偉人『レイモンド・アルバート・クロック』

子供の頃三越デパートの帰り同行のご褒美として他の兄弟には内緒でこっそり牧志バス停近くのマクドナルドに寄っていた。子供ながらに「いつもお姉ちゃんだから」という我慢を強いられる私に気遣ってのことなのかと思いながら大好きだったチーズバーガーを頬張っていた記憶がある。私のマクドナルドの思い出といえば母娘二人っきりの記憶なのだ。しかしここ数年ハンバーガーを食べようかという気は起きずこれも年なのか・・・しかしあのMの看板を見るたびに間も無く2期目を務めるアメリカ次期大統領トランプ氏を思い出すのだ。

なぜか・・・それは今回取り上げるレイモンド・アルバート・クロック氏がトランプ氏の直情的発言や行動がクロック氏に似ていると感じるからである。直情型とは感情をあるがままに表す発言や行動を起こすことであり、子供じみた発言や行動を揶揄され自信に満ち溢れていることが多く、どこか稚拙さを感じているからでは無いだろうか。ファーストフードの帝王のMを見てそこまで妄想してしまう私もなんだかなぁ・・・と自己分析してしまうのだがこの妄想もブログを書くのには先付けのようで必要なのだ。余談はさておき今回の偉人伝の本題に入ろうではないか。今回取り上げるレイモンド・アルバート・クロック氏はマクドナルドが世界的なファーストフード店にした人物であり、彼の個性である直情的な感情を子供達が持つことの是非と直情さを持った場合の対策及び子育ての方向性について考えてみたい。

1902年10月5日チェコ系ユダヤ人で音楽家の父アロイス・ルイスと母ローズ・マリー・ヒラクの末っ子としてイリノイ州のシカゴ近郊オークパークで誕生した。チェコからの移民だったために貧しい生活であったようだが、両親は子供の教育には熱心で努力と信念を持つことの重要性を説いていたようだ。父アロイスは「成功は努力と忍耐の結果であり、信念を持ち困難に立ち向かうこと」を子供たちに伝えていたという。クロック氏はピアノ演奏のアルバイトをしていたことは知られているが、実は新聞配達をしながらピアノを習うなど音楽家の父の後を追うような行動を起こしている。しかし第一次世界大戦の勃発により彼は15歳で高校中退し、赤十字の救急車の運転手として年齢を詐称して訓練を受けたものの終戦を迎え従軍することはなかった。しかし勤勉さやお国のためにという思いもあったであろうが若きクロック氏は訓練仲間とつるみ夜な夜な女の子を引っ掛けて遊んでいたという。しかし同じ訓練生の中にあのウォルト・ディズニーもおり、クロック氏とは正反対に外出することのなくひたすら絵を描いていたという。後に世界的な企業を率いる両者の接点がそこにあり、同じ釜の飯を食す立場にある者同士ではあるが育んでいた夢という点では正反対の位置にあったようだ。ウォルト・ディズニーが夢を描いて無心になっていた一方で、方や女の子の尻を追っかけて遊んでいたクロック氏が同じ世界的企業を経営する人物になろうとは誰が考えていただろう。夢を現実にした男と人が立ち上げたもので世界的な企業に押し上げた人物とは比べてはならないものかもしれないが、それぞれがそれぞれのフィールドで一流を実現させる面白さというものが垣間見える。

クロック氏はその後サラリーマンに転身しペーパーカップ(紙コップ)を販売する仕事、不動産、ピアノの腕を活かしてジャズピアニスト、ミキサーを販売する仕事に就いた。そのミキサー販売時にマクドナルド兄弟の経営するハンバーガーショップのことを耳にし、その斬新な営業方法やシンプルな商品販売の洗練さに衝撃を受け、その店を見た当日にその店舗の経営拡大を一気に思いついたのである。マクドナルド兄弟に面会をしたクロック氏はフランチャイズ化を提案し自らその実行を果たすことになった。当初はうまくいっていたマクドナルド兄弟との関係性も徐々に綻びが生じた。完璧なポテトフライを再現するために従来の方法とは異なる方法で製造しようと願い出たクロック氏に対し、なかなか許可を出さないマクドナルド兄弟。業を煮やしクロック氏はとうとう金銭を工面してマクドナルド兄弟が生涯働いても獲得できない報酬提示をし経営権を買収したのである。一般的にはクロックの行った買収はつまり乗っ取りに近い状態だと言われるが彼のこの行動がなければ私たち日本人はマクドナルドの存在を知らずに生活していたかもしれぬ。ちなみにマクドナルドの日本上陸は1965年今から60年前のことである。マクドナルド兄弟は社名まで奪われ尚且つ彼らが新たに社名を変えて経営した店舗の目の前にクロック氏が店を出し、わずか6年でマクドナルド兄弟の店は閉店したのであるから情けもない買収と言われても仕方がないのかもしれないし、それがビジネスといえばビジネスである。つまりクロック氏の直情型の特徴が存分に現れた現実と言える。

