偉人『ベーブ・ルース』
メジャーリーグでの大谷翔平氏の活躍を目にするたび元祖二刀流のベーブ・ルースの名言を思い出す。
「簡単ではないかもしれない。しかしそれはできない理由にはならない。」
この名言は彼の脅威的な活躍を彷彿とする私が最も好きな言葉である。偉人らの記事を書いていると幾つかの共通点に気付かされる。その一つが『言い訳をせずに努力すること』である。ベーブ・ルースもまた彼の言葉を裏付けるように22年間の現役時代に首位打者、本塁打王、打点王など多くの記録を打ち立てた努力の人である。
今回はベーブ・ルースの幼少期の家庭環境と育ち、そして彼が幼くして入所した全寮制の施設での更生から彼がなぜ輝きを放ちながら記録を打ち立ててこれたのかを考えると同時に、努力を惜しまない偉人の中でも彼のように疑問を持たずに突き進める人物とはどのような人なのかということに目を向けて子育てと絡めながら話を展開してみようではないか。
彼の幼少期のアウトローな出来事を知ったのは大学時代である。当時の私のお気に入りは新宿の紀伊国屋書店で新刊を手に取ること。その手にした中にベーブ・ルースの書籍があった。衝撃的だったのは7歳で酒とタバコに溺れ喧嘩や万引き悪ふざけに明け暮れた荒れた生活を送り、警察官に対し「俺のケツにキスでもしてな」と挑発するような子供であったことが記されていた。低年齢にこのような事をする子供だったということに衝撃を受けたのであるが、彼がそこからどのように人生が激変したのかをことあるごとに反復してきた。するとやはり子供というものの素直さと家庭教育の重要性を突きつけられるのだ。
ルースが生まれたのは1895年2月6日貧しい地域のメリーゴランド州ボルチモアで誕生する。父は居酒屋を経営しその居酒屋の2階に居住し9人の兄弟であったが、母は病弱で適切な子育て方をすることができず成人したのはルースと妹の2人だけであった。父は生活するために昼夜を問わず働き子供との接点をほとんど持っていなかった。母親が亡くなった時には声をあげ泣き、父の死に触れた時には涙さえも出でこなかったと本人が語っていることから父子の関係が成立していなかったことがわかる。
両親は7歳にして手に負えなくなったルースを更生施設に入所させることを決断した。全寮制の矯正学校孤児院という施設でルースは思春期の12年間を過ごし、生涯尊敬した恩師マティアス・バウトラー神父と劇的な出会いをする。ルースは後に野球と出会っていなければ刑務所か墓場に行っていたであろうと語っている。それほど荒れた生活を送り適切な教育を受けてこなかったのである。
ルースは手のつけられない荒くれ者として施設に入ったがマティアス神父は7歳のルースに勉強や手に職業を身につけさせるための服の仕立て方を教え、休み時間には野球を教えルースの負のエネルギーを野球というものにぶつけさせたのである。このマティアス神父との出会いはルースにとって電流が走るような衝撃があったと言われる。マティアス神父は身長は2m、体重は100kgを超えた大柄な体格でまた映画俳優のような美男子であり、後にルースはマティアス神父を威圧感と畏敬を初めて抱いた人物であったと自叙伝で語っている。
悪童と言われ大人を馬鹿にするようなルースにとりマティアス神父の風貌もそこから滲み出るもの全てが彼の反抗的な態度を押さえ込むことができたのであろう。5歳から小学校低学年の男児は大きなものに対しての憧れを抱く特徴があるが7歳のルースはその時期にあたり、マティアス神父に対してその大きさに圧倒されたのであろう。また美男子とあれば表情に釘付けにもあるだろう。何よりマティアス神父はその施設の中の子供達に人気があり彼を慕う子供達が多くいたという。そのような施設に来る子供たちの多くが愛情に飢えているのであるから物腰が柔らかく愛情を持って接しているのであるからルースの信頼を勝ち取るのも早かったに違いない。もしかするとルースにとり真剣に対峙した大人はマティアス神父が初めてではなかっただろうか。働き通しの実父との接点が無く自分自身を認める大人がいなかったことが彼の悪行を助長したとも考えられるが、7歳という年齢から考えても愛情の枯渇からの行動であり、愛されたい関心を向けてほしいという欲求の表れだったと考える。
