偉人『谷川俊太郎』

谷川俊太郎氏が今月13日老衰のため92歳で逝去された。速報が飛び込んできた時『あぁ、もうこれで彼が生み出す新しい世界観を味わえないのか』と虚しさに襲われてしまった。詩人でありながら詩壇での評価はなぜか高いものではないようだが、私の立場からすると彼ほど乳児の言語環境に直接的に働きかけた功労者はいないと考えている。人間にとり言葉の源は音であり、乳児にとって音が母国語の出発点なのだ。乳児の言語発達を意識されてかどうかは知らないが、確実に親が乳児の言語発達を意識し彼の作品を堪能させると明らかにその言の葉の音をしっかりと堪能し夢中に読み聞かせに傾聴し絵を目で追っている乳児の姿がある。だから彼を好悪ろう者と認識しているのだ。

彼の代表作である『もこもこもこ』『ぽぱーぺぽぴぱっぷ』『まり』『ぴよぴよ』などは乳児が言葉を理解する以前にその言の葉の音を心地よい状態で聞き遊ぶには最高最適の作品である。意味の持たない言の葉の音はただただ楽しい音遊びとして乳児の中に波紋の様に広がり浸透していくのだ。彼には乳児から大人までの幅広い世代へアプローチする作品を書き、それは全て親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセイ、音楽、童謡の作詞、戯曲など多岐に亘る。つまり遊び心を持って何にでもチャレンジした人物であり、いち早く言葉がシンプルに持つ面白さに気付きそのことを言葉の意味やその力を信じ作品を生み出す詩人でありながら、全く言葉の意味を持たない世界を切り拓いた開拓者であり、乳児の世界に画期的な言の葉の世界を開いた革新者である。

彼は詩の理想系についてインタビューの中でこの様に語っている。「言葉は無意味で無力であり、意味を考え過ぎずにただただ美しいという感覚で捉えてほしい。」と。この発言からも分かるように言葉の意味を多く理解できない子供達の世界にも言の葉の音の美しさと楽しさを注ぎ続けたと言えるだろう。つまり詩というものはその言葉の意味を理解できる人物だけが楽しむものではなく、言葉の意味を理解できない乳児であっても楽しさや心地良さがある感覚だけで十分捉えることができることを証明したと言えるだろう。事実谷川氏の作品を読んでいくと集中力の大変短い乳児が楽しんでいる事実が厳然として目の前て繰り返されているのである。谷川俊太郎ワールドに魅了された乳児が言の葉の音を楽しんでいる様子を谷川俊太郎氏はご存知だったであろうか。「あなたのおっしゃる通り乳児はシンプルに言の葉の音を楽しんでいます」と今晩献杯したいと考えている。

今回は誰しもが思いつきそうでつかない彼の考え方の源はどこから来るのか勝手に想像してみることとする。

1931年12月15日法政大学の学長で哲学者である父谷川徹三と母多喜子の長男として東京杉並にて誕生する。父徹三は哲学者でありながら文学や芸術、思想、宗教など多岐に亘り活躍し当時の日本を代表する著名人との交友の幅も広かった。小学校の低学年で朝の美しさに感動し詩作った話は彼のファンなら知っている事実である。16歳で詩作を作り始め帝大の受験に失敗し家でブラブラとしている時に父から将来どうするのかと話を切り出されたという。その時に書き溜めていた詩を見せた。初めて息子の才能に驚いた父が交友関係のある詩人の三好達治に助言を求めた。そこから三好達治のサポートで詩の世界を追求する人生が始まったのである。

彼の人生はかなり恵まれたもので20歳で代表作とも言える『二十億光年の孤独』で鮮烈デビューをしている。その後の活躍は周知の事実であるためここでは取り上げず、晩年戦争と平和についての仕事が増えると第二次世界大戦での稀な体験を語っていることにフォーカスしてみる。