攻撃的な買収に見えるクロック氏とマクドナルドの幕切れではあるが、彼の経営戦略や手腕はユニクロの柳井正氏やソフトバンクの孫正義氏は評価をしている。世界的企業にするためには私が考えているような義理人情を度外して冷静に世情を見て戦略を講じなければならないのであろう。、それ以上に目の前にあるチャンスを逃さない早期決断やどのような状況に置かれても諦めずにやり遂げるという信念も必要であろう。そう考えるとクロック氏のような直情型タイプの特徴が最大限に活かされたのかも知れぬ。

ではマクドナルドをわずか30年で世界的企業に押し上げたレイモンド・アルバート・クロック氏のような直情型の人間の特徴を子供が持ち合わせたらどのように育てることができるのかを考えてみることにする。

1、感情がストレートである。

先ず何と言っても感情がストレートに出やすいという特徴がある。子供の特徴としては当然で何ら否定をすることではないが、子供を教え導くという点においてはある時期から子供を社会に送り出すことを考え、自分の感情だけを強烈に表現をするのではなく相手の立場になって考えることを促す必要がある。つまり感情がストレートで自分だけの意見を述べるということはある種幼児性を残したままで成長させることになる。これが社会に出た時に誤解を生むことになるりクロック氏は誤解を招いていると推測できる事案もある。時には強く主張することも必要であるがそこには感情ではなく理性を持って自分お意見を主張する冷静さを子供達には身につけてほしいものだ。


2、自分自身が正しい

これはクロック氏の特徴として強くできているもので、トランプ氏にもその兆候があり二人が似ているとされるものだ。クロック氏はマクドナルド兄弟が生み出した商品を忠実に再現しようとするあまりそれを受け入れないマクドナルド兄弟に対して複雑な感情が生まれ決裂したわけであるが、それは自分自身が正しいと思い込むあまりどのように相手を納得させることができるのだろうかと考え行動することが不足していたのではないだろうか。自分自身が正しいと思う自信は肯定する価値は十分にあるが、それ以上になぜ相手が賛同しないのかということを考える視点で物事を分析する必要があり、子供自身がそのようなことを主張する場合には本当にその考えが正しいのかをあらゆる角度で思考させ、相手を納得させるだけの理由を考えさせるべきであり、説得できない場合にはそのことを一旦受け入れ攻撃的にならず落ち着いて考えさせる方向に舵を切るよう伝え導くことも必要である。つまり常に自分は正しいと思うところには自分の足も掬われてしまう大きな落とし穴があると考えた方が良いだろう。


3、協調性に欠け自分中心である

自分自身が正しいと思う場合は多くが自分ファーストな行動を起こしがちである。つまり別の見方をすると協調性に欠けるということだ。クロック氏はマクドナルドを大きくしていく中で右腕となって活躍していた人物を意見の対立で失った。その直後にその人物の大きさを知ることとなったのである。目の前に横たわる事案に目を奪われ本質を見誤ると想定していないことが起きる。このような時にこそ相手を尊重し相手の意見に耳を貸し、自らの意見をし分析する器の大きさが必要なのだ。自己中心的考えは時に鋼のように堅牢になり過ぎるあまりポキッと折れ修復できない状況になる。しかしそれが柔軟性のある柳のような考えを持っていれば柔軟に相手の意見に耳を貸し、協調性を持ち合わせ大きな代償を払わなくて済むのだ。子供が自分の意見を主張するあまり失敗した時にこそ、鋼と柳の話をするべきだと考えている。

クロック氏のワンマンぶりがあったからこそマクドナルドは世界的な経営展開ができ、ファーストフードの帝王として君臨することができたのかもしれない。しかしその対局にあるスターバックスの創業者のハワード・シュルツ氏を考えると柳のような受難さで世界規模展開できている企業もある。この両者は一から起業したのではなく事業を先に起こしている人物の核となる商品を手にして会社を大きくしたという点では同じ立場である。似たような条件で似たように世界に打って出てもこれだけ違う状況があると人間というものは本当に面白い。

私がこの仕事をしている上で同じように同じことを伝え指導をしていても同じような成長を子供達が辿るとも限らず、色々な反応を生み出し、さまざまな能力を開花させる。そのような子供の世界の中に存在する縮図を見ているからこそ気づけることもあるのだ。大人の世界の根源はすべて子供の世界の中に存在しているのだと納得し、だからこそ子供と向き合うことの重要性と責任を改めて感じる。

子供は本来右脳から発達するので感情優先の発達を遂げる。よって子供の持つ直情型はどの子にも存在しておりその是非を問うものではない。しかし社会性を身につける左脳の発達が促されるタイミングで少しずつ感情と理性のバランスを時教える必要があるのだ。今回のブログ記事を書いていて痛感したことはやはり大人の目指す社会というものの根源は子供達の中に存在するものであり、大人は子供の本質に自分自身の心を重ね合わせるべきものなのだと感じてならない。子供というものは本当に偉大な存在である。


Baby教室シオ

ほんものの学び。今必要な学び。乳児期から就学期までを総合プロデュースする沖縄初の乳児のためのベビー教室です。