偉人『スティーブ・ジョブズ』
今週月曜の子育てサジェスチョン『子供のいたずらNo.1』を投稿したことにより子供の頃に自分自身の中から溢れる関心や興味をいたずらという形で表現した人物は彼しかいないとサジェスチョン記事を書いている段階ですでに取上げることを決めていた。彼が生み出したアップル社のMacBook Airでこの記事を書くことにある種の興奮を覚えている。
1955年2月24日サンフランシスコに誕生する。彼の誕生にまつわる話は多くの人が知っているかもしれないが、この記事に関する重要な部分なので記しておく。彼は誕生する以前に養子に出されることが決まっていた。ジョブズの実父は中東シリアからアメリカに留学していたイスラム教徒ムスリムであった。そして母はアメリカ人の大学院に通う厳格なキリスト教の家庭で育った。実の両親は妊娠後結婚を考えていたが実母の父の反対にあい、子供を出産し養子に出すことを決めたのである。養子に出されるにあたり実母は養父母が大学院卒業であることを条件にし養父母を探した。そして弁護士夫婦に引き取られることになったのであるがスティーブが生まれる直前になり女児を希望したためその話が白紙になる。そしてスティーブは実母の願いとは異なる高校すら出ていない養父と大学を出ていない母に引き取られることになった。その時に実母は養子縁組のサインを拒否続け、スティーブを大学に進学させるという条件をもとに数ヶ月後ようやくサインをしたのである。実母はスティーブのことを思い悩みに悩んで苦渋の決断を下したことがわかる。
ある晩の夜、養子縁組を行う団体より養父母の元にスティーブを養子に迎えるか否かの打診があり即答で彼を子供として迎い入れる返答をした。スティーブの人生において最大の味方になったのが養父ポール・ジョブズと養母クララ・ジョブズである。中古車の修理と販売を生業にしていた養父はスティーブに物作りの楽しさを教えた。5歳でガレージにスティーブ専用の作業台を作り、物作りに大切なことは一切の手抜きをしないことを教えたという。彼がApple社を立ち上げた後に妥協を許さないことを貫き通したのは、この養父の教えを忠実に守ったからであろう。
では本題のスティーブのいたずらについて取上げる。
スティーブの行ったいたずらは親としては想像するだけで怖すぎるものばかりである。例えばヘアピンに電流が通るかどうかが知りたくて実際にコンセントにヘアピンを差し込んで感電したり、アリ駆除のための殺虫剤の味が知りたくて殺虫剤を飲み病院に運ばれたり、小学校では友人の自転車の鍵暗唱を全て聞き出し番号を変え自転車に乗ることができない状況を作り、その困り果てる友人の様子を楽しんだりした。挙げ句の果ては教師の椅子の下に花火を仕掛けて爆発させてしまったり、犬を連れて登校するよう張り紙で告知し、教室中が動物で溢れ教師が教室に来てその事態に慌てふためくという大人の度肝を抜く子供のいたずらでは済まないことを引き起こしている。学校側に呼び出された養父は100%息子スティーブ側についた。養父はスティーブにいたずらの理由を尋ねると「学校の授業がつまらないから」と答えたのである。そもそも10歳で高校2年生のIQがあったと言われるスティーブであるから授業がつまらないのは仕方のないことだったかもしれぬ。そして養父は教師にいたずらの理由は、授業が退屈なものでその責任は教師にあると言い放ち常にスティーブを庇ったのである。日本人の親では平謝りをするところかもしれぬが、養父ポール・ジョブズはそうはしなかったのである。
では父はなぜスティーブ側についたのかその理由を私なりに考えてみた。
スティーブは幼い頃から自分自身が養子であることを聞かされ育ったそうである。しかしある時自分自身が養子であることを友達に話すと「それならばスティーブの本当の両親はスティーブがいらなかったのね」と言われ、初めて自分自身が歓迎されない子供であり捨てられた子供だったのではないだろうかと悲壮感に包まれたという。そこで養父母が彼に言い続けたのは「スティーブ、お前は特別な子供なんだ」ということであった。子供が誰かに迷惑をかけるということと彼の好奇心や興味から生じる行き過ぎた行動、そしてスティーブのアイデンティティの確立を天秤にかけ何を優先しなければならないのかと養父母は判断し、彼のアイデンティティを最優先して彼の存在自体を100%肯定することを決断したのだろう。スティーブが自分自身をありのままに受け入れることを最優先にした養父母の判断はある種英断であったと考える。がしかしもう一歩踏み込んだ教えが必要不可欠でそれが不足していたことは残念なことである。
