偉人『ゲーテ 第3弾 高みに到達するために』
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの記事は2021年9月24日『幼少期のゲーテ編』、前回の2024年4月19日『第2弾 万能の天才』として記事を記した。今回は第3弾ゲーテのまとめとして彼がなぜあらゆる才能を結実させるに至ったのかを考える。
さて少し復讐してから本題に入ることにする。ゲーテは裕福な家庭で育ち、父は彼の教育に湯水の如く金銭を使い質の高い英才教育を施し、6歳にして7ヶ国語を母国語のように操りゲーテの最大の武器である言語性を磨き、母の読み聞かせの手法により文学の素養の基盤を築き、後に万能の天才と言われるほどの能力を発揮したのである。
そして誰もが知る詩人・劇作家・小説家・自然科学者・政治家・法律家・博学者として色彩論・形態学・生物学・地質学・自然哲学など一人で多くの肩書を有した。彼がこれほどまでに多くの肩書を持ってていたのには、彼自身が自らを高める術を実行していたからであり、その術をどのように実行していたのかを4つの視点で解き明かしていく。
まず1つ目・・・人生をどう生きていくのか
ゲーテは「自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる」と語り、「人間を堕落に導く最も大きな悪魔は、自分自身を嫌う心である。」とも語っている。
ゲーテの言わんとしていることはどのようなことであろうか。自分自身を信じるとは何となく信じるという根拠のない自信ではない。万能の天才ゲーテの信じるとは努力を惜しまず自身の仕事や夢中になることに真摯に向き合い、自分自身の信じることを練り上げ、練り固め揺るぎの無いものとして結実させ信念をもって事を成就させるという凡人とは明らかに違う信念を保って考え行動した生き方である。
またゲーテは幸せとは自分の足元に存在しそこから始まると語っている。人生を生き抜くためには先ず自分自身を尊び、自分自身を活かすことにより人生の幸せが発生すると考え日々を大切に生きるべきだとも語っている。ゲーテのいうところの幸せとは何かを自分自身で考えてみたのであるが、それはまさしく自分自身を信じるということであろう。自分自身の才能や素養を信じ、そしてゲーテにとって作品を書くことや研究を進めていくことの根底にある信じた事を突き詰めていく推進力になっていたと考える。自分自身を動かすためのモーターが自分自身を尊びその核となる信ずるという事であったのではないだろうか。
そして彼の信じることの源は何であったのか・・・それは情熱と喜びであったと語っている。彼は作品を世の中に送り出すにあたっては軽々しく作品を生み出していくことや作品の評価を気にする結果ありきをかなり批判している。結果を気にした作品を生み出すことは時に自分自身の情熱を欠くことになり世俗的な作品を生み出すことに成りかねないとし、自分自身が情熱と喜びを持って作品に当たれば自ずとその情熱や喜びが作品に範囲され、読み手側に伝播し結果は自ずとついてくるものであると語っている。
作品は結果が重要ではなく生み出す過程を楽しむ事が重要であると語り、その信念をもって全てのことにあたれば信ずるを成し、信よって満たされると確信していたのであろう。別の言い方をすれば人生とは信じることにより成功し、乱れることは信の欠けたところから起こるということではないだろうか。根拠のない自信を持っている人は案外多いものであるが、人生をどう生き抜くかを根拠を持って到達できたた者だけが豊かに生き抜いたことになるのであろう。
またこうも語っている。「我々は高みに憧れるが歩き出すことには無関心だ。山々を望みながら平らな道を歩きたがる。」耳の痛い話であるが人生をどう生き抜くかは先ず情熱と喜びをもって自分自身の足元それで満たしながら一歩踏み出すことにあるのかもしれない。
2つ目・・・自分自身の才能と素質をどう磨きどう活かすのか
ゲーテは父からかけられた言葉「もし私のお前のような素質があったなら、全然別のやり方をしただろう。そしてお前のようにふしだらな才能を浪費することはしなかっただろう。」が彼を生涯突き動かした言葉に違いない。ゲーテの発した言葉からも弟子の残した言葉からも才能や素質ということに拘りをもち物事に真摯に取り組んでいたことがわかる。おそらく父カスパルの言葉から自分自身の才能や素質を使いきれていない、活かしきれていない、まだまだ自分自身にはその才能や素質を磨く方法を実践しきれていないと考え、常に自分自身を高みに押し上げようと努力していたようである。
と同時に自分自身を肯定してくれた父の言葉の一面を受け、自分自身は特殊な人になり得る可能性があり、自分自身にしかできないこと、自分自身にしかないものを必死に生み出そうとしていたようでもある。この考え方は精神が弱いと押しつぶされてしまいそうな果てしなく遠大なことなのだが、博学者であるゲーテは常に冷静沈着に自分自身を俯瞰していたように思う。唯一無二の存在になるためにどうすべきかを考えていた人物なのだ。
