偉人『岡本太郎 人生の哲学編』

岡本太郎氏は意外にも沖縄贔屓だったことがあまり知られていない。自らの内なるアイデンティティを探るために日本全国を旅して回った彼は、その旅の最後の地として日本復帰前の1959年と66年の2回沖縄を訪れこう語っている。「沖縄の中にこそ忘れた日本がある」とそして沖縄に対する温かな思いで「それはひとつの恋のようなものだった。」とも語っている。

急峻な山々を制覇したような生き方をし、常に厳しい目線で物事を捉えていた太郎がなぜ沖縄に惹かれたのだろうかを勝手に想像し、勝手に沖縄の子供のためにできることを岡本太郎の言葉を拝借し書き綴ってみる。


岡本太郎という人物を知れば知るほど難攻不落の城を落としてきた戦国武将に近い人物だとつくづく思う。彼は幼い頃から自分自身で物事を捉え考え、強い意志を持ってどうすべきかを貫き通してきた。彼が沖縄に魅力を感じたのは私の想像でしかないのだが、おそらく1950年から60年にかけて米軍統治下の治外法権下で人命が脅かされる過酷で理不尽な環境の中でも逞しく凛として割り切って明るく生きている人々の姿が刺さったのではないか。彼が沖縄で目の当たりにしたのはどう生活するかという生活向上ではなく、『どう生きるか』という人間の尊厳そのものと戦っていた県民の姿であったのだろう。

彼の著作の中に『人生は辛い道を選ぶべきである』ということが書かれている。人間が楽な道を選択しその道を生きることは本当の意味で生きたことにならないと断言し、生きていると実感するためにはこの先どうなるかわからない道や敢えて危険な道を選ぶべきだと語っているからだ。彼のいうところの自分自身で選んだ道ではないにせよ、彼の胸に迫る瞬間がそこかしこに存在していたのだろうと推測する。

さて、『獅子の子落とし』のような深い愛情から表れのような行動や『若い時の苦労は買ってでもせよ」との発言をする親がどれだけいるであろうか。そのような事ができる親はよっぽど子供の性格を知り尽くし艱難辛苦を乗り越える子供であると確信できる親である。一般的にはは子供の幸せとは何かを考えると安定した道を歩んでほしいと望むであろう。しかし実の所親が子供に代わり人生選択をし、親の敷いたレールの上を歩んできた現代の子供の中にはそのレールから脱線してしまう子供が増えているのも事実である。『こんなはずではなかった』と悔いが残る生き方を子供がしないように、親は多くの選択肢の幅を広げ子供自身に進むべき道を選択させるのが親のすべきことである。岡本太郎のような考えで子供が安全な道を選ばず、敢えて危険な道や厳しい道を選ぶのであればそれもまた子供の人生である。ただその道を否定するのではなく、その道を進んだ時に発生する予想できる事実を冷静に伝えそれでも子供が選ぶのであれば、それはもう子供の選択であり親がどうこうできるものではない。子供自身がどう生きるかを決めた瞬間である。



岡本太郎は後悔なく人生を歩むためにすべきことをもう一つに著作物に記している。『やりたいことはすぐにやる』ということであるが私が子供の頃から母に似たようなことを煩わしいと思うほど言われていた。今となってはその煩わしさが有難いものだあったと感謝しかない。

『思い立ったら吉日、好機逸するべからず、やりたいことをすぐにやるように、すべきことは後回しにしない、成功のコツは気づいたらすぐに行動すること、すぐに取り掛かり時間を有意義に使いなさい、先手必勝、light away 』など言葉を変え洗脳されるように育てられた気もする。それがせっかちに繋がってしまったのであるが岡本太郎もまた『やりたいことは条件をつけずにすぐにでも行うべき』とし『そのやりたいことを繰り返し行うことで自分自身が何をやりたいのかが見えてくる』とも記している。

子育てにおいてはこの速攻性をもってタイミングを逃さないというのはかなり重要なものであり、子供が興味や関心を持ったなと感じたらそれを間髪おかずフットワークの軽さで対応すれば、子供は必ず反応を示してくれるものである。子供は気もそぞろで注意散漫でそしてその瞬間瞬間を生きていることが多く、瞬時に燃え上がった炎は刺激がないとすぐに立ち消える。その消える前に小さな炎の火種に少しの酸素を送るのが親の役目であるのだ。関心や興味の火種のないところで火を起こそうとするのは時間も労力もかかるが、子供が立ち上げた炎が上がる瞬間を見逃さずに対応することができる親だけが子供を伸ばすチャンスを掴んでいるという見方ができる。この事実に気づいている親御さんもいれば、全く理解できていない場合もあるのだ。子供が伸びなくて困るというのは、実は親が子供を確りと見ていないことや理解していないことが7割、そして対応を上手く取ることができていないのが3割ほどだと感じている。後で対応しようと考えている程愚かなことはなく、また子育ては千載一遇の出来事ばかりであルガ故その機会を失いたくないと思うのが子供をうまく伸ばす親である。子供の燃え上がる小さな炎が大きな炎になるのかは親の絶好のタイミングで入る刺激である。瞬間瞬間を生きている子供達だからこそ、子育てはチャンスを逃さず親もまた子供と共に瞬間瞬間の煌めきを逃してはならないのである。


最後に岡本太郎が語っていた『才能や自信はなくていい。未熟であれば未熟なりの、下手であれば下手なりの熟し方を学べ』と語っていることを考えてみよう。彼の言わんとしている熟すということはどのようなことであろうか。

技能の習得や熟練とは関係のないところにあるのが彼のなりの熟すということである。ありのままを続け自由にそして明るく行動を起こせば、その人なりの魅力になるとの意味なのだ。彼は才能や自信というものはなくていい、ただ周りを気にせず情熱を持ったことや自分のやりたいことに純粋に向き合い生きることが大切だと語っている。

子育てに置き換えて考えてみると親も子も未熟であってそれでいい。未熟だからこそ楽しんで多くの経験をする事ができ、するべきだと私も同意見である。すごくハードルの高いことをしようとせずに、等身大の学びを親子でひとつひとつ実践していくことが重要である。その進め方こそがその親子なりの熟し方であり、その実践で培えたものが味や風味になり輝きになるのだ。何ものにも囚われることのないありのままの強さというものを心に刻んで子育てに取り入れることができれば、それはそれは自分たちなりの親子関係が構築でき、親子間でしか理解できない形が出来上がり熟していくのだと確信している。岡本太郎のような才能を発揮できるのは稀であり、自分も含めて多くの人が未熟でありその未熟さを逆手に取り楽しめばがその親子にしか出せない色や形が出来上がると確信している。


最後に岡本太郎は沖縄に深い愛情を込めて辛辣な言葉も残している。その言葉は私には愛情深い叱咤激励に聞こえる。現状が変わらないのであれば強かに利用できるものは利用する。そして沖縄にしかないものを世界に打って出ろと60年前に彼が語った言葉の通りようやく今動き出している。そして負の遺産であるものの影に隠れて気づかなかった利用価値を今こそ子供達のために使うべきなのだ。岡本太郎の残した言葉でもある『どう生きるか』を大切にし生き子育てをすることがほんものの子育てに繋がると感じてならない。

彼の言葉には彼だからこそ成し遂げられるようなものも多くあるが、誰にでも当てはまり後悔なく生きる方法が哲学として残されている。形のないものの輝きを手に入れるために、明日を描くことのために、次世代を担う子供たちのために彼の言葉を噛み砕いて理解する沖縄の親でありたいと願いつつ今回のブログを締める。


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