偉人『ゲーテ 第2弾 万能の天才』

今週は『植物を知る・果物編』と題し提案記事を記したため植物や果物に関する偉人を取り上げようと数人の偉人を思い浮かべ、その中からすでに記事にしたヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを再度取り上げる。

なぜ文学者のゲーテと植物に関することを結びつけたのか気になる方は気になるであろう。これは単純に私の中にあるゲーテの生家が果樹園経営をしていたこと、そしてゲーテ自身が優れた植物研究を行っていたことが呼び水となったのであるが、子育て中の方に伝えておきたいことがあったからである。それは何か・・・ゲーテの父がゲーテに贈った最大の賛美と苦言である。ゲーテをゲーテに押し上げた最大の理由がその父の言葉に存在するからだ。

1749年8月28日ゲーテは現在のドイツに生まれた。生家は旅館と果樹園の経営で巨万の富を得た裕福な家系でゲーテの父はその財産を相続し働くことなく生活し、更にゲーテの教育に湯水の如く資金を使い英才教育を施したのである。

世の中では万能の天才といえばレオナルド・ダ・ヴィンチを思い出す方が圧倒的に多いであろうが、実は若い方にはあまり知られていないがゲーテも万能の天才という肩書きを与えられた人物なのだ。ゲーテといえば自分自身の失恋話を作品にした『若きウェルテルの悩み』や60年もかけて書き上げた不朽の名作の長編の戯曲『ファウスト』などの作品の印象が強く文学者として確固たる地位を確立した。しかし彼の代表作『ファウスト』の中では自身の色彩論を提唱し、物理学者のアイザック・ニュートンの色彩学に異論を唱え現代の色彩学の基礎となっているという側面を知っている人はどれだけいるであろうか。しかし彼の万能の才はそれだけに留まらず、法律家としての道を歩むべく学びを重ね、やがてワイマール公国では大臣として行政政治に携わり鉱山の採掘や調査をも行い地質学にも精通している。しかしそれだけではなく色彩学や植物学・形態学・生物学・自然哲学などの研究も行いながら、さまざま立場に就き多方面で活躍しその成果全てを彼の才能と素質が最大限に引き出せる物書きというところに着地しているのである。それを裏付けるのが彼が残した研究文献である。インプットはありとあらゆる方面から行い、アウトプットは自分自身の能力を最大に活かせる一つの方法で行った唯一無二の存在である。

彼が60年間研究してきた色彩理論については先述したとおりであるが、実は40歳の頃に提唱した『植物のメタモルフォーゼ』は彼が自然科学へと傾倒していく足掛かりとなった。彼を語る時に色彩学よりも扱われることが少ないこの植物学でも次の世代に繋ぐための大変面白い内容である。

植物のメタルフォーゼとは「すべての生物には共通の原型があり、多様な生物の形態はこの原型のメタモルフォーゼである」と鋭い洞察力を持って論じており植物学の著作も残している。全ては葉であり、花は葉の変形したもの、地下で湿潤だけを吸収する葉を根といい、すぐに拡張する葉は葉柄或いは茎であるなどメンデルが登場する100年前に既に文豪ゲーテが論じたことに驚きを隠せない。やはりゲーテという人物は鋭い洞察力で物事を見極める能力に秀でており、それを巧みな言葉という自分自身が最大限に発揮できる能力を使いこなし、他者に真似する事ができない言語という力でその世界を牽引したとも言える。

水準の高い教育を施されたゲーテは文学だけで収まりきることなく、ありとあらゆることに関心を持ち探求、分析、そして言語で構成に還元する事ができた稀有な才能を持った人物である。しかし彼の最たる才能というものはもはや文学や自然科学に関する能力ではなく、彼の考え方や生き方に宿っていると言っても過言ではないだろう。彼の最大の武器は精神の奥深さの中にある『自分自身を最大限にどう高めていくか、唯一無二存在にするにはどうすべきか』を知っていた才能ではないだろうか。ゲーテをそのような精神世界に導き誘ったのは父カスパルであると私は考えている。そしてそれを裏付ける父の言葉が残されているのだ。