なぜなら彼が博学者として多くの事柄に向き合ってきた結果が物語っている。色彩学にしろ植物学にしろ彼が研究し分析した内容は幅広く、同時に幾つのものを同時進行させ情報を幅広く精査し、取捨選択して絞り込んでいくという手法で物事を成し遂げている。その行動を突き動かしているのが情熱を持って自分自身にしかできないことに取り組み、それを自分自身の最大の武器である文才に結びつけて唯一無二のものを生み出し、そ彼自身が唯一無二の存在になった。そうなるためには自分自身の才能や素養は何であるかを常に意識し、それwぽどう磨くべきかを常に考え行動してきたのである。
3つ目・・・どのように学んでいくべきか
ゲーテは学ぶことに対してこうあるべきだという事をわかりやすく説いている。
学ぶということは時代の変遷と共に先人が残した足跡があり、その足跡なくして新しいものを生み出すことも前進することもできないと語っている。学びを確立しようと思えば過去の先人が解いてきた優れたものから大いに学び、自身の生きている時代のものからは良いものを素早く自分のものにし、それらを和合することによって全てを凌駕していくと語っているのだ。よく御父兄から質問を受けるのであるが、子供の能力を手っ取り早く獲得させるためにはどうするべきかと具体的な手法の提示を求められる。しかし子供を育てることも、この世のありとあらゆることはかなり複雑なものが絡み合って物事を形成しているため手っ取り早い得策ということは明瞭にはできない。否無いのでは無いかと感じている。全てが複雑に絡み合ってできて居ることをできることから少しずつ解きほぐしていくことが学びであると考えている。そしてゲーテもこのように語っている。「全てを今すぐ知ろうとすることは無理なこと。雪が溶ければ見えてくる。」雪を溶かす努力なしには前進はない。ただ傍観しているだけでは能力は育たたないと私は考えている。実践した人のみに結果が自ずとついてくるということだ。
ゲーテはまた学びは一つの学びが万人に当てはまることはないとし自分自身にあったものを選択し、自分自身に相応しい流儀を求めよと語り素直に学べる人から学ぶべきだとも語っている。同じような学びができるのであればそれは気心の合う人から学んだ方が吸収も早い。しかし真理を学ぼうとすれば、やはり自分自身の至らなさを素直に認めて受け入れる余裕を持たなければない。たとえ批判や腑に落ちない事があったとしてもそれが真理であるならば、それを突き詰め学ぶ事が必要であり、それは自分自身の人格を高めるものであると考えているのだ。
しかし現代社会はその真理を見つけることも難しいようで私も迷うことはあるが、ゲーテの生き方から少しでも学び過ごすことができればブレずにいき得ることができるのではないかと考える。
4つ目・・・自分自身の最大の才能で表現する
ゲーテは自分自身の最大の才能が何であるかを十分認識していたと考えている。彼の最大の武器は文章を綴ることであり、その才能は幼少期に施されたギリシャ語・ラテン語・ヘブライ語・イタリア語・フランス語・英語そして母国語のドイツ語などの言語習得でかなりの思考力をも磨いてきたと言われる。日本でも江戸の天才と言われる平賀源内もまた鎖国でありながら外国語の習得で多くの知識を習得したマルチな人間である。その共通点である言語という切り口から考えると母国語を根付かせた上での外国語の習得は大きなものを生み出す力になることは間違い無いと考える。そして言語の習得は物事の理解が早く、優れたし脳を生み出すのだと偉人の共通点から導き出しているところである。
私がこれからの時代を担う子供たちの教育に必要不可欠だとするものの一つに言語習得をあげておく。こんな私は母国である日本語も怪しい節があるのだが、言葉の魅力にとらわれ横文字や簡体字を忘れないよう常に耳からの情報と視覚情報を入れるようにしている。話さなければ忘れてしまう、聞かなければ瞬時に文章を理解できない、読まなければ文字自体を忘れ読解力も失ってしまうからだ。多言語の言語習得はかなり広い間口で情報を獲得することができる。さらに質の高い情報取集ができるのであれば思考力はさらなる高みに到達できるであろう。しかし母国語がしっかりしていなければそこはアウトプットが難しくなり苦戦もし、そのバランスが大変難しいのであるが母国語の確立の上に外国語を載せていくという意味で、ゲーテは幼少期に多くの絵本や本を母国語のドイツ語で多読している。そのことからもやはり幼少期の読書というものは重要かつ必読すべきものであると考える。親も子供も自分の得意とするものは何であろうかと常に考え行動することが、自分自身を活かす道を見つけるきっかけになるのではないだろうか。
それではゲーテの言葉を借りてまとめに入る。
「私がひたすら目指してきたものは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格内容を高める、さらに自分が善だ、真実だと認めたものを表現する事であった」
この言葉からも分かるようにゲーテという人物は生涯学ぶことを突き詰めた人物であり、欲張りなほどに自分自身を高めるために貪欲で一途でその生き方を生涯通した強い人であった。彼から学ぶことは、やはり人間というものは生まれ落ちた瞬間から死を迎えるまで、弛まず倦まず行動し続けることなのだ。そうした者だけが高みを目指すことができると言われているようだ。人生を振り返る瞬間にどの程度歩き登り続けたのかを確認する瞬間に驚愕しないように弛まず倦まず歩を進めようではないか。
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