偉人?『クリストファー・コロンブス』
前回取り上げた偉人がマルコ・ポーロであったことを受け今回は『クリストファー・コロンブス』を取り上げる。ただ彼を偉人として捉えるべきかどうか大いに迷うところだ。改めて偉人の定義とは何かを調べると「偉人とは歴史上優れた仕事を成し遂げ、多くの人から尊敬された人物」とある。では破壊、略奪、殺戮を繰り返し奴隷商人の顔を持つコロンブスを偉人に入れるべきではなく除外されるべき人物なのだ。とはいえこの記事を成立させなけれなばならないと決めたからにはやらなければならぬ。「やるしかない」・・・今週水曜日の年長さんがレッスン中に難問に向き合う時に発した言葉を思い出し励みにしながら記事を書くことにする。
学生の頃世界史で学んだコロンブス像は1492年『意欲に燃えたコロンブス』として新大陸発見で未開拓地を開拓し文明化を図った人物としての認識があったのだが、実は歴史的解釈の変化とともにコロンブスのダークな部分が浮き彫りになっている。
コロンブスの蛮行極まりない行為は15世紀の輝かしい冒険家ではなく多くの悲劇を引き起こし、その影響たるや現代にも尾を引き根深き問題となっている。なぜ我々世代の歴史認識と現代の歴史認識に隔たりがあるのであろうか。『教科書には載っていない・・・』というフレーズを目に耳にする時代ではあるが、意識して歴史や文化の背景を確認し調べ本質を見抜いて自分自身の意見を持たなければ痛いことになる。つまり我々の歴史的教育は西洋やキリスト教を軸とした一方的な見方で行われた教育であり、多種多様な見方捉え方考え方により多くの選択肢で多角的に物事を捉える時代が現代だ。
しかしそのような考え方や捉え方をしなければどのような痛いことになるのであろうか。
昨今でいうとMrs.GREEN APPLEのMV炎上問題だ。この炎上問題で若い世代であってもコロンブスの蛮行について知らないことがあることから偉人から学ぶということが浸透していないのであろう。その一方でこの炎上問題をきっかけに若者が「コロンブス」というキーワードを検索し歴史上のコロンブスがどのような人物であったのかを知ったということもあったようだ。雨降って地固まるという捉え方もできる。この問題は製作者だけの問題ではなく、自分自身の問題として捉えるチャンスであり自分自身が大きく成長できる問題として受け止めることができたら尚良しである。またもし制作側にコロンブスが行ったことや差別問題や植民地問題への意識があれば別方向からのアプローチでMV制作ができたであろうし、彼らの放つ音楽的才能に批判が集まることはなかったであろう。(Mrs.GREEN APPLE結構好きなのでこれにめげず彼らの持ち味を発揮してほしい)、またこの炎上きっかけでコカ・コーラの水資源の問題が注目しても良いかも知れない。またコカ・コーラはパレスチナ問題にまでむすbついていくのでまで絡まった紐を解くように現在起きている問題を自分の問題として読み解いても良いのではないだろうか。コロンブスの問題も若き人気アーティストのMV炎上の失敗も人類は失敗の連続でそこから学び直しを行い、新たな価値観が生まれ進化していくのであると同時に多くのことが複雑極まりないものであることを認識し、自分自身に置き換えて物事を捉えることができれば子供の教育のヒントにもなるのだ。
前置きがどんどん長くなりこの記事はどうなるのだろうかと我に帰ったところでコロンブス本題に戻うそうではないか。
1451年ジェノバ生まれのクリストファー・コロンブスは貧しき羊毛商人の息子として誕生し船乗りであった。しかし彼の誕生の地やユダヤ人ではないかなど幾つもの説がある謎の人物である。彼は船乗りとして島を渡り歩き多くの言葉を習得し航海学、海洋学、天文学を実践で学び、野心に溢れ支配欲と富を築くことへの執着が大変強い人物であり、多少の困難や問題にも粘り強く立ち向かう人物であったとされている。当時はレコンキスタ(イスラム教徒によって奪われたイベリア半島を複数のキリスト教国家の手により取り戻した)が終了していた時期であった。ヨーロッパが欲しがっていた香辛料はイスラム商人たちが手に入れ売買し富を得ていた。つまり既に宗教絡みの対立構造があった時代にイスラム商人から高値で品物を購入するよりも自ら直接海外へ出向き品物を購入すればコストがかからず一攫千金が狙えると考えていた。その先進国がポルトガルで東周りでの航海に力を入れており、コロンブスは自ら西に回れば航海短縮が図れるとしてポルトガルに支援を頼むが断られた。そこで彼はスペインに支援を頼みフェルナンド国王とイザベル女王の支援を受け西周りの航海に乗り出したのが1492年8月3日である。3隻の船と約90人近くの乗組員を乗せての出発である。しかし驚くなかれコロンブスは新たな大陸を発見した暁にはその土地の総督になることやその土地の収入の10%をもらうという条件を出していたのである。冨も名声も我が手中に収めることのみならず新たな土地を植民地化することを計画段階から企てていた。
