提案『物の命と役割』
子供達と接していると物を大切に扱っているご家庭の子供達には共通した特徴があります。その特徴とは所作の美しさです。例えば椅子を引いて座るのも片手で行うのではなく両手で行います。また消しゴムを使った場合には片隅にそっと寄せます。間違っても消しゴムに鉛筆を突き立てる事や物を渡す時に投げることなどありません。またレッスン中の姿勢の崩れもほぼ無く姿勢を正すようにという注意をする必要はありません。
一方子供達の発達の始まりは物を壊すことから始まるので物をを分解したり、物を投げたり物と物とを叩き合わせしたりします。しかしその発達の途中で躾に関することや物を大切に扱うことを教えなければならないことは必然としてやってきます。そしてそれはご家庭での躾に任されることになります。
物を大切に扱うことができない子供に乱暴に扱わないよう注意すると「これは生きていないからどのように扱ってもいいんだ」という発言がありました。生きているから大切にする、生きていない物だからどのように扱ってもいいんだという考え方に機会を見つけてブログで取り上げなければならないと考え今回記事にしています。では物の大切さをどのように育むのかを考えていきましょう。
1、全ての始まりは原子のエネルギーである
タイトルに『物の命と役割』と題しましたが私は物にも命があると考えています。物は呼吸していない、動かない、温もりがないなどと子供達は発言しそれは命がない物だと言いますが、物が何でできているのかといえば生きているか否かに関係なく、人間も動物、植物、石、山、地球さえも全て原子でできているのですから全て原始でできていると考えれば命があると教えています。原子のエネルギーという点で全ての物に命があるということです。そう考えると物も大切に扱わうべきであると子供に教えるべきではないでしょうか。
2、古の日本人の感覚を伝える
日本には神道の八百万の神が存在するという考え方や仏教や禅の影響を受け、長い時間をかけて日本特有の文化や価値観、精神性の考えが築き上げてきました。その一つが「全てのものに魂が宿る、神が宿る、命を吹き込む」という考え方です。特に日本人は道具を大事に扱う文化があり、道具を大事にすることで自らの生活を豊かにし、職業に誇りを持ち、意識の高さと物作りの精度と品質の高さを誇っています。人にも物にも命が宿り然るべき場所で活躍し自然と一体となり存在するのだという自然崇拝に近い考え方が存在しています。物を大切にしてきた日本特有の文化があることを受けて、今海外では日本の中古品の人気が高いと言われています。日本の中古品は物の状態が海外とは比べ格段に状態が良く評価が高いということです。そのことからも分かるようにと日本人特有の美点は正しく「物を大切にしなさい」と親が子供に教えてきた文化の表れではないでしょうか。今一度物が溢れている時代だからこそ子供に「物を大切にしなさい」と伝えるべきだと考えます。
3、物を大事に扱うことを教える
私は子供達に物にも命があると教えてきました。先に論じたように物も命の元である原子であるという意味も含みますが、祖母が私に教えてくれたのは「物にも意思があり大切に扱えばそれなりに働いてくれ、乱暴に扱えば壊れたり紛失したりうまく活用できないことが起こる」というものでした。このような教えで育ってきたので物を大切に使用するという気持ちはいまだに持ち続けています。皆さんに貸出しているおもちゃの数々も大切にしようしてきたものばかりです。形あるものは壊れてしまうものであるとは理解していても貸し出しで大きな破損を負ってしまうと大変心が痛い思いをしています。もし物が自分の体だに置き換えて考えることができれば、どんなに小さな子供でも乱暴に扱うことは自分の体を傷つけるようなものだと理解することができます。ものの扱いを教えるという躾はこうでなくてはならないと考えます。
ものを大切にしなさいと教えられて育ったとしても一歩踏み込んでその意味を理解させなければ本当の意味でものを大切に扱うことはできないのではないでしょうか。
4、物の役割と使い切ることを教える
物にはそれぞれ役割があります。その物が主となる役割を果たした後はそのものを使い切ることによって命が全うされるとの考え方ができます。我が母は物を捨てるときに「ありがとう」と言って捨てます。私は祖母の教えが母に受け継がれている素敵なことの一つだと認識していますが、「ありがとう」の裏にある「よく働いてくれました。お疲れ様。」という補足をする言葉を聞くのも好きです。昨今はシンプルに物を持たずに生活することが美徳とされ、実家の荷物を次々に処分する話をよく耳聞きします。使える物までゴミにして出すというのは本来の必要最低限の物を大切にして生活するスタイルを取り違えているとも考えます。物を捨てる前に使えそうなものは使っていただける方に譲るということが本当の意味での物を大切にするということではないでしょうか。
また子供達が食事を残すときに必ず使用していた言葉が『もったいないお化け』です。当時は子供向けに発信されていただけではなく、至る所でこの言葉に触れていいたように記憶しています。最後の最後のまでその食べ物の命をいただくことで感謝の精神が生まれます。「お米一粒も残さず食べなさい。お百姓さんが丹精込めて作った物だから。」と教えられてきた私にとって食事をいただく度に思い出す言葉です。その文化は日本だけではなく、フランス料理を食べる時にも「フランス料理のソースはパンでソースを拭き取って食べることはお行儀の悪いことではなく、シェフに対する敬意である」とも子供に教えてきました。まずは食事をすることを手始めに感謝とは何かをあし得るべきではないでしょうか。
食べ物だけではなくいかなるものも最後の最後まで使い切るという精神は感謝という考え方に繋がるものです。さらに感謝を超えて人間は生きるためにため創意工夫を図ることも獲得してほしいと考えます。例えば色鉛筆の削りかすで貼り絵をさせた経験がありますが、この発想は子供達の色鉛筆の削りかすは綺麗だという発想から生まれたものでした。このような考え方は子供たちが様々なことを考え工夫をする能力へと変貌し、発想の転換などで良い相乗効果があったように思います。捨てるものでも美しいとする感性や物を最後まで使い切るために思考することこをとことんさせることは脳への良質な刺激になると確信しています。
5、感謝の気持ちが所作に出て、思考の深さに繋がる
物を大切に扱う行動を日々行っていると一つ一つの動きが丁寧になり、ものを乱暴に扱うこともなくなります。つまり美しい所作の基本が丁寧にということですから物を扱いながら「こんなに小さくなるまで使えるんだな」「あともう少しで最後まで使えそうだ」などと自然と愛着が生まれたり感謝が生まれます。物を大切に扱うポイントは両手を使うこと、指先を揃えることです。例えば相手に物を渡すときには両手で行い、お茶碗を持つときには指先を揃えるなど物を大切に扱い感謝が生まれるようになるのです。私がレッスンで『両手で両手で扱って』を必要以上に伝えるのは発達上の肉体のバランスの良さを保つことはもちろんですが、立ち振る舞いの美しい所作が丁寧さを兼ね備えているので、思考する時にも丁寧に順序立てて思考し道筋を立てて行動をとることができるようになるのです。よって思考することだけではなく学ぶことも話すことも理路整然と実行できるのです。
物を大切にすることはある意味子供自信が大きく成長するチャンスが多く存在することを認識していただきたいと考えます。
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