偉人『マリリン・モンロー』
今週の月曜の提案記事が誕生日にまつわるものであったため当初は世界的な誕生日の歌である『Happy birthday to you』を作ったアメリカのヒル姉妹にするか、それともスティビー・ワンダー氏にするかの2択で記事構想尾を進めていた。すると幼い生徒さんのクーイング動画を見て、誕生がアメリカ建国記念日だったなと考えていると突然ケネディ元大統領が浮かび間置かずマリリン・モンローが登場したという訳である。勘のいい人はこの話の流れであるシーンを思い出すに違いない。そうマリリンモンローがケネディ元大統領の誕生日を祝うために歌った『Haay Brithiday to You』を。
少々記事から脱線してしまうが子供の脳活性にはインプットよりもはるかに重要なのがアウトプットであると幾度も力説しているが、親御さんの中にはまだまだその重要性に気付かない方もおられ、しりとり、同頭音・同尾音ゲーム、逆さ言葉、古今東西ゲーム、早口言葉、連想ゲームなどは子供が自分自身の中にある言葉や知識を思考しアウトプットする至極の遊びである。その重要性を知っているため私も日々連想ゲームのような偉人選びをしているのである。皆さんに勧めている以上自分自身が実践しなければその良さを理解しているとは言えない。今後も私がどのような流れで偉人を選ぶのかにも注目していただけると私の稚拙な思考の断面が垣間見えるかもしれない。話が脱線した上に地下に潜っていきそうなのでしっかりとマリリン・モンローという女性の人生にフォーカスしてみる。
本名ノーマ・ジーン・ベイカーことマリリン・モンローは1926年6月1日アメリカ・カルフォルニア州で母グラディス・ベイカーが一人で産んだ。父親については諸説あるが父とされるクリフォード・ベイカーは娘モンローが誕生する前に家を出ている。母親のグラディスが働きに出ている間モンローは精神を病んで暴言や発狂を繰り返す祖母デラと共に住み育ててもらっつていた。しかしあまりの祖母の精神状態の不安定さから母とモンローはその家を出て7歳でハリウッドへ移り住んだ。しかし母ももまた精神状態が不安定になり強制入院させられ一人残された8歳のモンローは同居していた男性からの性的暴行を1年ん半に渡り受ける。その後母の友人がモンローを訪ねた際モンローの異変を感じ救出され孤児院に移されたのである。モンローは幼くして何度も里親が入れ替わり親戚や母の友人である里親のもとを流転するような過酷な幼少期を送る。当時の里親制度には扶養金が支給されていたためその金銭目的で里親になるケースが多く、彼女は人生で住所が変わる経験を50回以上経験しその対部分がこの里親の変更にまつわるものであった。
その里親の中でもモンローが心穏やかに過ごせたのは母の叔母であるアナ・ロウアー夫人のもとで過ごした数年である。12歳から最初の結婚をする間の数年間をロウアー夫人に愛され落ち着い時間を過ごしたものの高齢のロウアー夫人の健康問題で母の友人に15歳で引き取られ高校に進学したものの州の法律で孤児院に戻されることになった。そこで孤児院に戻りたくないモンローは近所に住む21歳の若者と最初の結婚をしたのである。しかし最初の夫はモンロー18歳の頃に海兵隊員として徴兵され長期に家を空けることとなった。そこでモンローは航空機部品の会社へ働きに出ていた折り、女性労働者の士気を高めるために訪れたカメラマンによってハリウッドの専属モデルでの仕事をすることになり人生を大転換することになったのである。20世紀フォックス社、コンビア社との女優契約を果たすもパッとせず、その後あらゆる手を使い女優の道へと駆け上がっていったのである。彼女の何が何でもこの女優になりたいという話を端折ってしまったが、ここも注目に値する部分なので別の機会に話を取り上げることができたらと考えている。興味のある方は調べていいかもしれない。
1940年から1950年代にかけて男性優位社会のアメリカでセックスシンボルとして取り上げられることが多いモンローであるが、実は女優として作り上げられた部分が多くモンローが意識して演じていた。彼女を象徴する緩めのカールの金髪に赤い唇は真実の彼女ではない。かなり縮れた茶色の紙質を持った容姿に思いやりにあふれた優しい人物であったと言われる一方、女優としては神経質で完璧を求めるあまり緊張と不安で眠れないという状況に陥り大量の睡眠薬に頼るようになった。そして自分の内面の問題だけではなく女優としての契約にも問題があり彼女が自分の意思で作品を選ぶことができず、また人気の割にはかなり低い契約料で働かざる得ないことなどが重なりその精神的ストレスも彼女の不眠症に深く関係していたのである。2度目の結婚、子供の流産、離婚、そして3度目の結婚離婚を繰り返し、さまざまな理由から精神的に追い込まれ睡眠薬の多量摂取により1962年8月5日に死亡した。