「もし私にお前のような素質があったなら、全然別のやり方をしただろう。そしてお前のようにふしだらに才能を浪費することはしなかっただろう。」

父カスパルはこのように語っている。

この父の最高の賛美であり苦言でもある言葉がゲーテを生涯物事に真摯に向き合わせ、何事に対しても邁進の道へ誘ったと考えている。ではなぜ父カスパルは息子に対してこのような言葉を投げかけたのであろうか。

父カスパルは法律家としての資格を苦労の末にやっと得た人物である。しかし息子ゲーテは幼児期からありとあらゆる学問を習得させているため頭の回転は早く、物事を理解するにも時間をかけず易々と全てを把握する能力を持っていた。これは父が息子に施した教育の賜物であるが、父は努力をせず最も容易く物事を修めてしまう息子に対して歯痒さを感じていたようである。おそらく持っている能力に甘んじることなく、もっと必死に物事にあたれば今以上のものを構築し獲得する事ができるであろうと父は踏んでいたに違いない。しかしその苦言はある意味息子ゲーテを賛美する肯定的な言葉でもあるとも捉えることができるのだ。父カスパルの中には『息子よ、お前はもっとできる力を持っているのだ。もっともっとやり抜いてくれ』という叱咤激励したくなる確信に近い強い思いと同時に、それに値するだけの教育を施してきたという父なりの自負があったに違いない。

しかし見方を変えると易々とやっているように見えただけで、当の本人は実は深いところで物事を捉え、簡単に物事を修めているとは感じていなかったかもしれない。実際にゲーテがどのように物事に取り組んでいたかという事であるが、常に鋭い洞察力でありとあらゆることを様々な視点で見ていたのである。とするならばものすごい処理能力で頭の中はフル回転していたであろう。人間が深いところで思考する時には全ての動きが緩やかなものとなり、ぼーっとしている何もしていないように見えている場合が多い。実際子供達を観察していても思慮深く考察を重ねている子供はフリーズしているように見えるのである。よって側から見ていているだけではその内情を垣間見ることも窺い知ることもできない。父カスパルにはもしかすると怠けているように見えたのかもしれない。

しかしゲーテは父から受けた最大の賛美と苦言を受け入れ、自分自身の才能や素質をどう活かすのか、どのように生きるのかと常に自問自答していた。そしてゲーテはこれらの問いに対して答えを出していたと考える。

人間は誰しも唯一無二の存在であるが、それでも自分の才能や素質に磨きをかけて誰かにとって代われるような存在になるのではなく、自分自身にしか成し得ないことを行い、特殊な存在になるように努めるべきだと考えていた事が彼の交友関係の著書から読み解く事ができる。

これから時代多くの職業が AI にとって変わり既にダヴィンチという手術方法も行われ、岡山県では教員の負担軽減としてロボットによるデジタル採点システムの導入も行われている。こう考えるとAIにできる仕事が増えつつある中で淘汰されていく職業は今後も増え続けていくであろう。しかしAI にとって変わる事ができない存在であれば新しい時代で逞しく生き抜く事ができるとゲーテの生き方から見えてくるものがあるのだ。

ゲーテが万能の天才と言われるのはレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術センスの最高峰に辿り着いたような人物とはまた別の次元での万能の天才であると私は考えている。

ゲーテの父がゲーテにかけた賛美と苦言はゲーテの精神性を深める秀逸な一手だったと考えている。自分自身の奥の奥を見つめ続けた子供に成長させるためにはこの父カスパルのような言葉を子供に送らなければならないと感じてならないのだ。子育て中にこの手法を手にする事ができていたのならば、我が子供たちも更に高みに到達できたのではないだろうか。我が子供らよ、母の不出来で申し訳ないとの気持ちもありつつ、母は鳶でも子供達は自分の力で大きく羽ばたいていけるであろうという自負も少なからず持っていることに救われる気持ちである。

さて次回はそのゲーテの精神性を垣間見てみようではないか。次回の記事2024年4月26日の記事『ゲーテ 第3弾 高みに到達するために』をお楽しみに。

できれば過去の記事2021年9月24日『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ』で彼の華麗なる幼少期に母から受けた文学的才能を生み出した原点についても目を通されてはいかがであろうか。


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