偉人『中島董一郎』
先日我が家にマヨネーズが無いことに気付いた主人が新聞でキューピーマヨネーズが今年度純利益を出す見通し記事を見付け「我が家は貢献していない」と言い出した。たまたまマヨネーズが切れただけだと言いたいところではあるが、マヨラーの主人の健康を考えて買い控えをしていただけのことである。キューピーといえばジャムやコーン缶詰でお馴染みの『アヲハタ』の存在を思い出す。お気付きの方がいるかも知れぬがキューピーとアヲハタの創業者は同じ人物で名を中島董一郎という。彼の企業理念は明確で企業としての成功とは何か、失敗とは何かを判断し商売人として譲れない道義主義を貫いた人物である。
1883年8月22日現在の愛知県西尾市で代々町医者として信頼を得ていた家の長男として誕生。しかし人の良い父が親戚の保証人となり破産し夜逃げをする形で故郷を離れ、彼が9歳の頃母を亡くし10歳で東京に上京し府立中学を卒業後現在の東京海洋大学に進学する。卒業後は採掘工場勤務や入隊経て1909年に缶詰会社に就職し大学時の先輩の紹介で農商務省の海外実業実習生として25歳でアメリカへ派遣される。そこで食べたマヨネーズとマーマレードに感銘を受け、日本の栄養不足の改善策に役立つのではと帰国後中島董商店を起業する。しかし日本食にマヨネーズを受け入れる余地はなく、帰国から7年後にやっとマヨネーズが生産されることとなった。
また1928年にはみかん缶詰の販売を開始し1932年に広島にアヲハタの前身である旗道園を設立した。しかし第二次世界大戦勃発により旗道園は解散を余儀なくされたものの戦後再開された。ある時中島と共に若手社員がお得意様を訪れる際「こういう時だからこそ遠慮なく話してください。」と微笑みながら中島が声を掛けた。すると若手社員は人工甘味料であるチクロを使用し、他者と同じように低価格商品を発売してはどうかと提案する。当時中島董商店ではグラニュー糖を原料として果物の缶詰を作っており、価格はチクロよりも高いものであった。その若手社員の言葉を聞いた中島氏は「チクロにはいろいろな話があり、体に良いと思わぬものを使用するわけにはまいりません。」と真剣な表情でキッパリと答えたという。その一年後アメリカのFDA(食品医薬品局)がチクロには発がん性の疑いがあることを発表し、国内の小売店やスーパーマーケットから人工甘味料チクロを使用した商品が撤去回収されることになったのである。では中島氏の道義的考えとはどのようなものであったのかを考えてみよう。
中島董一郎氏は道義主義を信念に損徳や好き嫌いを判断基準にせず、何が国や社会国民にとって何が正しいことなのかを見極め誠実に愚直に判断することを行い、利益の追求ではなく道義を重んじることを守り続けた人物であり、今もキューピーやアヲハタにはその精神が受け継いでいるという。先のチクロに関する考え方もそうであるが、第二次世界大戦後に闇の原料を使用して製品を作ることを良しとせず、結果的に生産販売ができたのは戦後3年を経過してからである。戦後の混乱した時勢を考えると闇ルートで原材料を入手して商売する人が多かったと言われる時代であるから、生きるためにさもありなんとして製造しても許されるのではないかと考える人は多かったはずであるがそうはせず信念を貫き通した。その思いを裏付けている言葉が残されている。
「缶詰というものは品質が悪くても詰めてしまえば分からないという人がいますが、食品は良心で作るものです。食品メーカーにおける良心は安心できる原材料を使い、責任を持って質の高い商品を作ることです。」「缶詰は中身が見えないからこそ製造するものは正直でなくてはならない。」
戦後間もない物がない時代はどのような物でも売れていたであろう、また私が子供の頃は悪かろうは安かろうが浸透し消費者も自分自身の価値観を持つ選択肢が生まれ、現代は品質の良いものを安く提供するという日本企業の姿勢が世界的にも日本製品の信頼を獲得し、さらに近々はその企業にも止むに止まれぬ思いの値上げがなされ企業も消費者も痛み分け状況になっている。もし現代に中山氏がご存命であればどのような考えでおられただろうか。政治に物申すことをしておられたであろうか、それとも道義を重んじた方法がまだあるのだろうか。あれこれと考えているともう一つの言葉が浮かんできた。
