提案『平和教育について』

今年も6月23日慰霊の日がやってきます。ブログ内容を展開する前に、沖縄戦でそして世界各地の戦争と紛争犠牲への哀悼の意を表すと共に、現在も戦禍で苦しんでおられる方々が一日も早く平和な日々を取り戻すことを心から願います。


私には祖母がポツリと言った忘れられない言葉があります。

もし世界各国のリーダーが女性であり母親であれば戦争なんて起きないかもしれないね。」

祖母はその言葉に『誰が好き好んで産んだ子供を戦場に送り出す母親がいるだろうか』というような意味を含ませていたのだろうと思います。15年ほど前でしょうか鹿児島知覧町の特攻平和会館で見た特攻隊員たちの手紙が忘れられません。母上様、お母様で始まる手紙を読んで胸に詰まる思いが涙となって流れてしまうほど切なく悲しいものでした。時代背景からすると女性や母親が軍国主義に逆らえる時代ではなかったかもしれませんが、家族を守るために立ち上がらざる得なかった若人の命を守れたのは母親や女性だったかもしれません。

偽善的で非現実的且つ理想論できれいごとに聞こえるかもしれませんが、戦争から後悔することはただ一つ命を守る方法があったのではないかに尽きるのではないでしょうか。そう考えると小さな子供を持つ親がすべきことは、親自身も平和とは何か考え子供に平和とは何かを教え導くことではないでしょうか。

『戦争とは何か』『なぜ戦争が起こるのか』『戦争は止められないのか』『戦争を早く終わらせる方法はあるのか』『対話での解決は本当にできないのか』『なぜ平和について国内でも温度差があるのか』『平和憲法9条の意味とは何か』『海洋進出を行う国の狙いとは何か』『なぜ人類は同じ過ちを何度も繰り返すのか』戦争に関することを考えるとキリがなく、このような質問が出てくるのは小学校以降だと思います。

しかしこのようなことを幼児に教育するには大変難しいことであり、場合によっては怖さを植え付けてしまい就学後の戦争に関することを含んだ平和教育を直視できないことになる可能性もあります。よって幼児期や小学校低学年の子供たちへ直接的に戦争に関する平和教育は慎重に行うべきだということを先にお伝えしておきます。戦争から入る平和教育ではなく、平和から入る平和教育を目指し自分自身の命と向き合い自分自身を尊ぶことからスタートし、家族や友達をはじめ自分自身と関係する人々をも尊ぶ事ができるように育てていくことこそが、本当の意味での平和教育ではないかと思うと同時にこの平和教育は平和な時代だからこそできることだと親が認識すべきだと考え幼児期の平和教育を提案します。



1、子供自身が唯一無二の存在であることの自覚

自分自身の命を大切にできる子供は相手の命も大切にすることができます。そのためには子供自身が愛情を受けて育ったという自覚が必要になります。私は子供たちに十月十日期待を胸に無事に生まれてくることを願い過ごしてきたこと、そして心身共に元気で過ごしてほしい旨を伝えながらかけがえのない存在であることを伝えました。自分の命を大切に考える事ができる子供は、自分も他者も生きとし生けるものの命の重さを感じる事ができます。平和とは何かの根底にあるものは命の意味を理解するということではないでしょうか。



2、友達と仲良くすることの重要性

平和をテーマにする子供達の作品を目にする事がありますが、地球を中心にその周りを世界の子供達が手を繋ぎ取り囲んでいるというような表現作品があり、また子供たちに戦争が起きないようにするためにはどうすべきかと質問をすると必ず「仲良くする」という答えが返ってきます。子供たちに保護者や保育者は『お友達と仲良くしましょう。』と教えます。

その言葉の真意は相手を理解すること、そして相手を受け入れる受容、最後に相手に共感することをです。これら3つはそう簡単に獲得できるものではなく、子供同士間で時間を掛けじっくりと育てていくものですが、友達と仲良くする以前に親子間でこれらの力を獲得しておかなければならないことを付け加えておきます。肯定的な発言や行動で子供に接しておけば子供もまた友達に対して親と同じ発言や行動で接するようになるのです。友達との関係は親子の間の凝縮であることも認識しておきましょう。



3、多種多様な事柄があることを自覚する

多様性を重視する教育は日本においてはまだまだ先進国の中では立ち遅れていると言えます。性別、年齢、国籍、人種、民族、宗教、文化、学歴、社会的地位、価値観、身体的能力など幅広い概念がありますが、その違いに気づくのは歳を重ね社会経験をする過程で見えてきます。しかし多種多様な事があるという発見の幅が狭ければ狭いほど偏見や差別に結び付きやすくなることも考えられるため幼児期から就学期に掛けてはいろいろな視点で様々な角度から多様性を知るということが重要です。子供自身が自分と他者との違いを気づいた時にそれを受け入れる事ができるように育てるのか、相手と自分とは違うと簡単にセパレートするのか、はたまた批判や差別に強く打って出るかは保護者や保育者のみならず社会環境も関わるためその導きをする大人の役目は大変大きな影響を与えてしまうと言えます。ジェンダーへの批判やヘイトスピーチを見聞きすると相手を理解しようとすることや受容、共感が子供の頃に育ててもらえていないのだろうと容易に想像する事ができ残念に思い、幼児期の教育の重要性を考えることができるが親の責任ではないかと考えます。

