偉人『エンニモ・モリコーネ』

今週月曜日は秩序性についての記事を記した。テクニカル面で秩序性を重んじアカデミックを守り続けるクラシック音楽の中で、美しいメロディーを書き綴る場合には対位法というものを作曲家はとことん学ぶそうである。その対位法は秩序を好み計算さえれた上に成立し偉大な音楽形の中でもショパンやラフマニノフ、チャイコフスキー、ブラームス、メンデルスゾーンなどもこの対位法を学び数多くの名曲を残している。クラシック界のテクニカルはグスタフ・マーラーによって全てを表現し切ったと言われ、その後のクラシック界では過去の音楽家が生み出した各時代の秀逸作品を超えるものは数少ないといえよう。

しかし現代の映画音楽というジャンルで民衆の心を掴んで離さない作曲家がいた。彼は過去の名音楽家が駆使した対位法と現代音楽を一つの形にまとめ上げ、映画音楽などクラシックにの足元にも及ばないと揶揄され、卑下されていた映画音楽を芸術の域にまで押し上げた人物が映画音楽の巨匠エンニモ・モリコーネである。

映画を見たことのない人でも彼の生み出した映画音楽を何処かで必ず耳にしたことがあるは筈だ。彼の作品は時に繊細で時にダイナミックであり、彼の生み出した美しい音楽は人の心も、耳も、そして目もたちまち魅惑の世界へと引き込んでしまう。

92歳でこの世を去るまでに500曲以上の映画音楽を書き、人生の幕を下ろすギリギリまで作曲していたというバイタリティに溢れた人物なのだ。彼の映画音楽は余韻を抱えたまま映画館を一歩出て「あぁー、なんて素敵な映画だっただろう」と容易にメロディーを口ずさみながら、または頭の中で音楽を流しながら自分自身のうちに広がる甘く切ないもの、ほろ苦く渋みのあるもの、切なさや後悔など人間の内側に存在するありとあらゆる感情を引き出して味わうことができる名曲ばかりである。

彼を評価する言葉として『映画に愛された音楽』『美しいメロディを生み出すモリコーネ』などがある。彼の代表作の中でも『ニューシネマ・パラダイス』や『海の上のピアニスより 愛を奏でて』『ミッションよりガブリエルのオーボエ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカよりデボラのテーマ』などどれをとってもため息が出る作品ばかりである。

エンニオ・モリコーネは自らの音楽に対して、美しい音楽であると言われることにものすごく抵抗した人物でもある。縦横無尽に対位法を操り、人々の心の奥深くに入り込んでいく美しい旋律を生み出しているにも拘らず、その美しい曲を生み出しているという評価を受け入れなかった。なぜ彼は受け入れることができなかったのであろうか。そこには自分自身の思い描く理想とはかけ離れた場所で活躍しなければならない苦悩があったからである。

1928年11月10日イタリア・ローマの献身的なカトリクック家庭で育つ。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で作曲技法を学んだ。しかし当時は現代音楽が主流で楽器を叩き割ってみたり、たわしで楽器を引っ掻くなどこれが音楽なのかと思われる技法を用いたり、人々が想像する音楽とはかけ離れた不協音を表現した音楽であった。モリコーネ自身もその現代音楽を追求して音楽の世界で生きていくつもりであったが、これでは食べていけないというジレンマに陥ったのである。自分自身の追求とは真逆に位置する当時の甘美でノスタルジックやカンタータが主流な映画音楽をモリコーネも時代遅れの音楽と受けて止めていた面もあり、また恩師からも映画音楽に進むことを批判を受けモリコーネは屈辱を覚えたという。彼自身、現代音楽に取り組み最先端の音楽生み出す理想を掲げながら、将来的には音学院の教授になることを望んだ。しかし夢と現実を天秤にかけた時、最先端の現代音楽で飯は食えぬと夢を諦め、現実的な映画音楽で生きていくことを仕方なく選択した。その時の複雑な感情を彼は以下のように語っている「初めは罪深く感じたがゆっくりと立ち直って、リベンジさえしたいと思っていた。」彼の葛藤はこの映画音楽を選択した時点から人生の終焉を迎えるまで続くこととなる。

