偉人『グスタフ・クリムト』
今週日曜の提案『お絵描きの魅力と効果』の記事を受けて日本の琳派の影響を受け黄金に輝くキャンバスの中で人間の深い欲望を描いたオーストリアの画家グスタフ・クリムトを取り上げる。なぜ彼を取り上げることにしたのか、それは彼の人生と作品の中に哲学的なものを感じるからである。グスタフ・クリムトの作品は官能的で甘美な女性を描いた作品の印象が強く、私生活も女性との関係がだらしないと酷評する人もいるが、私の勝手気ままな分析からすると彼の作品には哲学や思想が見え隠れする。英語で哲学は『philosophy』万学の祖と言われ『philo=知』『sophia=愛』を意味することからその言葉通りに生ききった人物である。
クリムトの「なぜ?」『どうして?」と物事を捉え作品に反映した哲学は、伸びる子供の中にも存在し、その疑問をすぐに調べ自分の知識や教養にしていく子供達の様子を目の当たりにしてきた。この哲学の土台となる疑問が強く出現しているとクリムトのように物事を捉え探究し自分のものにしていくことが可能になるのだ。今回はグスタフ・クリムトの甘美な絵画の中にある哲学を通して、知らないことを知り自分のものにしていくクリムトの強さを垣間見てみよう。
クリムトの内声を感じ取ることができる作品をご覧いただこう。
『ひまわり』と言えばフィンセント・ヴァン・ゴッホを日本人は圧倒的に思い出すだろう。ゴッホの作品を前にするとクリムトの『ひまわり』は陰が薄い。がしかしである。ゴッホが仲間と共に活動することを夢見て、仲間を象徴する10本のひまわりを描きその夢は泡と消え失せゴッホは病み人生を終えたのに対し、クリムトは1本のひまわりを自身に置き換え深い物思いに耽るかのように頭を垂れ、自分自身を内観しているかの如く足元を見ているかのように描がいているとしか思えない。私はこのひまわりこそがクリムト持つ孤独の強さであり、ゴッホが弟のテオに依存し支えられ生きた弱さと対照的に捉えてしまう。やはりこの決定的な違いは個人の中にある哲学の有無ではないかと感じるのだ。冷静に自分自身を内観しているクリムトの姿こそ絵画を追求するにあたりどうしたら表現できるのか、なぜそのような解釈に至るのかなどを自問自答している精神面の強さだと解釈している。この強さこそ現代の子供達が獲得しなければならないことではないだろうか。彼の人生や作品を通して子育てのあり方のヒントにしてもらえたらと思う。
1862年7月14日オーストリアウィーン郊外で誕生したグスタフ・クリムト。父エルンストはボヘミアから移住した彫版師、母アンナはウィーン出身で劇場の踊り子を目指していた経緯がある。両親ともに芸術に近いところで活躍していたこともあり、クリムトは7人兄弟の長男として早い頃から芸術的な才能が開花し、14歳でウィーン工芸美術学校に入学し建築絵画を学んだ。のちに弟らと装飾の仕事を手がけ個人の大邸宅の天井画や劇場の装飾を手がけていく。しかし家庭は貧しくヨーロッパでは一年に一度の特別なクリスマスにもパンを食すことができないほどの経済状態であったと言われている。彼が後に多くの貧しい女性を邸宅兼アトリエに招き入れ生活の援助をしつつ、女性関係が奔放に至ったのも幼い頃の貧しさと絵画の追求によるものだと考えている。
クリムトの甘美で官能的で豪華絢爛な作品を生み出した画家はきっと繊細な画家かと思いきや真逆の風貌にガックリする方も多いと思うが、実際のところエネルギッシュで立ち居振る舞いは自然児のようで友人と相撲を取り、人生を楽しんでいる陽気な人物であったという。作品の中に見受けられる深い視点での彼の哲学は常に建設的で冷静で「なぜ、どうして」を追求し、新たな域に到達させる逞しさぶれることのない強さを読み取ることができる。これは想像するしかないのであるが、彫版師の父から受け継いだきめ細やかさを持って仕事にあたることを兄弟3人が受け継ぎ仕事を共にしていたことも影響していると思うと同時に、母からはエネルギッシュに物事を表現する大胆さを得て、自分自身の持ち前の探究心と才能で革新的に新たな表現を確立したと言って良いであろう。
では彼の作品から彼の哲学を垣間見てみよう。
