偉人『齋藤秀雄』
齋藤秀雄氏は日本のチェロ奏者、指揮者、音楽教育者である。サイトウ・キネン・オーケストラの演奏を聞いたことがあるという方ならば齋藤氏の凄さというものを理解できるかもしれないが、多くの日本人は齋藤秀雄氏とは誰なんだろう?はて何をした人ぞ?と思っているに違いない。桐朋学園の創設者の一人であり、日本を代表する音楽家のレジェンドである。今回は演奏家を経て数多くの若き演奏家を育てた齋藤秀雄氏の教師としての立場から、どのような指導していたのかを参考に親がすべきこととは何かを考える内容として20205年幕開けの偉人として取り上げることとする。
1902年5月23日英語学者の父秀三郎の長男として築地明石町で誕生し麹町で育つ。12歳で音楽に興味を持ち最初に手にした楽器マンドリンで演奏する楽しさを知り、16歳で宮内省のチェロ奏者からチェロの手解きを受け人生を決定づけるチェロ奏者になる道を進むことになった。
大正末期に20歳で日本のオーケストラの礎を築いた近衛秀麿に随行する形でドイツに渡り、チェロ奏者として留学した経験をもとに帰国後は演奏家の道を歩み、その後更新の指導を行った。そしてかなり厳しい言葉で叱咤した音楽指導を行ったとされている。今では考えられないような厳しい指導で時に指揮棒が飛んでくるなど現代では暴力やパワハラと捉えられても仕方のない指導法であったようであるが、そこには彼なりの愛情があり厳しく当たった後にはフォローをすることも忘れなかったという。ではなぜ彼がそんなにも厳しい指導を行ったかであるが、彼がドイツ留学で肌で感じたことは歓迎や受容ではなくクラシックとは無縁のアジア人にヨーロッパの伝統音楽を演奏することができるのか、否ヨーロッパの音楽を深く理解することは不可能であると揶揄され、時に批判されることを真正面から受け止めなければならなかったのである。彼が厳しく指導する意味と理由はそこにあると確信している。
西洋音楽にゆかりもない東洋人が異国の地で荒々しい洗礼を受け、その風雨を耐えてひたすら音楽を極めようと努力を積み重ね、帰国後は日本に於ける音楽の裾野を広げ豊かにするためには指導というものが重要であると気付き、指導法を研究し確立し、一粒一粒の種を大事に撒くように若き音楽家を育てた。その涙ぐましい指導というものは彼の門下生で海外の一流演奏家の指導を受けた愛弟子達が「齋藤先生以上の指導をする演奏家や指導者は海外にはいなかった」と語っている言葉に裏打ちされている。チェロ奏者としての道を歩めるくらいの才能とバックボーンを持ちながら指導者の道に進み、自らが経験していない楽器をも学ばなければならない指揮者としての道を極め、一つにまとめるオーケストラを率いた功績を考えると並大抵の努力ではない。そして音楽教育という更なる子供達の本質が見えてくる指導者になるという偉業を成し遂げたのは、齋藤氏の音楽に対する情熱と並外れた努力と生徒を見抜く眼光の鋭さと分析の賜物である。とあるインタビューで天才を育てる秘訣を聞かれるとこう答えた。
「天才というものは育てようと思って育てるものではなく、それは期せずして出てくるものであり、魔法というものはない。手品だって種が有るように教育に魔法なんてものはありません。」
子供達はそれぞれ秀でた原石は持っていると私は考えているが、その原石を磨くかどうかはその子の得意なことを磨く教育が必要であり、齋藤氏の言葉を借りれば魔法というものはない。あるとすれば子供の原石がどこにあるのかを見抜くことと、苦手とするものを作らず物事を習得するコツを掴む努力をさせること、多くの刺激を与え経験させることである。一石二鳥に天才が生まれるのではなく、それらのことを多く注ぎ込んで期が熟したときに形となり出現するのだ。よって親御さんには斉藤氏のような熱量を持って子育てにあたってほしい。
また彼は音楽家を志す者に求めた3つのことがある。
