偉人『リー・クアンユー』
私のシンガポールに対するイメージはとても良いものである。これはどこから来ているかといえばシンガポールを訪れた時の印象は勿論のこと、何よりもシンガポール航空に勤める知人や友人のスマートな立ち振る舞いや先進的且つ現実的な精神性に魅了されたからである。多民族国家のシンガポールであるが知人友人は華人のルーツを持つ方々が多く、彼らは華人ではなくシンガポール人だとキッパリと明言する。彼らと出会って30年そのシンガポール人としての確固たるアイデンティティが当初も現在も変わらず眩しく感じる。彼らの力強さはひとえに建国の父によるものだ。よって今回はシンガポール人が胸を張って国を誇る事ができるように導いたシンガポール建国の父リー・クアンユーを取り上げる。
1923年9月16日イギリス植民地であったマレー半島の先にあるシンガポールで裕福な客家系華人4世として誕生した。父は外資系の企業に勤めていたがやがてギャンブルに手を出す人物であったため彼は父よりも一代で富を築いた祖父を尊敬していた。祖父は植民地時代に英国人との仕事で一財を成し、家庭内でも英語を使用し子供や孫の教育も英語で行った。しかし経済的な厳しさを受け中華系の学校に入学するも中国語を全く話せなかったため親に懇願して英語を公用語とする学校へ転校し、猛勉強の末後のシンガポール国立大学の前身であるラッフルズ学院を経てケンブリッジ大学法科を主席で卒業している。
マレーシアから見放される形で分離独立を強いられたシンガポールをリー・クアンユーがどのように導きわずか50年という短期間で資源も国土も何もない小国から世界的水準を持つ経済国家として導いたリー・クアンユーの受けてきた教育や育った環境について考えてみる。
シンガポールは国際金融センターを持ち貿易や交通、物流、情報などあらゆる分野で東南アジアのハブとしての重要な拠点に成長し、いつの時代もエネルギッシュで今もなお成長し続けているが、華々しい側面の裏には大変な困難を乗り越えてきた土地柄でもありどこか沖縄にも似ている。シンガポールはマレー半島の一部として国が成り立っている時にはイギリス植民地として差別や偏見に苦しんだ歴史があり、第二次世界大戦では日本に占領され様々な迫害や残虐行為を受けた歴史がある。その全てを見てきたリー・クアンユーの先見的ものの見方捉え方で今の華々しい国が作られた。そして日本とシンガポールの関係性が第二次世界大戦時の日本統治下に置かれた他国との関係性とは異なるものとして表面的には友好国的関係を築けたのもリー・クアンユーの力によるものとして日本人は首を垂れるべきではないかと考えている。
彼が日本に対して残した言葉に注目してみよう。以下の言葉の重みを私たちの年代以下の日本人は知らないことが多い。これは歴史教育を無かったものとして教育の場面から削除しているからに違いなく、ロシアがウクライナに対して行っていることと何ら変わらないことであったのだ。
「過去がどんなに痛ましいものであったとしても、過去の経験にとらわれる事なく、今に生き未来に備えなければならない。」
「日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全に許すこともできない。しかし最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪を表している中では、多くの人の心にある苦しみを救う事ができる。」
リー・クアンユーは日本軍に殺害される直前に機転を効かし逃げ出した経験を持っている。そんな彼が恨みや憎しみに流される事なく自国と国民のために日本との和解に踏み切り、日本人への許しを国民に促した言葉が上記の文章である。
数十年前国際交流の場でオランダ人とシンガポール人に第二次世界大戦で日本が侵した罪をどう思うかと問われた経験がある。私は平和教育を受けていたため自分自身の経験を交えて意見を述べる事がでいたのであるが、同席していた日本人は的確に意見を述べる事ができずにいた事が同年齢の日本人が阿爺下顎に見えた。ドイツでは自国の犯した過ちを歴史教育として残しているものの、日本では犯した過ちを歴史の表舞台から消し去る方向に動いていることの結果なのだと教育の重要性を感じた事案でもあった。
ではリー・クアンユーがイギリスの差別と偏見の植民地時代と日本の統治時代の目を覆いたくなるような経験をしたにも拘らず、なぜ前出のような意見を述べる事ができたのであろうか。彼の受けてきた教育とはどんなものであったのか考えてみる。
リー・クアンユー彼のこの名前の冒頭にはハリーという英語名がついている。前述した通り彼の祖父はイギリスの恩恵を受けて財を成した裕福層であった。祖父は彼にイギリス人は船の中でもフォーマルな装いをしてフォークとナイフで食事をする紳士淑女であり、そのスマートさを生活に取り入れ学ぶべきであると教えた。そして英語教育を施した祖父により彼は紳士淑女としての教育を幼くして叩き込まれたと言っても過言ではない。感情に溺れるのではなく目先のことに囚われるのでもなく、常に心は熱く頭は冷静に物事を判断する教育を受けたのである。
それは不当な扱いを受けてきたアイデンティティを打ち砕くような激動の時代を生き抜いてもなお揺らぐこともブレることも無かった。これこそが教育の重要性ではないだろうか。
