偉人『ヨハンナ・シュピーリ第2弾』

前回2024年8月30日偉人『ヨハンナ・シュピーリ』の記事に続き今回は第2弾彼女の作品『アルプスの少女ハイジ』より児童文学に移行するために子供達が何を汲み取る力を獲得するべきなのかを作品から考えてみたいと思う。その前に少しだけ児童文学について話しておくと、名作と言われる児童文学を読み解くためには文字が読め言葉を知り文章を理解するだけの力が必要である。その上で人々の生活や習慣・文化・歴史・時代背景・人としての価値観・教養的情報など物語を深く読み解く情報や思考する力が何よりも必要となる。このことを念頭に入れて以下の記事を読んでいただきたい。


ヨハンナ・シュピーリの『アルプスの少女ハイジ』はスイスの厳しくも美しい自然、純真無垢な主人公ハイジとその他登場人物との関わりを描いた作品と思われがちであるが、原作は信仰心の重要性を説いている。しかしアニメーションでは信仰心のシーンが排除されその代わり自然崇拝に置き換えられているように感じる。だからこそ私は子供心にスイスの美しい風景や自然に憧れを抱きハイジ映像で出てくるブランコを父に作ってもらい、大きな樅木が欲しいと執拗に強請ったのだろう。

しかし小学校高学年になり児童文学書として作品を読んでみると、学校にも行かせてもらえず自然を謳歌していることを羨ましくも思いつつ違和感があり、尚且つ叔母による人身売買に置かれたハイジの境遇やハイジの自由のない苦しいゼーゼマン家での犠牲とも言える生活があまりにも切なすぎて幼い頃楽しみにしていた映像の世界とは大きく異なる世界に衝撃を受けた。子供時代はいろいろなことを見聞きしながら成長していく、その時に自らの環境との比較をし考察を巡らせることはとても重要なことである。そして理解を一歩進めるためにはやはり情報を得て多くの問題提起に触れることだと考えている。私も子供心に理不尽だと思うことや世の中の歪みや厳しさに触れて大人になりたくないと感じることもあったが、色々と知っていく上であまりにも世の中が複雑で致し方ないことなのかと落胆することもあった。今考えるとこのような自分の中に存在する葛藤というもが必要だったと考えてえいる。児童文学の中にはファンタジーや歴史を忠実に描いたもの、伝記、童話、SF、ノンフィクション、ヤングアダルトと言われる多くの分野を読んだのち、それぞれの中に存在するハッとしたことや自分と意見の異なること、問題提起などを再解釈する読み方は必要であり是非行なってほしいと思う。

ヨハンナ・シュピーリは自らの生い立ちや人生観、時代背景、ひいては国の歴史に至るまでを対比しながら問題提起を上手に行なったと考えている。何の情報もなく映像作品を見ていた幼い頃何か解せない場面があったことを今でも覚えている。お爺さんの家に預けられるハイジの手をデーテ叔母さんが労りもなく強引に引っていく様子に冷たさを感じたことやゼーゼマン家からお金をもらっていたこと、お爺さんの家に連れて行かれることを知った村の人々の冷ややかな反応、ハイジが無邪気にお祖父さんと関わろうとしているにも関わらず一定の距離を置くお爺さんに違和感があった。今思えばこの疑問こそが物事を深く読み取る種だったような気がするのだ。クララが車椅子から立ち上がるクライマックスよりもそのことが後々気になって児童書を読み返していたのも事実である。児童文学の深い所はやはり子供達の感受性に働きかけることであり、文学から得られる計り知れないものが将来の人生観にも通ずるものだと感じてならない。

ヨハンナ・シュピーリの書いた『アルプスの少女ハイジ』は作者自身の見聞きしていたものが多く描かれている。父の病院には田舎の貧しい人々や女工が通院し精神を病んだ患者も見ていたことからハイジがアルプスを思うあまり夢遊病にかかることへと表現したであろう、都会の恵まれた環境で生活する人々と貧困下に置かれている田舎の人々、子供が人身売買に遭っていたことや教育を受けられず働かされていたこと、女性が自由に行動できない時代など彼女が見聞きし経験したことがこの作品には対比として描かれている。彼女自身が都会の生活に馴染めず頼れるはずの夫との間の距離に悩み心を病んだこともこの作品に注ぎ込まれている。

彼女は晩年伝記依頼を受けこのように語っている。

「女性である自分の人生は形としては実に単純なもので偉大な功績や奇跡的運命とは無縁です。もしそこに心理学上とても興味深い変化があったとしても私は女性的な恥じらいによって自分のうちなる部分を世界に向けて公にすることはないでしょう。自分の人生に語るにふさわしいことは文学の形をとって語ってきました。私の本には私の伝記の断片がそこかしこに書かれています。」

当時としては珍しい高等教育を受け自由に活動できない女性の立場にありながら彼女は先進的に作家として自立していたにも関わらず「女性的な恥じらいによって」という言葉で伝記依頼を断っている。これが本心であったかどうかはわからないが、彼女は作家人生を通して50作品を残していることから、彼女自身の内なるものは書籍の中で作家として書き綴っていたことは彼女の人生を知れば納得がいく。そう考えれば作家として全ての作品を読んで自分を知り尽くせという挑戦だったかも知れぬとさえ勘繰ってしまう。いずれにせよ子供も大人も彼女の傑作である『アルプスの少女ハイジ』を懐かしく読むことができるのは、どのページにも実際にあったほんものが随所に書かれ読み手の心を離さないからであろう。

どのような事実であろうとそれが真実ならば幼い子供の琴線にも触れるということなのだろうと実体験から言えることである。そう考えると事実に勝るものなし、ほんものを知る見聞きする体験する経験をすることは、感受性を敏感に働かせ思考や考察を深くし人生に多くの選択肢を持たせるであろう。児童文学というものはそのような方向で読み進め深めてほしいと考える。

最後にスイスは第二次世界大戦後『アルプスの少女ハイジ』を国を挙げてのイメージ戦略に活用し成功を収めた。というのもナチスがユダヤ人から没収した資産をスイス銀行へ隠していたことが世界から非難されていたから国をあげてイメージ戦略戦に出たのである。今ではハイジ村がつくられ世界中の観光客がヨハンナ・シュピーリの『アルプスの少女ハイジ』の世界観を味わうために訪れている。そのスイスの美しい風景を前に作家ヨハンナ・シュピーリの人生や当時の人々の生活や置かれた環境を深く読み解く人々はどれだけいるであろうか。子供達には美しさの裏にあるものを知って心の奥深くで想いを寄せることができる大人に成長してほしいと切に願う。

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