3ヶ月後にコロンブスが辿り着いたのはインドではなく、アメリカ大陸近くのバハマ諸島である。当時はアメリカ大陸の存在を知らなかったためインドだと思って辿り着いた。インドに着いたと勘違いしネイティブアメリカンをインディアン(インド人)としたことからその名前が定着してしまった。私が子供の頃『Ten little indian boys』を先生が絵本を見せながら違和感なく子供達みんなで楽しく歌っていたことを思い出すと人種差別があったのだろうかとふと頭をよ過る。もし奴隷文化を持つルーツの子供の世界で同じようにこの曲が歌われていただろうか?自分自身の幼い頃に感じた人種差別を思い出して改めて多様性を認める重要性を痛感してならない。またまた私のいけない回想録が始まってしまった。再び話を戻そう。
コロンブスはバハマに到着すると先住民から水や食料を与えてもらい友好的な先住民を捕らえ金のありかを尋問し多くのものを略奪した。日記には彼らは良い体であるから奴隷にすることができすぐにキリスト教徒になれるだろうと記している。島々を周り友好的で平和的な先住民から略奪をしたでけではなく、2度目の公開では17隻の船とレコンキスタで活躍した多くの血生臭い兵士1500人とキリスト教司祭も乗船していた。兵士らによって引き起こされた先住民への殺戮行為やペスト天然痘などの疫病により絶滅した部族も多く、約1200万人が殺害死亡したとされている。多くの先住民の死により植民地の城を建築する奴隷不足で働き手が無くなっつたためアフリカから多くの奴隷がアメリカ大陸に連れてこられたのである。これが今のアメリカ社会に存在する人種差別に繋がり、アメリカ大陸付近の島々にアフリカにルーツを持つ人々が多いことになっているのだ。コロンブスのしたことは先住民の殺戮だけではなく、彼の指示に反発した味方のスペイン人も殺害するなど狂気に満ちた人物なのだ。つまりコロンブスは楯突くものは皆殺しにした独裁者としての顔も持ちまた奴隷商人でもあった。
そんな人物を偉人扱いにしていたことに疑問を持たないのがおかしい。歴史の裏に隠されている事実というものが違うということを多様性を受け入れる時代であるからこそやはり学校教育では教えるべき事実ではないだろうか。また学校だけではなく親子でこのような歴史の裏にあることについて話をすることはさらに重要なことであることを親は認識するべきである。先日言葉に敏感な生徒さんが「マイノリティーってなぁに?」と尋ねてきた。社会のおける少数派をどう伝えるべきか差別や偏見を受けやすい事実を幼い子供に説明するのは大変難しいことである。しかし身近な幼稚園の生活の中の事案について説明すれば理解しやすいだろう。例えば友達みんなでブランコに乗るとしよう。代わりばんこでブランコを楽しまなければならないのに、一人だけ譲らない子がいたとしたらどうする?とその子に投げかけてみた。すると「次の人に変わらないとダメなんだよ」と伝えるという。それでも拒絶したら?と問うと、「先生に言いに行く」という。親ならそ言葉を受けてどのように切り返すべきか親としての考え方の見せ所である。「それは困ったね」とするか、「どうすべきだと思う?」と投げかけて終わるか、それとも親としての経験や解決方法を子供自身が見出せるように伝えることができるか。
私ならこう伝える。コロンブスの生き様から学ぶとしたら自分自身の感情だけで物事を捉えるのではなく、まず相手の立場になって考え、相手に寄り添ってみようということである。そして寄り添いながらその子供と会話することにより子供達自身が自らの力で問題解決に導くことができるような導き方をするだろう。
子供の問題解決能力を保育園や幼稚園、学校だけに任せるのではなく、私が最も重要だと考えるのは家庭の役割でもあり親の考え方導き方にある。保育園や幼稚園学校だけでは学べないことを家庭の中でしっかりと親子で向き合い話し合ったり、歴史の裏を読み解くなどの会話を楽しみ親子で学ぶことが多種多様性を受け入れることができる土台を作ることができるのではないだろうか。面倒なことは社会任せではなく、家庭でしっかりと向き合うことこそが家庭の役割であり親の責任であると私は考えている。
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