提案『年老いて孫としたいこと』
母の日や父の日はアメリカが発祥でしたが敬老の日は実は日本発祥の祝日です。兵庫県野間谷村でお年寄りを大切にしその知恵を借りた村作りにしようと誕生した年寄りの日が始まりで、全国に普及し昭和41年に敬老の日とされました。
不思議なもので世界的に見ても敬老の日を設定している国は多くありません。年長者を敬う儒教の国韓国でも老人の日という設定はあるものの休日ではないといいます。我が国では老人を敬うという概念が西暦593年の聖徳太子が四天王寺を建立したときに確立されていたと思われます。四天王寺建立時にが悲田院(老人施設)を設置されたことがわかっており、それが9月15日であったことで敬老の日が法改正の前に行われていた原型と言われます。
元々日本文化には自然に逆らわず全てを自然の流れとして受け入れ重んじる思想を持ち合わせています。今回は年を重ね老いをどう楽しむかと近い将来の自分自身のことを想像し、勝手気ままに妄想を膨らませた提案をして参ります。20代、30代のお母様やお父様にはご両親はこういうことを望んでいるのかな?と考え孫と祖父母の関係性のヒントにしてほしいと思います。
では勝手に私がしたいことを列挙してまいります。
1、孫を抱き上げ抱きしめる
初孫は特別と父が話しその言葉の通り最後の最後まで孫のことを気に掛けていました。きっと私もそうなるのだろうと想像し無条件にたくさんの愛情を注ぎ込み、父が「ママには内緒だよ」と実行していた無責任さの醍醐味を成長発達に影を落とさない程度に味わいたいと思います。
2、小さな手を取り心ゆくまでの散歩
ゆっくりとのんびりと自然残る場所を孫と共に散歩してみたいと思っています。歩行ができるようになった初期の頃はほんの少し歩いては小さなものを見つけ立ち止まったり、しゃがんではありを観察したりを繰り返しながら時間がかかる散歩を行い、仕事だ家事だと時間に追われる両親の代わりに小さく愛らしい牛歩の歩みに合わせまったりとした時間を過ごし、孫と共に同じものを見る経験と同じものを見て共有共感する思いを育てたいものです。
3、屋外での発見を多く関心や好奇心を促す
よちよち歩きをして下を向いていた乳児が1歳半以降になると視線を上げるようになります。目に入るものを指差ししながら「あれはなに?」というようになると、その指差ししたものを一つ残らず関心や好奇心に結びつけることができるように自分自身の知識や知恵をどんどん投入したいと考えています。飛び交う虫、囀る鳥の鳴き声、葉の触り心地や大地の香り、水面が揺れるさざなみ、太陽の眩しさや風わたる心地よさや風の冷たさなど季節を通して感じることができるような語感に働きかける生活を送りたいものです。
4、絵本の読み聞かせ
誕生直後から絵本の読み聞かせはするでしょう。これまで培った絵本の知識を導入してあらゆるジャンルを幅広く読み聞かせようと考えています。自分が多くの時間を費やして獲得した絵本の世界においては先ず視覚認知を促す乳児絵本、名詞をインプットする作品、情感を育てる朱雀の絵本、色彩や芸術的に美しいもの、自然や科学に関するもの、教養豊かな作品に、躾や行事に関するもの、昔話・古典・近代・現代文学など修学に関係する作品、児童文学に繋げる作品など挙げるとキリがありませんが、国内外の作品問わず生きる糧になるものをたくさん読み聞かせたいものです。と同時に自分自身が童心に返って楽しむことを心から願う時間でもあります。きっと父や母が読み聞かせてくれた大切な時間を孫にバトンタッチしているという実感も噛み締めてみたいと考えています。
そしていつ間にか孫と共に寝落ちしてしまい孫の重みで目を覚ます経験や読み聞かせをしていたのに孫よりも先に寝落ちしてしまい翌日孫に詰め寄られるという父の経験を味わってみたいという気持ちもあります。
5、孫のために食事やご馳走を作る
昨今は子供も成人しコロナ禍の影響で誰かを招いてパーティを開く機会がなくなりました。孫のためにならこれまでに培ってきた料理やテーブルマナーを駆使して最高のお食い初めの祝膳を準備したいと考えています。また子供達が小さい頃のお誕生日や行事育などの食事も再現したいものです。
私には祖母が残してくれた幾つかの祖母の味というものが存在し、真似て作ろうとしても祖母の味にはならない思い出の料理があります。私のように祖母の味を大切に思っている経験を孫にも残してあげたいと思います。誰かのために心を込めて料理をするということがどんなに素敵な思い出になるのかを残してあげることができたら、祖母から受け継いだものを次の世代に残してあげられると感じています。
6、共に食事の時間を設ける
生きるために重要な食事の時間を家族と共に有するということの幸せを感じて生活したいと思います。行事的なこともそうですが日常のたわいない食事の時間に会話をしながらそれぞれの成長や強い生命力を感じて過ご背たらなんと素敵なことでしょう。
7、何気ない光景を楽しみたい
父が晩年孫の中でも末っ子がくると「まるで台風みたいだ。ハリケーン並みだよ。」と苦笑いをしながら話していましたがまたこうも語っていました。「台風が去った瞬間は静かになったとホッとするけれど、暫く来ないとどうしたかなと心配になるんだよ。」と語っていたので体力の残るうちに何気ない孫の大騒ぎを楽しみたいものです。ときにはその渦の中に入って年を忘れて共に転げ回るのも素敵なことではないかと想像しています。今ならできる、でも10年後は無理かもね・・・。メッセージ受け取ってもらえたらいいんですけど。
8、音楽を楽しみたい
私の育った環境はクラシックが溢れる環境でした。そして子供を育てながら自分自身の演奏力は程々に子供の演奏を心行くまで楽しむ夢を持っていましたが、全く関係のない道へと進みあわよくば孫と共に家族みんなで音楽を楽しめる環境があればいいなと感じています。
孫が奏でる音楽を耳にしながら紅茶をいただく優雅な時間を欲しいと切に願っています。勿論生まれたら童謡や唱歌を歌って聞かせ、クラシックに限らず色々なジャンルの音楽に触れて欲しいですし孫とコンサートに出かける経験もしてみたいですね。
9、同じ経験の共有
生きている間に経験できることは限られているものですが、童心に返って体力の許す限り自分自身が経験したことや未経験なことを孫と共に行ってみたいとも思います。すると新しい発見ができて若返るのではないだろうかと淡い期待も持っています。
まだ見ぬ世界ですが実現される事を願って経験値に磨きをかけておくことにいたしましょう。
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