偉人『フョードル・ドストエフスキー』

読書に関する子育てサジェスチョン=提案が続いているため興味深い作家である偉人を取り上げることとする。19世紀を代表するロシアの大文豪『フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー』といえば、誰しも彼の大作である『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』『未成年』などを思い浮かべる人は多いだろう。そして人生の真理とは何か、上位の存在とは、神とはなにかなどという思想的作品、的確に時代を捉えその時代背景を物語に反映し人の心理描写や行動を読み解く作品に難しさを感じる。

彼が文学に身を投じることになったバックグラウンドや彼の人生に大きく影響した父の生き様死に様を子供であるドストエフスキーにどう影響したのかを考えてみることにする。

1821年11月11日貧民救済病院の院長である父ミハイルとモスクワの裕福な商人の娘であった母マリアの次男としてモスクワで誕生する。父ミハイルは医師でもあったが貴族地主でもあり広大な農地を持つ裕福な人物であった。しかし父は大変な癇癪持ちでアルコールに溺れ暴力を振るう人物であ離、それがある事件を引き起こす要因にもなったのである。

母マリアはドストエフスキーが15歳の頃病気で亡くなるが彼女は夫の精神的虐待に耐えながらも夫に尽くすタイプの女性であり、子供に対しては常に微笑みを絶やさず教育熱心であり裕福な家の出なので音楽や文学的な嗜みも人並み以上であったようだ。母が愛読していた旧約聖書や新約聖書を子供達に読み解き教え、その母との時間が何よりも充実していたため聖書から感銘を受け育っている。また日々父いる重苦しい空気感漂うモスクワの生活から夏休みだけ領地で過ごす母子供達の時間は蔚積した日常から解き放たれて自然豊かなで何よりも精神的に安定し満たされる時間を過ごすことができた。彼の人生で心豊かに過ごせることができたのは母が生きていて母子供達だけで過ごしたこの領地での夏休みであろう。

ドストエフスキーは12歳で兄と共に中学受験のために塾に通い文学教育で有名なチェルマーク寄宿学校に入学している。何をするにも兄と共に進学遊学してきたが、母の死後父は生活費を送金することはなく彼は食べるもの飲み物を買う金銭にさえ困窮し、父に対しての憎しみ増長させついには恨みながら生活していたという。そんな時父の訃報が届く。父の所有する2つの領土の境で父から虐げられて暴力を受けていた農夫の手により惨殺されたのである。この衝撃的な事件を耳にしたドストエフスキーはその場で意識を失い倒れた。彼は父を憎み続け呪い殺したいと思っていた自分自身の思いがこのようなことを引き起こしたのではないかという妄想に囚われ精神的にダメージを受ける。このてんかん発作は後々起き悩まされることになったのである。しかしその繊細な精神を持ちながらもある種正反対の文学的意欲に掻き立てられ父の惨殺事件は『カラマーゾフの兄弟』に活かされ彼の代名詞となる作品の一つとして書き上げたのである。

内向的で繊細で神経質な一面もありつつ大胆な行動をとることもある彼はどこで文学との関わりを深めたのかを考えてみよう。

彼の生まれた家柄は大変経済的にも恵まれており教育もしっかりと施されていた。幼い頃は母の手にしていた旧約聖書や新約聖書から大きな影響を受け、文字を読めるようになってからは読書に傾倒し、チェルマーク寄宿学校に入学してからは内向的性格から一人で読書に夢中になりディケーズ、ヴィクトル・ユゴー、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・プーシキンなどの作品を読み漁ったという。そして読むだけに留まらず数多くの詩の暗唱をし、物語のあらすじを書いてまとめるなどの自発的学びを深めた後、自ら文学を描くことに役立つ下準備を幼い頃から行っていたのである。彼の文学作品を見ればわかるのだが、不安に苛まれた人物や感情と精神のバランスに影を落とす人物像が描かれ人間の持つ不安、恐れ、嫉妬、罪悪感に苛まれ、愛の欠如にもがき苦しんでいながらそこから自由や正義を求めている人間の真の姿が描いていたりもする。なぜそのような視点で作品を生み出すことができたのかは、やはり彼の育った環境の複雑さがドストエフスキーの内面の複雑さを生み出し、ドストエフスキーのアンバランスな精神と生き方が彼の複雑な作品を生んだと言える。もし彼が裕福な環境の愛情あふれる家庭で育っていたならば生々しい人間を描くことはできなかったであろう。

ドストエフスキーは父を憎み恨み生きてきた故に反面教師のように困った人物に手を差し伸べるような行動を行ってもいる。浪費癖で金銭的に困窮しているにも拘らず新たに高利貸しから借金をし金銭を恵み与える一面があったかと思えば、夜な夜な夜の世界に出かけ金銭で買う女性を傷つけたり自分の力を誇示したりという手荒いことをしている。我は父とは異なるのだと強く思いつつも魂の深いところでは父と同じことをしている事に気づかない一面があるのもなぜであろうか。インプリンティング現象に近いものであろうか。

人は育てられたように育つという環境因子の後天的作用が彼の生き方に多大なる影響を与えたのは間違いない。しかしその事に抗うように反政府運動に身を投じ、死刑判決を受けるも恩赦により投獄されシベリアでの強制労働で死を免れた。精神的にも肉体的に追い込まれ何度もてんかんの発作に襲われたにも拘らず、小説の構想を練っていたというのだから驚きである。ただでは起き上がらない不屈の精神と貪欲なまでの文学への執着があったとしか思えない。

たとえ苦しい場面に直面しようともその苦しみを好きなものに置き換えて生きていくことは可能なのだろうか?凡人でもできるのだろうか?と頭をよぎる。しかし乳児の頃から自分自身の力で生きている子供達を見ると乳児にはその困難を自分の力だけで獲得していることは多く、年齢と共に親や周りの大人の関わり方で急激にその能力を低下させていることも目にしていたため、無条件の愛を注ぐことと子供に備わっている自分の力で生きていくこととのバランスを上手く育てていくことを常に考える親としての役目を考えて欲しいものである。


ドストエフスキー、彼から学ぶことは子供の頃に抑圧的な日々を送るとやはり難しい精神を養うきっかけになること、そして愛情を片方の親から受けていてももう片方から愛情から程遠いものを受け取ればどこか精神に作用することもある。そしてそれを助長させるような捉え方考え方を子供がすればどこかに歪みを生じる生き方をしかねないということだ。子供の心の成長には抑圧というものは決して純真無垢な心を育てることはないということを理解してほしい。




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