提案『議論と討論の重要性 第2弾』

数年前でしょうか友人に「小さい時から文字や数字などの勉強を教えてもその後の学力に差はないというけれど本当なの?」と質問を受けたことがあります。様々な研究データーから単純に暗記的学習として取り組んだ場合には学力の差はないと私も考えています。しかしながら当教室が目指しているのは知り得た事実や教養、体験を通して獲得したこと及び学習全てにおいて思考することと感覚的研ぎ澄ましの力をもって学び、知りたい学びたいという意欲の動機付けに刺激を与え、明確に実践することで子供の思考力、記憶力、推察推測力、習得力などを伸ばす方向で教育を考えていくとやはり大きな差は明らかに出現します。よって乳児期からの思考の育ち始めるタイミングでどのように育てると良いのかを提案し実践していただいていますが、乳児を持つご両親は学習を詰め込もうとお考えになる方はまずおられません。子供の可愛い仕草に目を細めながらどの様に愛情を注ぐのか育てていくべきなのかを懸命に学んでおられるのです。しかし年を重ねていくと教育ということがちらつき始め先取りをお考えになる方向へと舵を切るのですが、乳児期からコツコツと子供の思考力を育てるとそんなに苦労をすることはありません。が乳児期からスタートしても実践が伴っていなければ学習は詰め込み型に移行する方もおられます。また途中入室の親御さんには詰め込み型の傾向がありお子さんだけに学習を要求する方がおられますが、私は途中入室だからこそ親子で共に一つのことに学ぶことをお願いしています。たとえそれが簡単な足し算であってもです。なぜなら昨今の学校教育が変わるタイミングに合わせて幼保育の環境にもその改定の波が押し寄せ始めているからです。ではその変わるタイミングということはどのようなことでしょうか。それは議論と討論です。では以下の順を追って説明して参ります。

1、幼児期は絵本を活用して自由に発言

まずは保育について考えていきます。保育の変化は就学以降の子供達の学習変化から影響されていますがどの様に変化しているのかというと、

『正解のないことについて自ら考え、常識や前提に捉われることなく何かを考え作り出すこと』

『一つのことを掘り下げて研究や発見をすること』

『問題解決のために自発的に行動すること』

『多種多様性を受容し自分自身の意見だけを主張するのではなく考えの違いを認め異なる考え方の良さも認めながら新たな意見や考えを生み出す姿勢を身につける』

という新たな幼保育を指します。つまり幼児であってもこれからの時代の流れを考えると人とコミュニケーションを図りながら対話をし、意見の異なりに耳を傾け享受すべきことはし、自らの意見を述べることができる基礎を築くことが必要であるのです。ですからこれからは多くの場面で子供達には思考力と発言力が大いに求められるのです。

ではどのようにその力を身につけていくのかということですが、レッスン時に私が子供達に問いかけを行っている「あなたならどうする?あなたならどう感じた?どう考える?どのような行動を起こす?」という問いに自分自身の意見をしっかりと述べられる機会を増やすことです。この実践を親子で突き詰めていけば良いのです。また私が実践していたことですが絵本を純粋に楽しむ時間と絵本を活用して自らの感想や考え持ち、家族や友達の意見を聞いて様々なことを感じ考えさせ、それらの思考を元に自らの思いを言葉にする活動が大きな成果を生み出します。幼児期のこのような活動を進めた上で議論や討論ができるようになると考えています。幼児期の自由に発言するように育った欧米の子ども達はこのようなことを家庭や学校で当たり前のように行っています。私の外国の友人達がずけずけと包み隠さず発言できる基礎というものはここにあるのだと思いますが、私も少なからずその片鱗を有しているため鋭いことも指摘しますがそこには議論を持ち込みたいと考えています。子供達を良い方向へ導くためには私と親御さんの間でも議論を交わすことは必要だと考えます。



2、就学時期は議論を積み重ねる

「私はこう思う、こう考える、こう行動する。」「あなたならどう思う?どう考えているの?どのような行動を起こす?どのような意見を持っているの?」という声掛けや働きかけが就学後も必要になります。幼児期の自由な発想で自分なりの意見を自由に発言できる環境を築いた上で次のステージである就学後の議論が生かされていきます。

先に述べた幼児期の絵本を通しての取り組みで十分な土台形成を築けた子供達は、議論という一つのテーマに対して参加者全員で意見を出し合い、相手の意見に対して思うことや感じる事を述べ、最終的に全員が納得するような結論を出すことは十分行えると考えます。なぜなら幼児期に於いて自由に思いを言葉にする経験と相手の話を聞いて受け入れることが実践できているからです。しかし就学児童は世の中には多種多様な考え方があるのだということはまだまだ理解不十分な年齢です。よって多くの経験や人との交流などを増やし世の中には多種多様な考えがあるのだ、自分自身の思考に偏りがあり、思い込みもあるんだと必ず気付かせることが必要です。また親はそれらを必ず気付かせることが必要だと考えます。

就学期は全員参加型で意見を述べ合い、最終的に参加者全員が納得するまたは異なる意見を持っていても受け入れができるような結論を導き出すことが議論で、共通した理解や解決策に向けてディスカッションを存分に体験させることが重要です。議論するということにしっかりと軸を置き互いに向き合うことが次のステップである討論(ディベート)ができるのだと考えます。この経験を通して議論的思考力とコミュニケーション力を獲得した上で討論という世界に進み出てほしいと考えます。



3、中学生以降は討論を積み重ねる

討論は議論と性質が異なり、一つのテーマに対して対立する2つのチームが賛成と反対に分かれ主張や意見を戦わせ、それぞれの立場で主張を繰り返しながら防御することです。この討論の目的はそれぞれが自分たちの主張が相手よりも強く、時に正しく妥当であることで相手やその他の人を説得することです。時にこの討論は自らの意見を正当化しようと論理的な思考無くした相手批判になり屈辱的な立場に相手を追い込むことがあります。しかし幼児期の自由発言と相手を尊重して話を聞く経験を土台に、就学期で議論的思考とコミュニケーション力を築いていれば攻撃的な物事の捉え方を和ることはありません。私が考える討論とは相手を論破することに目的を置くのではなく、相手が納得できるだけの分析力や論理的思考力を極めたり相手の心に響くプレゼン能力やコミュニケーション能力を磨くことだと考えます。ただ単に相手より勝る相手を論破して喜ぶということに軸足を置くとそれは単なる争いにしかなりません。討論とは相手の意見も分析した上で優れているものは何かを考えそれらを活用できるより良い社会形成の構築に活用すべきものではないでしょうか。

世の中では討論に目を向けがちな教育がまことしやかに重要だと叫ばれていますが、私は幼児期からの相手を思いやる気持ちやたとえ自分自身の意見と異なるものであっても相手の意見にまず耳を貸すということ、そして倫理的に理性で物事を考え議論的思考を兼ね備えるステップがあっての討論だと考えます。

より良い社会形成のためにはやはり小さな子ども達の社会にこそ真実があると感じています。



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