絵本『セロ弾きのゴーシュ』

今週は読書や文学に関することをテーマに記事を書く予定のため絵本は日本を代表する宮沢賢治の作品『セロ弾きゴーシュ』を取り上げる。

言わずと知れたこの宮沢賢治作品の中では比較的ストーリー展開が明確で読みやすい作品と思いますが、それでも用事が読むには難しい作品でもあります。しかし読書の秋ということもあり、我が家のように場面設定ごとに数日に分けて読んでみるのも乙なものです。

子供達が読むにあたって幾つかの言葉を解説しなければなりません。たとえばタイトルにあるセロ=チェロであること、楽団=オーケストラ、楽手=楽器演奏者(陸軍軍楽隊の下士官)、楽長=楽団長(指揮者)、糸が合わない=音程が取れていないなど細かくみると多いように思います。また以下の絵本の挿絵にある楽団が入るピットについても説明しないといけないでしょう。

宮沢賢治自体が大のクラシック好きだったこともあり作品の至る所にその要素が顔を覗かせています。例えば三毛猫が弾くように望んだシューマンのトロイメライは実際に存在する曲ですが、第六交響曲は誰のものかは明記もなく、不協和音がなりそうな『インドの虎狩り』や『ジャズの愉快な馬車屋』なども架空のもので宮沢賢治が後世に残した創造の種を残しているようで子供と共に想像しながら難しい絵本を楽しみに買える音遊びを取り入れるのも良いかと思います。

さてこのような一見難しい絵本について主題は何かと問われることがあります。あまり絵本の主題を語りたくはないのですが、宮沢賢治の伝えたかったことは一つではないような気がします。私なりの解釈としては読み手の数だけ学びがあるのが宮沢作品の特徴で、期待されない凡人がその凡人なりに努力を重ねることの重要さ、時には何か一つを突き詰めて転職としている読み手であれば昼夜を問わず打ち込み成功を果たす物語であったり、人間生み出す優劣の浅はかさ、人間と動物の対等性など捉え方はいろいろあると考えます。

人間と動物の奇妙な世界観のある作品ですが人間のギスギスとした不安定な描写が結末では穏やかに謝罪する心境の変化で着地する様は、人間が人間らしく存在するためにはゆとりを持って生きることの重要性を知らしめ、我々は人間だけではなくこの世界で生きているもの全てから学ぶべきではないだろうかと問われているように感じている。さぁ、皆さんがどのようにこの作品を解釈したのかもお聞かせいただけたら幸いです。

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