幼ければ幼いほど他者を受け入れる事が可能なのですが、イギリスのある調査ではすでに小学校入学前の子どもであっても無意識のうちに自分とは異なるものや人に対する抵抗感を持っているといいます。これを無意識の偏見アンコンシャスバイアスといい、それを取り去ることがプログラムが科学的観念から実行されているそうです。『みんな違ってそれでいい』という日本の教育ではまだまだ追いつきそうにありませんが、それでも子どもたちは成長するのですからできることをそれぞれのご家庭で行う事が必要かと思います。では自分と違う他者のことをどう理解するのか。それは相手の良い点を見つけるということではないでしょうか。差別や偏見は比較して違う点や優劣を付けることに目を向けますが、人間のDNAは99.9%が一致しわずか0.1パーセントの違いで多種多様さが出現するのだそうです。そう考えると自分と他者には共通点が多いことを認めた上で、他者の利点を見出すことができ自分自身を認めることにも通ずるのではないでしょうか。科学的根拠の上で子供達が納得できる事があれば取り入れ、日本人らしさを持って相手を尊重するところで子育てを行ってはいかがでしょうか。



4、対話により相手を理解する

子供達の発達の中には相手と力比べをすることが組み込まれています。それは単純な力比べ的ものもあれば、おもちゃの数やそのものの大きさや可愛さ、色など相手よりも上回りたいという気持ちが湧き出てくることも含まれます。この発達は相手と対等に向き合うことを指し、相手を理解する一歩としての行動として子どもたちを導いてほしいと思います。

子供たちは初めて会う場合でも少し時間が経てばすぐに打ち解けて遊び始めます。この受容の気持ちさえあれば全てを受け入れてまず対話する事ができ、間違ったことをすればごめんなさいと素直に謝り、子供のような素直な気持ちで相手を許す勇気があれば世界は大きく動き戦争や紛争、対立は生まれないのではないかと考えます。人間は子供から大人へと成長しどこで子供の純粋さを失い何を履き違えて差別や排除、紛争や戦争と心や頭をがんじがらめにしたを行動をするのでしょうか。子供の頃から相手の立場を考え対話をすることの重要性を子供に教え相手を理解することになることを伝え続けてほしいと思います。



5、間違いを受け入れる勇気の獲得

子供自身が間違いに気付き認め謝る事が素直にできるように育ててあげることが、子供自身も生きやすくなり相手にも受け入れてもらえる可能性が生まれます。そして謝る勇気を持ち合わせている子供は許す勇気も持っているため比較的友達関係の構築がスムーズだったりします。子供の中には素直にごめんなさいが言える場合とどんなに諭しても絶対に謝らない場合や中には謝るどころか間違いを認めない場合もあります。この違いというのは間違いをした時にしっかりと子供の言い分を聞いてもらえたか否か、そして優しく諭すような育て方がなされどうすべきかを導いてもらったか否かでこのような違いが生まれます。子供の行動には必ず理由があるはずですから子供の話に大人が耳を傾ける事が重要であることを知り対応する事が重要です。平和教育からズレているように思われるかもしれませんが、大人が起こす紛争や戦争の最小単位は子供の頃の育ちや考え方の教育に深く関係していると考えます。

よっていかに子供時代を穏やかに肯定的に育てられたかが自分自身の間違いを受け入れることになり、素直に謝ることや相手を受け入れることに繋がります。



6、平和とは何かを考える

子供に平和教育をと考えると戦争を持ち出す事が一般的かもしれませんが、先にも記した通り幼児と小学校低学年の子供にとってはトラウマに落ちいらせる可能性があります。戦争描写やその描写を想像させてしまう直接的な映像や写真、文章表現は時期尚早だと考えています。10年ほど前でしょうか生徒さんが夜中に起きてしまいお父様の見ていた沖縄戦の映像を目にし、数日間夜泣きやトイレに一人で行けなくなる事、部屋を暗くすることができなくなることがありました。強烈なフィルム映像は大人でも恐怖を覚えるものですから、この時期に行われている慰霊の日に関する展示物や映像を子供に見せても大丈夫なものかを親御さんが確認する必要があると思います。

幼児期の平和教育というものは生々しいものではなく、家族愛や友情を中心とした幸福的な作品を用いて幸せは何か、謝る勇気や許す勇気についての作品などを用いて平和とは何かを間接的に教えることを優先すべきだと考えます。



7、戦争に関する平和教育

子供たちに戦争の悲惨さや醜さを学んでもらうことは私は必要だと考えていますが、小学校3年生以降でも子供の性格や個性を考えながら恐怖心を育てないように戦争や平和について取り組む事が重要であると思います。戦争とは何か、戦争を起こさないためにはどうすべきかと学ぶうちに社会や世界での複雑で絡み合った歴史や民族性や宗教問題などいろいろな問題に気づくでしょう。その事実を知るということも重要ですし、また幼い頃に学んだ平和とはどういうことなのかという原点に帰る事が本当の平和教育だと考えます。

戦後78年を迎える今年がこれまでと何が異なるのかといえば、北朝鮮のミサイル発射や中国の海洋進出など沖縄を取り巻く環境が変化し、ウクライナの戦禍を目にし世界を取り巻く変化などを考えると平和とは何か、平和を維持するためにすべきことは何か、今一人ひとりができることは何かを真剣に考える時が来ているのではないだろうかと考えます。過去から学ぶことも、今という現状を考えることも、そして未来に何を託し残せるのか、それが平和について考える事ではないでしょうか。それができるのは平和の中にある今だけだと思うのです。

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