では何が不足していたのかを考えてみよう。
彼の57年という短く太く生きた人生の中でもあまりにも激動と呼んでも不思議ではない浮き沈みのある波乱万丈の人生である。しかしその浮き沈みは全てスティーブ自身が招いた種でもある。自分自身が作り上げた会社からは解任され、その解任を知らされて従業員はいかれたスティーブのいかれた行動や発言に巻き込まれずにやっとこれで仕事に集中できると彼を擁護する社員は一人もいなかった、そして会社の株価が彼の辞任で7%上がったということが彼の姿勢が浮き彫りになったとも言える瞬間であっただろう。
彼は精神世界を重んじている反面仕事に関することには冷血で最も簡単に社員をクビにするような一面があった。また言行動も非常識であったと世間的に評価され、死後映像化されてもなおそのような人間として映像化され「クソだ、クソだ」と人々を攻撃的に罵る場面が多く描かれている。彼のこのような攻撃性はどこから来るのか考えてみると容易に想像ができる。
彼のこの攻撃性は少年時代のあの自分自身が否定された瞬間に生まれたものであり、その出生にまつわる自己否定された衝撃が大きく関係している。養子であっても養父母からの愛情をしっかりと受けて何一つ自分自身を否定する考えがない時に、友人が発した「スティーブはいらない子供だったのね」というこの一言が彼を大きく変えてしまったのである。
子供の発言は時に辛辣で相手を慮るとうことがない分ストレートに相手に突き刺さる。だから彼はもうこれ以上傷つきたくはない、人に攻撃される前に自分自身が全てをコントロールして全てのことを成し遂げようという思いが育ったのであろう。彼の攻撃性は自分自身を守るための武器であったと考える。
もしという仮定の話になるのであるが、彼が幼い頃に受けた友人の発言を親がより良い方向へ解釈し彼に教え導いていたらスティーブは人を攻撃するのではなく、人を許すということに転換できたであろう。子供は親の話すことや行動そして思考、能力、環境など全てにおいて影響を受ける。彼のIQの高さは産みの両親から引き継いだものであろう。そして彼が幼い頃養父から物作りの楽しさを教わり、シリコンバレーという環境下で電子機器に興味を持ちラジオやテレビを作る環境を与えられ、高校生でアップルを共に創業したスティーブ・ヴォズニアックに出会い彼と共にコンピューターを作り、大学進学し中退するまで自分自身の美学センスを磨き、その後多くの劇的ビジネスを進歩させた。色々な要素が人物を造り上げるのであるが、人間の根幹に存在するものはやはり親の教えや育てられ方にある。彼の攻撃性は自分自身の存在を揺るがすものから自分を守るものであった。しかし人間とはこれではいけないと思う時が誰しも訪れる瞬間がある。その時を逃さず捕まえることができたならばスティーブ・ジョブズは新たな局面に自分自身を置き転換することができたであろう。しかし育て方に最も重要なものが欠如するとやはりどこか歪なものが出来上がってしまう。そしてそれが自分自身の欠点だと自覚しても人間はそう簡単に変わることはできない。
だからこそ親は子供の将来に大きな重石を置くような育て方をするのではなく、子供の明る未来のために必要な布石を整えておくことが必要なんだと改めてスティーブ・ジョブズの人生から読み解くことができる。そんなスティーブでも彼を変える可能性のある人物が常に彼の傍にいた。どんなに多くの人がスティーブを批判しても彼を庇い立てしていたもう一人のスティーブである。そうApple社を共に立ち上げたスティーブ・ヴォズニアックである。
次回はスティーブ・ジョブズとスティーブ・ヴォズニアックとの関係性を考える記事を記す予定である。
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