提案『命を具体的に考える』

前回の記事2024年11月4日提案『命についてどう伝えるか』では自分自身の命とは何かを考えさせる記事を記しました。今回は自分以外の命について種を超えた視点で記事にしてまいります。

1、多くの命について考える

子供達に命があるものは何がある?と答えると多くの子供達は人間・哺乳類・昆虫・鳥・魚・爬虫類・両生類・・・と思い浮かべながら列挙していきます。しかし植物に至ることは幼ければ幼いほどまた植物に関心がない場合にはなかなか難しい現状があります。しかし私は子供には自分自身の口に中に入るものは全て命があると教えてきました。殺生していただく肉魚は勿論のこと野菜や果物乾物もそして水さえも自分自身の命を維持するために必要なものは全てということです。極論かも知れませんが人間が自分自身で生命維持のために作り出すことができないのですから口にするものは全てに命があると教えました。今もその考えは変わらずそうあるべきだと確信しています。

命のある無しで命を考えるのではなく、命の維持のために必要なものはたとえそのもの自体に生命がなくとも命の継続や維持に必要であれば間接的なものとして命があると考えて良いのではないでしょうか。さすれば全てのものに感謝することができるのではないかと考えています。



2、小さな幸せを感じる

小さな幸せを感じ取ることができる大変印象深い生徒さん親子がおられました。毎朝お散歩する犬に会うために早起きをし、いつも見掛ける猫がいないと心配し1週間後に見掛けて安堵する、道端に咲いている名も無き雑草が車に踏み潰されないかと心配したり、小さなバッタが道路にいたら捕まえて草むらにそっと放つ、撒いた二十日大根の芽が出たら重い土を跳ね除けて芽を出したんだねと感動したり、青空が綺麗だと感動し、曇り空を見てはもうすぐ雨が踊りだすと言い、ついには朝露が葉先から土の上こぼれ落ちたら無事に着地できたねと喜んでいました。このよう内容を記すと女の子のように感じるかも知れませんがとても元気な男の子で、元気溌剌で俊敏さ持っていると同時にとても感受性が高く優しい気持ちに溢れている子でした。目に映る全てのことを自分の中に取り入れて喜びに変えることができる純粋なものは教えて身に付くレベルのものではありませんでした。どうしたら幼い子供が見落としてしまいがちなことを我が喜びの如く受け止め幸せを感じることができるのかと感心したものです。この子の場合には目の前で起こる事象全てをあそび心で捉え、自由な空想や発想ができる状態にあったのだろうと推測しています。あそび心がスイッチとなり幸せを感じ心動かされ、目の映るもの全てが生命力として変換されているのだろうと感じています。生きるということは幸せを我がものとして捉えることなのかも知れません。




3、命を実感できる体験をさせる

命の有無に関係なく命があると理解するには教室に通室する年齢では理解が難しいものです。よって先ずは命がある生き物とのコンタクトが命とは何かを理解することに繋がります。その体験を積ませることにより五感で命を捉えることができるようになるでしょう。

①  動物と接する

子供達が命を感じる時とはどのような場合でしょう。命が大切であるということを親や周りの大人から大切なのだと教わったり絵本で学んだりしても実感として心の奥底に実感的基盤が育っていなくては本当の命とな何かということが理解できないと考えています。しかし実体験を通して命あるものを実際に見る、触れ温もりを感じることや重みを感じる、匂いを感じる、声を聞くなどと言った経験が体感として残ってはじめて実感的基盤が形成されたと言えるでしょう。よく小動物を膝に乗せて触るという経験がありますが、現代の子供達は生き物に触れることや触れ合うことが劇的に少ないと言えるので是非ともこのような経験はさせて然るべきだと考えます。我が子の場合には小さなハムスターに始まりウサギやインコ、犬猫、日本猿、チンパンジー、山羊、羊、子グマ、コアラ、リクガメ、ペンギン、イルカ、馬など機会があればなるべく体験をさせました。実際に触れてわかることは多いもので子グマの毛は意外と硬いことやコアラは爪が鋭くて獣臭がする、猿は意外と知らんぷりするんだなど実体験で感じたことの収穫は大きなものがあったと言えるでしょう。久々に帰郷した際にはナマケモノの餌やりをしていたので幼き頃のワクワク感は不滅のようでしたし、動物も本能で動物好きなのかを見抜くようで多くの来場者の中、我が子供の呼びかけに反応してペンギンが泳ぎ追いかけてくることに周りの人がざわつくほどでした。その後も至る水槽前で色々なことが起こるので不思議な体験をしました。


②  植物を育てる

植物は動物と違い移動や歩く走るなどの動きをせず、自ら声を上げることもできず、食事をするなどはありません。その代わり自らの命を守り成長するために栄養を自ら作り、葉や根、、実などの体の一部機能が損失しても復活することができる私たち動物には真似をすることができない命あるものなのです。そして注目すべき点は命として見落とされがちな植物こそが地球上のすべての動物を支えているのだということに気づかなければならないと考えます。




4、死と向き合う経験を

命の重要性を教えるためには対極にある死をどう理解させるかが大きな鍵を握っているのだと考えています。昨今ではバーチャル世界の中で人や動物をいとも簡単に倒し殺し、すぐにその命をリセットできることに子供も大人も慣れてしまい現実世界での死というものを深く考えて取り組んでいないことに問題があると考えます。

幼少期の頃から小さな命の重要性について解き教えるということより、幼児が理解しやすい言葉で伝えることが必要です。例えば、死した動物や昆虫には親や兄弟がいたかも知れない、もしかすると死んだのはその動物の母親かも知れない、すると子供達はお母さんを家で待っているのかな?これから子供達はどうやって生きていくんだろうかなどと思考させることで胸の痛みや切なさ哀れみなどの感情を持ち命の重みを考えるきっかけになるでしょう。

実際に起きた小動物を手に掛けてしまう事件はこのような幼児期の心の育みがなされていないことが多いと言います。どんな生物であろうとも命の重みや尊さは同じであるということを考えさせるには、実際に身近な生き物の死から学ぶことが必要不可欠であると痛感しています。




5、死の怖さに直面した場合

身近な人を亡くした子供の中には死に恐怖心を抱く場合があります。幼い子供にとって死を迎えた人や動物が身近であればあるほど死というものが与える影響は大きなものです。目を閉じているだけ、起きてこない動かない、喋らない、反応がないなどということが一気に押し寄せてくる場合にはただ現状を受け止めて共に過ごした時間を思い出して見送ることに徹するということを第一に考えるのも方法です。その後に命というものが継がれ死して土に帰り、その土から植物が芽を出し花を咲かせ新たな命が巡り継がれていくことを伝えます。その時にお勧めする作品が2024年11月3日に取り上げた絵本『葉っぱのフレディ』です。

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