また彼が多くの記録を打ち立てる事ができたのはその大きな体と身体能力があったにせよ、彼の繰り出す奇跡的結果を見ると心の作用が大きいのではないかと考えざる得ない。心の作用というのは何の迷いもなく思うままに実現できると信じ行動する有言実行のことであるが、天才と言われる偉人には「できなかったら」「失敗したら」という選択肢がない心に描いた想いをそのまま実現化する人物が稀にいる。ルースもその一人である。
冒頭のルースの名言に戻って考えてみよう。
「簡単ではないかもしれない。しかしそれはできない理由にはならない。」
この言葉は大人になってからの発言であるが言い訳をせずに努力を惜しまない人物は大きく分けて2通りタイプがある。1つは様々なことを経験しそれでも困難に立ち向かい努力をする人物と2つ目は物事を深く考えずに淡々とやるべきことを遂行していく天才の中の天才タイプである。ルースもこのタイプであると推測している。7歳で施設に入所し19歳までそこで育った彼は良くも悪くもテレビや新聞などに触れる事がなく育ち、社会から断絶された更生施設という場所でマティアス神父らを通し宗教的教育を受け理性を獲得し心の修養に時間を費やした。困難な環境で育った子供たちには元の生活に戻らないように純粋な心の取り戻しを目的とする教育がなされていたことを考えると、前向きに物事を捉えさせるためにはいろいろな事柄からの遮断は必要であり、心穏やかにいられるように育ち素直さを取り戻し真っ当に進めということなのであろう。
ルースはこのような教育を受け野球というものに出会い社会貢献できるまでに更生したラッキーな人物である。どんなに悪童と言われた子供の中にも大人の向き合い方で子供の根底に残る素直さというものを復活させる事ができれば人生のやり直しは可能である。しかしその道のりは現代の複雑な社会ではそう簡単ではないだろう。しかし子供たちの未来というものを考えるのであれば大人ができないと安易に言い切ることはしてはならないのではないだろうか。
ルースのささくれだった心をそして苦しんだ感情を収め彼の奥底に封印していた素直な心を引き出すことができたのは、マティアス神父らの病んだ子供達を受け止め真摯に向き合う行動あってのことだろう。他人様の子供を慈しみを持って育てることは容易ではないが問題行動を起こす子供たちを一手に引き受けることは並大抵の精神力ではできないことである。そのことを考えると自分自身の子供を育てることはそんなに困難ではないと思うのだ。
親になり取り返しのつかない失敗をしないように学びながら多少の失敗を繰り返し親は成長していけばよいと考える。失敗を何度も何度も繰り返しながら子供のために自分自身を活かすことを心掛けて欲しい。そして子供に素直さを要求する場合には親自身も素直に生きている姿を子供に見せるべきである。
これまでの講師生活の中で感じた根拠のない自信を持つ子供達がルースとダブる事がある。
『根拠のない自信』を持っている子供達は純粋さと素直さに溢れている事である。ルースは家庭環境により遠回りをしてきたが、彼の行動のエピソードを総合的に判断するとあまり深く考えず根拠のない自信で乗り切っている子供っぽい話が山ほどある。根拠のない自信はあまり深く考える事なく行動に邁進する事ができる一方、考えないが故の失敗もありルースも子供っぽい行動が批判の的になったこともあった。本来は子供の頃にそのリスク回避をすることを学んで社会性を身につけるのであるが、マティアス神父もそこまでは関わりあえなかったのであろう。
親というものは子供の純粋さと素直さを持たせつつ物事のバランスを教える役目があり、同時に人生を踏み外す失敗をさせないことも課せられ強弱緩急を駆使しながら子供との関わりを保つこともしなくてはならない。しかしどんな困難にあっても立ち上がる事ができたルースの人生を考えると子供は心の奥底に素直さを持っていること、そして道を外れてもしっかりと対峙すればその復活は可能である。道はそう簡単ではないかもしれないが、子供と向き合うことをしないという理由はない、そして匙を投げてしまうこと見て見ぬ振りをすることは子供の未来をあらぬ方向へ進ませてしまうことを念頭におくべきである。
ベーブ・ルースその人はマティアス神父によって人生を好転させたラッキーな人物である。人生を豊かに生きるためには多くの人々との交流も必要なのであることも彼の人生から学びとる事ができる。そのことについてはまた別の偉人を通して考えたいものだ。
0コメント