「世の中は存外公平な物である」
正直者がバカを見て、ずるい者が得をする、横着な人が幸せに見えたりする者であるが、長い目で物事や世間を見ると正直な人や誠実な人、道義を重んじる人が認められるというのが世の中には存在するということである。人の世というのは帳尻が合うようになっているということであろう。世の中には損して得取れという言葉があるが損をしているように見えても道義を重んじて行動すえれば自ずと結果はついてくるという力強いメッセージとして私jの心に響いてくる。この値上げラッシュの時代であってもそこに意味があるとして捉えれば大きな何かを獲得できる日が訪れるかもしれない。飽食の時代を見直して慎ましい生活を求められているのであろうか、それとも自然との調和をというスケールの大きな話になるのであろうか。
先日の日経新聞にもキューピーの純利益の記事が掲載されていたが、キューピーは日本国内でのシェアは5割を超え、食の安全性に懸念材料がある中国でのシェアは9割だという。企業の創意工夫もあるだろうが企業に対する信頼性というものが中国で如実に出ていると言えるだろう。いやもしかすると中国人は日本企業のキューピー製品であることを知らない人も多いことが考えられる。いずれにしてもその製品の良さが評価されていると言えるだろう。一時期食品偽造の問題が報じられたが目先の儲けに惑わされると信頼を失うということを理解していたのが中島董一郎氏であり、彼の信条と理念を受け継ぎ守り続け新しい時代に沿った製品を作り続けるキューピーやアヲハタの起業スタイルを今後も見つめ続けたいと思う。さすれば中島董一郎の生き方を製品を通して身近に感じることができ、現代をどう生きれば良いのか新たな発見ができるかもしれぬ。
では中島董一郎氏は混沌とした時代にあってもなぜそのような道義的考え方をすることができたのであろうかを推測してみる。彼が生を受けたのはかなり裕福な町医者の家柄である。地元では祖父の時代から地元の人々に信頼された眼科を開院していたという。祖父は軍医師会の会長を務め、父もまた祖父の病院を引き継ぎ患者からそして街の人から信頼を得ていたということが、中島氏の信念となる信頼とは何かを抱くことに大きな影響を与えていたと確信している。またその信頼が足元から崩れる経験も幼くして目の当たりにしている。それが父が予想だにしない負債を抱えて夜逃げ同然で故郷を離れた経験である。幼い中島氏の中でその両方の経験が道義主義に彼を向かわせることになったのではないだろうか。また医者の家系で育ったこともあり食することや健康に影響を及ぼすことに対して敏感にそして真剣に考えるようになったとも言えるだろう。
中島董一郎という人物は人の信頼を得るのには真摯的に物事を考え判断し行動することこそが重要であるという成功の道を知っていた人物であり、人の信頼を失うのは一瞬でどのような行動をとると失敗するかという両方の方向性を理解していた人物といえる。人間が失敗を繰り返し成功に辿り着く生き物であることを考えるとやはり成功と失敗の両方を知っているということは大きな財産であることが中島董一郎氏の生き方からも学ぶことができる。子供の世界においてもまた成功と失敗を知っているということは大きな能力獲得の鍵となるのである。
この内容は来週月曜(2025年2月10日)の提案記事『脳が最も効果的に学ぶのは失敗3』にも繋がる話である。その記事も併せて読んでいただけると成功と失敗について理解することができ、子育てに活かすことが出来るのではないだろうか。
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