モンローを揶揄する言葉に『中身が空っぽの色気の塊』という評価があるが、実は彼女の残した名言を見れば彼女がいかに精神の深いところでハリウッドや物事を捉えていたかがわかる。そしてウィット富んだ発言は彼女の精神の深い部分から生み出されたものだと確信し、その根源は幼い頃から祖母や母の精神的病いを目にしてきた影響がモンローの精神にも大きく関係しているのだ。
ここから先私たちが考えるべきことは、現代の子供達の中にもモンローのように親がうつ病や統合失調症などの精神疾患を抱え患っている状況にあるということだ。そしてその子供達に我々大人が、社会がどれだけ目を向けているかということである。
ここ数年でこのような厳しい状況に置かれている子供達に目をむける活動が発信されるようになっているが、まだまだ社会的にその子供達が抱える問題をどのようにして解決へと導くのかという糸口を見出すことには至っていない。しかしこのようなことがあるのだと我々大人が気付いて初めて問題提起することになり、その活動がやっと社会に認知され出した。どのようにしればいいのかどのような支援が必要なのかと考えることが問題を抱えている子供達に一人ではないと感じてもらえるのではないだろうか。モンローのように母親が病気になったのは自分のせいかもしれぬと一人心痛めていた不安を、知識のある大人が介入することにより「それはあなたが悪いのでなはい」と伝えることでどれだけ幼い子供の心が救えるだろうか。
浅知恵の私では理想論しか発言できないが、患者である親に目を向けるだけでは心の病は親から子供へと連鎖する。もし可能とするならば親の治療と子供の心のカウンセリングを同時に受けられサポートシステムが構築されることはできないものかと考えてしまうのだ。
精神疾患を持つ親の子供は幼い頃、自分自身がちゃんとしていないから親がこのようになってしまったと自分を責め、親に甘えたい気持ちを必死に抑えるという。100%親に甘えわがままを言いたい幼子が自分を責め我慢をすること自体発達上好ましい状態ではない。また愛情の裏返しとしてなぜ自分がこのような親の元に生まれたのかを考え塞ぎ込んだり、腹を立てたりと感情が揺れるそうである。思春期になると周りの友人のように苦悩を抱えず心の底から楽しむことができないのは親の病気のせいだと不満を抱え親を責めたり、同時にその状況は仕方がないことなのかと葛藤したり自分自身の生き方に未来を見出せない子供もいる。子供自身が逃げることのできない閉鎖的な状況に助けを求めることさえできないのが現状なのだ。そのような状況があっていいだろうか。
このような子供が一人で抱えることなく心の中にあること相談できる場所が必要ではないだろうか。この深刻な問題とはかけ離れた話かもしれないが、子供が通っていた小学校では常に校長室の扉が開いており、「なんでもいいから困った時には校長先生のお部屋に入っておいで」というシステムがあった。校長先生にしてみれば大変なことであっただろうと思うのだが、保健室登校や不登校がなかったのも、そして常に先生が子供たちと和気藹々と廊下で話している様子も、校長先生の退任式の時に大粒の涙を流している多くの子供達の様子に『これぞ心の通うほんものの教育』と感動したものだ。後から聞いた話であるが親の離婚の危機を察知して相談した子供もいるという。親の問題を第三者に相談すること自体子供にとってはハードルが高いものであるが、常日頃から大人がハードルを下げておけば子供は本音を打ち明け相談できるのではないだろうか。それが子供の身近に存在する教育の場であれば良いと思うのであるが、教師がその役を担うのが難しいのであればやはり専門の知識を持つスクールカウンセラーを置くべきだと強く思っている。
現代は精神疾患を患う患者や自殺者の増加に伴いその影響を受けている子供が存在している。経済格差が連鎖するように、心の問題もまた親から子供へと必ず連鎖してしまう。将来がある子供たちの問題は我々大人が向き合わなければならない責任である。しかし現実問題子供が親の問題を自ら口を開き助けてほしいと言えないのであるから、大人が子供の異変を察知するアンテナを持ち、モンローのように親の負の遺産を継いでしまわないように子供に異変に感じたらどう対処すべきかという情報を入手しておくことが必要だ。
マリリン・モンローから学ぶこと、それは親の負の連鎖に歯止めをかけ子供に継承させないようにするにはどうすべきかということである。この記事を読んでいる方の中にももしかすると子供時代にそのような経験をしている方もおられるかもしれない。ならば子供時代の思いを言葉にし語れるのであれば現在苦しんでいる子供のために語ってほしい。また道を開く方法があるとするならばどのような方法があるのかを道標として示してほしい。
心の底から自分自身に「Happy birthday to me」と言える子供が一人でも多く増えますようにとの言葉でこの記事を締めくくることとする。
0コメント