偉人『幸田露伴』
前週の2023年10月6日『瀧廉太郎 第2弾』にて幾つかの要点を押さえた子育てについて記事を書いたが、その中で天文を全うすることの意義についても瀧廉太郎の人生でみてきた。今回はその天分を全うした人物の一人で明治から昭和にかけて活躍した小説家幸田露伴の人生を紐解きながら、深いところで物事を考える人生の豊かさと彼の作品を心の指南書として捉えることができるようにとが可能な作品について私の体験を交えて考えを巡らせてみようではないか。
私が幸田露伴の作品の中で良い意味での呆然自失の体に襲われた話から始めよう。子供達と共に暗唱した露伴の『五重塔』は文語体が多く子供が唱えるには難しく、また漢字も多用され少し読み進んでは止められ「何と読むのか、どのような意味か」と質問が相次ぎ遅々として進まず結構大変な思いをし暗唱題材の選択ミスを痛感したものである。しかし物語を読み進めていくと親子で人間の心情の複雑極まりない様に引き込まれたのも事実であり、読み終えた後の達成感はこれまでに無い至福で、至福という表現では足りない法悦に浸る気分であった。
作品『五重塔』は、一つの仕事を自分だけの手腕を成し遂げたいと言い張る十兵衛の狂気じみた執念とその執念で建立することができた五重塔とのハイライト的描かれ方と元々仕事を任されていた器の大きな棟梁源太の心の収め方、そして様々な人々の揺れ動く心情に読み手がどのように受け止めていくかで人生の指南書的役割を持つ作品だと考えている。
読み終えた後に折に触れて「もしあなたが十兵衛なら、棟梁源太なら、上人なら・・・」などと立場を変えてどのような行動を取るのかを話してきた。一つの作品に心を寄せて読み進めた子供達の発言は親バカかもしれぬが心育てが上手くいったと実感した瞬間を何度も味わうことができ、尚且つ親を超えた瞬間に呆気に取られ全身脱力し一体この子供たちはどのページで何を思い何を考えていたのか不思議でならなかった。我が家の子供たちにはこの『五重塔』が親の想像を遥かに超える人生の指南書的作品であったといえよう。
子供の心の成長にとって何が最も重要かといえば、人の様々な心情に触れてその感情の持つ意味を知ることであり、そこから得た解釈を我がものとすることである。その点に於いてはこの作品から人間の複雑な心情の揺れ動きを捉えることができる作品に出会えたことは奇跡だったように思う。常日頃子供には意味が分からずとも最後まで読み通しなさいと伝えていたが、この難攻不落に思える作品をいつ辞めようかと臍を噛む思いでいた私にとり子供達の心の大きな成長は幸田露伴で結実したと言っても過言ではない。
では子供の心の大きな成長を生み出した作品を描いた幸田露伴とはどのような人物であったのかを紐解いていこう。
1867年8月22日大政奉還の年に幸田露伴こと幸田成行は、東京台東区で幕臣の要職についていた父利三と母猷(ゆう)の四男として誕生するも病弱で幼児期には生死の境を何度も彷徨っつている。しかし新しき世になり一家は貧しい生活を余儀なくされ、露伴は現在の日比谷高校である第一中学校に入学するも生活苦から学校を退学、しかし持ち前の向学心で東京図書館に入り浸り本を読み漁り独学で多くのことを学び取ったと言われている。その後東京英学校(現在の青山学院大学)に入学するもまた経済的理由で退学せざるえなかった。兄の影響で俳諧を嗜み、漢学や漢詩で物書きとしての素養を身につけていく。しかし電信技師の給費生として学び終了後は卒業後は北海道余市の電信技師として働くことになる。しかし19歳という若き露伴の文学に対する探究心の火は消えず、何もない北海道での仕事は辛くシェークスピア全集を読み漁ったり、当時出版された坪内逍遥の『小説神髄』『当世書気質』に感銘を受けた露伴は仕事を辞めて物書きになることを決意し東京に舞い戻る。
東京に舞い戻った露伴が住んだのは24歳で書き下ろした『五重塔』が建設中だった谷中であるが、仕事を辞めて2年が過ぎた頃発表した『露団々』『風物流』が評価されていく。
21歳で文壇上に頭角を表すそのバイタリティは何処から来るのであろう。私の勝手な想像で語るとやはり幼少期から病弱であったことは行動の制約も付いて書物に触れていたこともあろう。また時代の大きな転換期であったにせよ士族としての家柄で学びを尊んでいたことは間違いなく、兄は俳諧を楽しむなど文学に傾倒し海軍の軍人として千島列島を探検した人物としても知られている。また弟は歴史学者と経済史学者の二足の草鞋を履き、妹二人は瀧廉太郎の記事でも記した通りドイツ留学を果たすピアニストとヴァイオリニストである。貧しい環境にありながらも兄弟がそれぞれの道で活躍する人物になることは家の血筋というものが影響していることは間違いない。それ故に満足に学校に通えなくても学びたいという意思は明確にあり、それを埋めるために図書館に通い多くを身につけていったのは当然至極である。
そして彼には自身を突き動かす文学というものに出会ってしまったことで矢も盾もたまらず行動する圧倒的な行動力が彼を突き動かしてしまったのは間違いない。彼の作品を読んでいてもわかるようにものすごい知識である。その泉の如く湧き出る知識はどこが源泉なのかといえばやはり多くの文学からであろう。
露伴のように何か一つのことを突き詰めて磨きに磨きをかける人生など到底真似のできることではないだろうが、その恩恵を少しでも子供に与えたいと思うのであれば彼が語っているように先人の知恵や叡智を自分のものにする他力に頼るべきなのだろう。
子育てにおける幸田露伴の作品は露伴と同じ年の夏目漱石の口語的作品よりも難解であるが、だからこそ難解な文語的表現の中に見え隠れする真の意図するものを深読みする読書の仕方があっても良いのではないだろうか。
『五重塔』・・・木埋美しき槻胴(もくめうるわしきけやきどう)、縁にわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人・・・・
冒頭から子供にとっては難しい言葉が並んでいるが暗唱といっても素読に近い形で諳んじることができれば、いつの日かその内容を解釈する日が訪れると思うのだ。現代の絵本の質の低下に嘆かわしさを感じるのであればこのような難しい作品に手を出してみるのもよいのではないか。
幸田露伴の生き方は到底真似することができなくても彼の作品の一端を親が齧るのもまたその家の流れを良きものにするであろうし、もしかすると大きな科学変化が起きて大露伴をこえる文学者を輩出するかもしれない。そう信じて読書の世界を子供と共に堪能すべきではなかろうかと幸田露伴先生が語っているように思えてならないのは私だけであろうか。
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