第二次世界大戦で多くの日本人が辛い戦争体験をしているにもかかわらず、彼の親族の中で戦死した人もなく、彼は焼夷弾が落ちた場所へと友人らと共に自転車に乗り見に出かけたと語っている。そして平和と戦争について晩年は驚く考え方を発言していた。

要約すると、平和と戦争を良し悪しと二分するのではなく、平和の時代であっても人間が豊かに生活するために自然破壊を繰り返し、パンデミックを引き起こし世の中を混乱に貶めていることを考えると平和が100%良いと言えるだろうかという意見を述べ、同時に国家間という戦争というものがなくならない一方で、形を変えた戦争と言えるテロ攻撃が起きていることも危惧をしていた。この意見は戦争に翻弄れた沖縄人としては一瞬引っかかるものであったが、ある意味かなり先進的な考え方ではないかと考え直した。

平和であろうと戦争であろうと人間というものは人間の立場だけで物事を捉え過ぎているということであろう。こう考えると動物や植物は自分たちの与えられた環境の中で種の保存や営みをしている訳で、人間のように自然環境を破壊してはいない。しかし人間は平和であろうと戦争を起こしていようとも何かしらの破壊行為に走っている。本当にそれでい良いのかということを考える時期が来ているのではないかということだろう。世界大戦を経験しながらも心身を傷つけられるような経験をしていない彼だからこその意見のような気がしてならないが、確かに彼は軍国社会の中で育ち、父が反戦の立場を取り海軍の一部の軍人と戦争を終わらすためにどうすれば良いのかと秘密裏に会合を開きその内容を見聞きしていたまた特殊な戦争体験をしているのである。つまり戦争の中にいるが実質的な被害を受けないまま終戦を俯瞰できる立場にいたのである。父親の谷川徹三氏が哲学者ということでその様な考え方が芽生えたのかと記者に問われた彼は、それははっきりわからないと明言している。しかし私は物事を俯瞰してみる彼のものの考え方にこそ父から受け継いだ哲学的要素は存在すると考えている。哲学は常に俯瞰して物事を捉える学問であると言い切ってもよいからだ。また彼は人間寄りの考え方ではなく彼の作品からも滲み出ているように自然や宇宙寄りで物事を捉えている独創的な考えも持ち合わせている。また一人っ子特有の集団的なものに群れることなく自分自身の考えを充実させる特性も大きく関係していたであろう。

世間的な風潮とは少し異なるようにも感じる谷川俊太郎氏の意見は実は確信的的を得ているのではないだろうか。水も空気も身の回りにあるもの何一つ一から作り上げることができない人間は、全てを借りて生きていることに気付き謙虚になるべきではないか。

谷川氏の考え方を一歩踏み込んで考えると、全てのものに表と裏があり、それを選択する権利が人間に与えられいるのであるからそれを選択をすれば責任が自ずと課せられる。国家間の戦争で解決しない人類の問題を国家間では収まりきらないコロナのパンデミックで世界が一丸となって解決すべき時が来ていたのではないだろうか。がしかしそのタイミングも人類は逃し新たな戦争を招き、争いを起こし国同士での対立がまた起き人類の転換を逃してしまった感がある。

谷川俊太郎氏の人が思い浮かばない思い描けない思いつかない多くの考えや発想は楽しいテーマであろうと重いものであろうとさまざまな角度から物事を捉えるということの重要性を学びとることができるのではないだろうか。面白がって楽しんできた彼の生き方が乳児向けの絵本に詩を投影し、言葉遊びを詩の世界に取り入れ存分に面白がり、また混沌とした現代に平和と戦争という重いテーマに一石を投じた。これからの時代を担う子供たちにまだまだ多くの作品を贈り届けてほしかったというそれはそれは大きな喪失感と人間のあるべき姿を見直すべき千載一遇のチャンスを逃した人類にもう少し俯瞰した意見を朗々と語ってほしかった。

偉大なる詩人に心から哀悼を捧げる。



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