自らの葛藤と苦悩の中での映画音楽を歩み始めたモリコーネだあったが、彼が大偉業を成し得たのには自分自身が古臭いと感じていた映画音楽の美しさの中に、尖に尖った現代音楽を追求するんだと心に誓いを立て、映画音楽という大衆に届ける理解しやすい音楽の中に自分自の表現したい現代音楽の実験を澱みなく行いより奥の深い作品に仕上げていったのだ。

彼の最大の特徴である人々の心を鷲掴みした旋律の美しさの中に七度(ドからシ)の跳躍の不協和音を巧みに活かしている。ピアノをお持ちの方はドとシを同時に弾いてみるとその不協和音が耳に入り理解できるであろう。モリコーネはその七度の不協和音を奏でる跳躍の使い方が何層にも広がりを見せて本当に美しいものになっているのだ。『ニュー・シネマパラダイス』でその手法を耳にすることができる。寄せては引くような波のように奏でられる何層にも広がるその美しさい音色を好きだという人々が多い。

また低音の低いベース音と高音のメロディだけで美しさだけを表現できたであろうが、その両者のちょうど真ん中に存在する音の存在で、重厚さを幾重にも重ねることで一音一音を引き立て、音の波紋が広がるように人々の心にも波及する美しい音を奏でる効果を確立している。しかし彼は単に美しいメロディを書きたかたったわけではなく、自ら追求したかった現代音楽的芸術を盛り込んで挑戦し続けた苦悩が彼のインタビューや文章からもお垣間見ることができる。自分自身の表現したかった現代音楽だけを自由に表現できない苦しさを抱えていた一概ない。どんなに成功したと第三者が認めたとしても魂の叫びとして現代音楽だけを追求し続けたかったその苦悩と葛藤の中で生きたのは間違い無いだろう。彼が生み出した多くの映画音楽は彼にとってジレンマから生まれたものであり、その苦しみの中から生まれたものは映画を娯楽から芸術に間違いなく押し上げた。人間の葛藤や苦しみを乗り越えた先に尊くも美しいものが出来上がるのかということを実感させてくれた同時に、彼自身が何者にも縛られずに現代音楽の道を歩んでいたら数々の名曲に遭遇うすることはできなかった。しかし一人の人間の人生を考えた時に自由を選択できる現代であっても生きるということと芸術の対照的な位置付けの矛盾をどう捉えるべきか悩ましいところである。しかしその反面彼の苦悩の上に成り立つ音楽性の高さに触れたことを感慨深く思う。

一音聴いただけで胸の奥深くがぎゅーっと掴まれて痛くなったり切なくなって思わず一粒の涙を流したかと思えば、ただただ崇光な何かに導かれるような感覚を覚えノスタルジックにかられ色褪せた思い出が蘇る感覚を呼び起こしてくれるエンニモ・モリコーネの音楽は、実験的に試行錯誤を繰り返しながら美しさを散りばめていく一面と明確なまでの計算と芯の通った信念によって共鳴された朱雀的作品であることは間違いない。

単に美しい音楽を作曲した人物だったとか美しい旋律だと通り一遍に片付けるのではなく、彼の音楽の中に何が存在するのかを見抜く力や考える力を子供達には備えてもらい、その奥深さを紐解く子供が一人でも多くいてほしいと考える。また彼の生み出した対位法の中に存在する押し寄せては引いていく波のような音の情感を直接感じ取る繊細な部分も子供達に育んでほしい。同時に親御さんには音の持つ優しさ美しさ愛おしさ儚さ切なさ言葉にできない音のゆらめきを心で感じ取ることができる余裕を持ち合わせ子供たちと接してほしいものである。


今週末はエンニモ・モリコーネの音に耳を傾けてみては如何であろうか。


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