現在は経済的にも恵まれ世界的に見ても治安が良く、クリーン&グリーンシティと呼ばれ日本富裕層が税金逃れのために拠点を移すイメージのあるシンガポールであるが、元々は東京23区よりやや大きく、奄美王島や淡路島と同じ大きさの小さな漁村であった。シンガポールを訪れた人は分かると思うが本当にコンパクトでどこを歩いても美しい国である。パリのような外見は美しいが一本路地を入ると・・・という国ではない。
マレー半島の先端に位置する小さなシンガポールがマレーシアから分離独立した時には、人間が生きるために必要な水や食料を得るための国土もなく、資源もない極小の貧しい国としての出発であった。その初代首相となったリー・クアンユーは開発独裁者と言われるた人物であるが、私服を肥やす独裁ではなく自国と国民のために戦略的に考え、自国の強みである税制を活用し外国資本を取り込み、外国人や移民を積極的に受け入れ誰をも受け入れる土壌を作り徹底した実力主義の中で競争することを国民に強いた。いわゆる自国民であろうとなかろうと誰も優遇はしないが、その代わり常に努力し自身で勝ち得られるように生き続けよということを提案実行させたのである。
そしてその競争を勝ち抜くために必要なのが教育だと実感し教育政策にも力を入れた。ではなぜ彼が教育の重要性に気づいたのか。それは英国から多くを学び教育の重要性に気づいていた祖父のもとで育った父の不勉強さを目の当たりにしたからである。世界恐慌が起き彼の一家も豊かな暮らしから一気に生活水準を落とさなくてはならない状況に陥った。そこで父の愚かさを知ることとなり、幼心に人間はしっかりと学び上手く渡り合わないとならないと学んだのである。後に彼の支持率を一挙に12%も下げてしまう発言をすることになったのもこのことが原因である。
子供が優秀に育つかは8割が親の教育で決まり、残り2割がその後の教育であると伝えている。よってリー・クアンユーは親の教育が重要であるために両親ともに高水準の教育を受けている事が望ましいと唱えた合理的で現実主義者である。ここでは支持率を下げた発言を割愛するが、彼の築いた教育水準の高さは国そのものの存続に直結することを実感していたからこそ思い切った政策が実行できたのである。
また多民族国家として国を統率するために公用語を英語・中国語・タミル語・マレー語の4ヶ国語とし外国や移民を受け入れ競争心を駆り立てる国の仕組みは、教育にも同じように自分自身を常に磨き努力し、実力をつけて自らの力で生き抜けという人材を育てるように教育がなされている。それが私からみるとシンガポール人のスマートさとして捉えていたのだ。浮き足立つことはなく常に淡々と自らやるべきことをやり抜く姿と多民族国家らしく相手を受け入れる懐の大きさも感じた。これが教育の賜物でありそれが国民性となったのであろう。
リー・クアンユーという人物は日本人に冷静さと強さを持って対峙してきた人物である。しっかりとした教育を受け育ち、自分自身の頑張りで差別や偏見を受けながらもケンブリッジを首席度卒業し、第二次世界大戦では日本軍の子供も大人も容赦なく手にかけてしまう残虐さと自らの命の危険にも遭い自らが強く生きることを余儀なくされた。その後はマレーシアの中で生き残ろうとしたものの見捨てられる形で独立せざるおえない窮地に立たされた。彼は国の行く末を考えなくてはならず、その度に悪戦苦闘、汗馬の労を経験し将来の国のあり方を考えて韓信匍匐しなければならず彼自身が自分自身のことを省みることを一切捨て去り、国のため国民のために人生を賭けたエネルギーの塊の人物であった。
リー・クアンユーの強さや厳しさは激動の時代を生き全ての国民の命を預かるという覚悟の上で自分自身に厳しくなるのは当然でそれを相手に求めるのも当然のこと。しかしリー・クアンユーの人間味が溢れているのは常に冷静に物事を判断する人物であることだ。彼の冷静沈着で物事を戦略的に覚悟を決めて国を国民を先導してきたからこそ建国50年あまりで東南アジアを牽引し、世界からの信用を勝ち得た国になったといえよう。彼を時に開発独裁者と揶揄する意見もあるがこれは全くもって一般的に私服を肥やす独裁者ではない。多民族国家で資源も国土も国民を養う水さえもない小国だったからこそ彼のような戦略的実行をする人物が必要であったと考える。子供を育てる上では国の安定や平和は最低限必要なことの一つであると考えるが、脈々と続く国の安定や平和は良き教育の上にあることもリー・クアンユーによって証明された。シンガポールという国を長年統制し、世界と渡り合える国にしたリー・クアンユーの人生から学ぶべきものは大変大きいものであり、国が人を育てるという覚悟を国は持ち、社会は人と人との繋がりや親と子の教育をサポートし、家庭では親が子供を教育することに重点を置くことにより成立するものである。日本人としての誇りを復活させ、日本の国力の底上げにも競争力は必要であり、容易く手に入る安泰の道よりも世界に出て日本を見る若者が多く出てくることを期待したい。
リー・クアンユーは子供の教育以前に親の教育の重要性を説いている。そのことを踏まえて親は凛と襟を正し自らに磨きをかけ教育にあたる事が必要ではないだろうか。
今日は七夕、もし出える人を指名できるのであれば我が命のもとである人とリー・クアンユーである。日本の教育に欠けているものは何かという意見を直接ぶつけてみたい。自分自身を見透かされてしまいそうな厳しい視線を受ける緊張感を味わいたいと同時に、彼の魂から出てくる言葉に触れてみたいものだ。
0コメント