クリムトの代表的作品といえば『接吻』である。ますます円熟期を迎えたに違いないという時期の作品である。クリムトが確立した黄金様式に包まれた男女の愛の世界が描かれている。情勢がバランスを崩せば今にも落下しそうな断崖の上で接吻する男女は、画家と当時の愛人関係にあった女性との関係性が瀬戸際にあったことを表現しているとも言われるが、男性の直線的描き方に対して女性は曲線の柔らかさを描き出し、モノクロの模様は男性の原理を追求し色鮮やかさは情勢的原理で表現しその二人を永遠のものとして金箔銀箔で表現し、その技法は日本の工芸品からヒントを得てラヴェンナのモザイクと共に自己表現として形を作ろあげている。
哲学者と言われる人々の特徴として自分自身の意見を大事にしながらも他人の意見を取り入れ、その上で自分自身が新たなものを作り出すという特徴があるとどこかの記事で読んだことがある。多角的に物事を見ることができる哲学者にとっては当然のことであるような気がするのだが、芸術家でありながら哲学的に物事を捉えることができたクリムトだからこそ誕生した黄金様式だと考える。
また生涯結婚をせず自宅兼アトリエには多くの娼婦をはじめとする貧しい女性がモデルとして出入りし、行き場のない女性雇い援助していたのも事実であり婚外子が判明しているだけで14人というのだからどこか理性が芸術の中に埋没した感があるものの、だからこそこれから説明する作品が生まれたとも言える。
多くの女性たちを見てきたクリムトにとり女性の幼年期、青春期、老年期に至る一生を描いていくのは普通のことだったように思う。若き女性が子供を産むことで母となり、母性愛を育んでいく様子や幼児を愛おしく抱いている姿、その一方で老婆は何の装飾もなく立ち尽くし顔を手で覆い隠す姿にクリムトは何を見たのであろうか。またどのような思いを込めたのであろう。女性が身近にいたからこそ女性の人生とは何かを解いたのではないだろうか。
クリムトの仕事のスタイルは依頼されてから行う仕事が大半であった。よって裕福な夫人の肖像画も手掛けていたため貧しさや裕福とは一体何かを女性の姿を通して描いた。よってクリムトの作品や生き方に対して異論や批判を受ける状況下にあったのも事実でどんなに批判や酷評を受けても孤独を恐れずに冷静に対処し、常に多角的に物事を捉え自分自身の芸術の生み出しに妥協しない強さを持っていた。それが今日私たちが目にすることができるクリムト作品である。
クリムトには彼自身が構築した哲学があり、その哲学に根差し自問自答しながら芸術を作り上げ生ききった。その深い彼の哲学を知ろうとすればする程自らの無知が露呈することに毎回驚愕するのである。哲学とは何か・・・知らないということを知る(無知の知)ということから哲学が始まると言われているが、クリムトはありとあらゆる国の絵画からインスピレーションを受け、自分自身が知らなかったことを知ることからスタートし革新的な技法を確立したのである。知識が深まれば深まるほど自分自身には知らないことが多すぎるということに気づくことができ、次になぜそうなるのであろうかと知的欲求が深くなり永続的に続く、そうすることで知ることに喜びを感じ知識がどんどん増えていくのである。そして知識を得ようとさまざまな経験をしたがるようになる域に達するのである。
子供達と接していて気づくことは経験値の高い子供が意欲的にさまざまな思考をするようになり、知らないという何もない状態から経験を通して得た知識を目を輝かせて披露する。知識は経から生まれその子供自身のものになっていくのである。
もうお分かりだろうが哲学とは何ら難しいものではなく、大人の世界の中に存在するものでもないということである。哲学を持っている大人は子供の頃から知らないということを知り、世の中には自分の知らない世界がたくさん存在することに気づき、それを知るために努め経験値を重ねて自分自身の哲学を構築していくのである。
さまざまな経験を通して物事を多角的に捉えることができるようになる力、冷静に建設的に相手との議論ができるようになったり、何より自分はこう思うこう考えるということを自信をもって発言できるようになるであろう。
まず子供達に哲学を身につけさせるには『なぜ』を育むことが重要である。
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