偉人『樹木希林 第1弾』

今週月曜2024年11月4日の提案記事は『命についてどう伝えるか』の記事を書きながらふと頂いた本のことを思い出した。その本とは樹木希林氏にまつわるものだ。ある時から彼女の出演する番組での発言を耳にし興味深い人物だと私の受信機が作動したのである。彼女を知る度にその生きていく姿勢や考え方がどこから来るのか探ろうとし、それ以上に彼女が娘也哉子さんに施した育て方が脳裏に引っかかって仕方がないのであった。

彼女が登場する番組で見聞きしたことを何気なく思い出し、私の中に浮かんでは消える独特の子育てを少し複雑な思いで考え、その本質を真髄を見ようとここ数年彼女の生き方を反芻し続け得ている。なぜ繰り返し考え続けるのか・・・それは一見問題がありそうな子育てであり、また子供の自立のためには獅子の子を落としのような厳しさもあり、そしてかなり合理的な子育てをしているように見えて実はかなり古風な考え方であったりと、人間の本質を求めて至った子育てなのか、はたまた彼女は自分の生き方が中心でその延長線上に子育てがあったのか、そもそも彼女は子育てをどのように考え捉えていたのであろうかと疑問を持ち、彼女の求めていた成熟が子育てにもたらしたものは何かなど奥が深すぎるように感じ理解できないからこそ魅力を感じ樹木希林という人物を模索し続けているのだと感じている。今回は樹木希林氏の子育てを考え、次回は彼女の死生観を紐解いていく。

樹木希林氏は一人娘の也哉子氏を生み、結婚はしていても別居婚という形の実質シングルマザーで子育てを行った。彼女は世間一般の温かな母親像とは真っ逆の子供にはあまり干渉せず、子供を子供扱いしないある意味自由の厳しさを娘に知らしめた母親であったようだ。そして彼女が子育てて唯一拘ったのが食事である。鉄釜で炊いた玄米に、高級な味噌で作ったお味噌汁、ちょっとした糠漬けに、煮たり焼いたりした魚という昔ながらの粗食である。見方を変えれば子供達が好きそうなハンバーグやスパゲティにカレーなどとは程遠い質素な食事であるが、今でこそ簡単に炊くことができる玄米ではあるが、当時は給水時間も計算するなど丁寧な手仕事を施した昔ながらの食事を毎回準備するのは、女優という不規則な仕事をする彼女にとっては手間のかかることであったに違いない。食べることは命に直結することであり、その点だけはしっかりと行うのだという母の強い意志を感じることができる。

その一方で娘也哉子は母親の樹木希林のことを愛情豊かな優しい母親像とは真逆の鋭いナイフのような人だったと語っている。日々母親に置いていかれないように懸命についていったということも話されており、日常は緊張の連続で自分のことは自分で行う日であったようだ。また娘をインターナショナルスクールに進学させた理由は英才教育が狙いではなく、芸能人の娘である娘が母の職業とは関係のないところで匿名性をもって育つことができるという配慮であったという。私の幼い記憶の中に母と言った美容室で離婚問題に関するワイドショーの映像が流れ、鏡越しにその映像を見ながら離婚を迫る夫にしがみついているようにしか当時は見えなかったが、そのような社会の色眼鏡で見る現状を娘から遠ざけたかったのだろうと察することができる。

がしかし娘が通うインターナショナルスクールでの行事には一切足を運ばず、成績表の親のサインを要するところは娘が自らサインをしていたそうである。鍵っ子で孤独な子供時代であったと娘の也哉子氏は語り、小学校低学年でご飯を作ることができるようになったとも語っている。おもちゃも買い与えられていなかったようで家にあるもので遊んだり、家にある絵本を痛むほど繰り返し読んで親の帰りを待ち、孤独で空想を楽しむ子供であったそうである。シングルマザーであるが故の現実ではあるのであろうが、なぜ彼女は娘を子供扱いせずに育てたのであろうか、娘の寂しさや孤独をどのように考えていたのかその答えを紐解きたいとも考えている。また私が気になるのは娘也哉子氏が9歳で1年間のアメリカ留学をした際には後にも先にも誕生日に一度だけ娘に電話を掛けたという。が日本語を忘れた娘は電話に出るや否や「もしもし」という言葉が出てこず「あ、あ、」と話すと「もう、じゃぁいいわ」と言って彼女は娘との会話を終わらせガチャンと電話を切ったそうである。なぜアメリカの家庭に預けて遠く離れている娘に電話を一度しか掛けなかったその真意はどこにあったのだろうか。

このようなことを書くと樹木希林氏に対しての誤解が生じてしまうが、彼女は娘がアメリカから帰国後の日本語力に危機感を抱きインターナショナルを卒業後の半年を日本の小学校に娘も同意して通ったという。しかしその生活があまりのも辛くて泣いている娘に辛いなら辞めてもいいのよと声をかけたという。娘の危機する姿をちゃんと母として見ていたのである。また娘がフランス語を学びたいと動いた時にはその意思を尊重している。よって放任主義の母ではないことが明らかである。一歩も二歩を離れた所からしっかりと見守る親であったのは間違いない。だからこそ私にとっては知りたい人物なのだ。

樹木希林という女性を知れば知るほど無駄なことはせずにシンプルに最低限の必要性だけで生きていくというスタンスが、子育てにも実践されていることに気付く。側から見ればなんと放任主義なのだろうかと見えるかも知れない。別の見方をすれば子供の自立を促すには最も効率の良い子育てをしたのかも知れない、もっと厳しい見方をすれば母親として愛情表現をもっとすべきではないかという意見もあるだろう。しかし彼女の生き方の中にはベタベタとした親子の関係性を持たない代わりに、一本筋の通った愛情の証を子供に伝えることができた特質な関係性があったようにも感じる。時にリベラルな一面もあれば日本人特有の古風な考え方が存在し、それらをすべて達観したような哲学的な考え方を通し生き切り、樹木希林という人物の中に見え隠れする昭和初期の母親像が存在するのかと不意にそう考えてしまう。色々な母親像があることも理解してはいるのだがその中でも特出している人物であるのは間違いない。子供自身に自立を促した獅子のように強い母であったように思えてならないのだ。


さて彼女の魅力というものは子育てだけではなく、哲学的考え方や時に一刀両断する鋭さとその奥に存在する人間の本質や温かさが魅力であり、一見相反するものが微妙なバランスで存在することに魅力を感じるのだろう。私にとりこの樹木希林氏は大変興味深い人物であり、生涯の研究テーマに値する人物に思えてならない。まだまだ研究途中であるため結論に至らない記事になってしまったがそれくらい謎深い人物のなのである。いやもしかすると彼女のようなシンプルな考え方を持たないからこそ彼女を理解するために迷路の中にいて煙に巻かれているのかも知れない。まずは自分の頭の中や心の中をシンプルにすべきなのよと彼女の声が聞こえそうである。


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