「音楽を極めるためには3つのことが重要である。一つは音楽が好きということ、二つ目はその音楽を理解すること、そして3つ目が実践し演奏できなければならない。」
つまりは一つ目の好きは一意専心を指し好きという感情がなければそのものを追求することはできないということである。そして二つ目は音楽を理解することの重要性を説き、この理解力は個々によって特性が大きく変わるので理解してもらうことに難しさを感じることも多いとしている。例を上げ、街中で薬局を見つけるように指示を出すと薬局の位置を事細かに把握する者もいれば、何十回その道を通っても薬局を見つけることすらできない者もいるとし、個人の持つ理解力には大きな隔たりがありその道を極める者の理解力は秀でていなければならないと語った。三つ目に音楽の素養があっても実践練習をすることを怠ってはならないし、練習の先には成果を上げなければならないとした。
彼の言葉を目にすると音楽を志す者へ求める3つは指導者としての齋藤氏自身にも求められていたことではないかと考えている。つまり指導者として教えをこう子供達への愛情を持っている=音楽を愛す子供たちが好きである。そして子供達が音楽を理解するために齋藤氏自身がその子供達を理解しようとしていた。三つ目はその子供達が音楽を奏でるためにドクターストップがかかるまで自身の身を削って指導実践を行なっていたということである。
ではこの齋藤氏の立場を親に置き換えて考えてみよう。
親は子供に愛情をかけて育てる=好きである。だから子供が良い方向へ育つように親なりの考え方で教え実行させる=実践する。がしかし多くの親御さんは我が子を自分自身が思い描く理想像に変化させようと指導するあまり子供をじっくりと観察して理解することが手薄になっている。つまり子供自身を熟視せず、熟知しようともせず、子供の心の中を知ろうとさえも考えず指導に入ることがどれだけ多いことか。これは私が日々感じていることであり、齋藤氏のように子供の理解力がどこまであるのか、特性は何か、進捗状況を観察し分析することでにより子供は大きく成長することができると確信している。そのために最も重要なのは親の理解力の成熟度である。
社会一般的には経済格差が子供の学力に影響を及ぼすと言われているが、私は経済格差以上に親の理解力の精度が子供の理解力の成長を大きく左右することに親はもっと敏感にならなくてはならないと考えている。どんなに子供に才能があっても導く側に理解力がなければ大きな結果を見出すことはかなり難しい。よって今年は去年以上に親御さんには慎重に丁寧に物事を捉え思考し理解を深め子育てにあたってほしいと強く熱望する。
齋藤秀雄氏はどんなに小さな5、6歳の生徒でも一人前の演奏者として扱い、その厳しさたるや大人でも緊張するほどものであったという。緊張の中で成長することは現代では無い環境かもしれないが、ある程度の緊張はここぞという時には発動しなければならない。厳しさの中に確りとした指導が存在すれば必ずその指導を受けた子供達は大成する。これは私の経験から賛同出来る事実である。楽しいと思える土台を乳幼児期に築いて、子供達が自ら学ぶことを進めていけばある程度の場所に達した時に厳しい局面が自ずと出現する。その時に厳しさを忍耐で乗り越えるタイミングが到来したと考えて良い。つまり齋藤秀雄氏の愛弟子達が世界で活躍していることを見れば、齋藤秀雄氏がそのここぞという局面を捉えて厳しい指導をし成果を出したことは明白である。その厳しい道を通ったものだけが大きく成長することができているのだ。
今年こそ子供を大きく成長させる年にしたいとお考えの親御さんは齋藤氏の語る好き・理解・実践を今一度ご自身の立場に置き換えてお考えいただきたい。
次回の偉人は齋藤氏の厳しい指導を受け世界で活躍する門下生の中から昨年天に召された『小澤征爾氏』を取り上げ齋藤氏の指導法のエビデンスを探ることとする。
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