたのは常人ではない彼の突出した学問への想いの現れである。
アルキメデスは王たちや政治的権力者に重用された。シラクサ包囲戦では200メートル離れた敵戦を攻撃する投石機やローマ船艇の先を持ち上げて沈める鉤爪(かぎづめ)などで敵軍を撃退するための奇抜で効果的な兵器を数多く設計している。つまり彼の生み出したものは実戦で活用できるものであり机上や空想や創造で役に立たないものではなく実用的なもので戦略的にも長けた人物であったと言えるだろう。しかし多くの天才に共通することである地位や名誉また金銭に捉われることのない、ただただ純粋に学問や知識の追究に人生を捧げた人物なのだ。
このような人物であったからこそ紀元前の人物が現代にも大きな影響を与え進歩を真たらすことができた学問の真理追求が成し得たのであろう。
ローマの将軍マルケルスはアルキメデスを捕虜として生かして連れてくるよう命じていた。しかしシラクサ陥落の混乱の中であるローマ兵がアルキメデスに出会い、彼が地面に描いた図形に夢中になっていたため命令を無視したと勘違いしその場で殺害した。あっけない幕切れであったのだ。彼の残した最後の言葉「私の円を壊すな」はまだやり通せていない道半ばだった心情を汲み取ることができる。子供達にも学問の奥深さをアルキメデスが導き出した体積や面積の計算式を紐解きながら数学の醍醐味を味わってほしいものである。
0コメント