偉人『アンネ・フランク』
多くの人が知っている平和を願う少女として、ナチスドイツの強制収容所で命を落としたユダヤ人として取り上げられることの多いアンネ・フランク、我が家では子供の日前後に彼女の日記を読むことで彼女がもし戦果を潜り抜けていたらどのようなことをして青春を謳歌し、どのように生きていたかということを考えさせ、子供自身がこれからやりたいことは何かということを小学生の頃まで考えさせてきた。そのこともあり自分自身の進む道を選日決めることは早かったのだと思う。今回はアンネ・フランクを取り上げる。
アンネ・フランクの詳細を改めて語ることもなかろうというくらい世界的な知名度があるわけだが、私がこの記事で何を語ろうかと考える時やはり彼女が何を求めていたのか、戦争終結後に何をしたかったのかに焦点を当て、アンネ・フランクの人生をどのように教育に活かすのかを考えてみる。
銀行家で穏やかな父オットー・ハインリヒとお嬢様育ちの母エーディット・フランク、そして姉マルゴット・フランクとアンネ一家はドイツで生活をしていたユダヤ人である。しかしドイツの首相ヒトラーによるユダヤ人を駆逐せよという命によりユダヤ人の迫害が始まった。一家はドイツからオランダのアムステルダムに逃げ、父オットーを尊敬するオランダ人夫妻によって匿われた生活を2年送る。
その隠れ家での生活を容易く想像できる経験を子供の頃アンネの日記展で体験した。彼らが匿われていた部屋と隠し部屋に通ずる書架も再現されその狭さを実感し息苦しさ感じた記憶が蘇る。自由に太陽の下を歩き回ることも思いっきり外の空気を吸うことも、大きな声で歌を歌うことも叶わぬ、そして咳払いやトイレの水を自由に流せぬ息を殺した生活を想像するだけで絶望感に近い虚しさを感じる。家族だけではなく途中から他人とも部屋を共有し一人になる時間さえもない。ドイツの監視下を欺く生活での中でアンネは母との対立だけでなく共同生活をする他人とのいざこざが起こるようになる。母との衝突や同居人からの批判などを受けた10代のアンネが逃げ場を求めたのが、「キティ」と呼んで書き記していた日記である。隠れ部屋での生活が始まる前に父からの誕生日プレゼントとして贈られたその日記がアンネの日記の元になったものだ。その日記は隠れ家での出来事やアンネが考えていたこと感じたことを日記に認めただけではなく、将来作家になりたいと思っていたアンネらしく短い物語や小説も書いていたのである。戦後家族でただ一人生き残った父オットーにより戦後出版されたアンネの日記は当初親しい者たちだけに配られたものであった。しかし父は娘の生きた証を多くの人々に届けようと重版を重ねたのである。父の娘を思う気持ちと平和への願いが全世界で翻訳されたアンネの日記は平和教育だけではなく、多角的にこの作品を捉えこれからの時代を担う子供たちのために活用すべきと考えている。
彼女の作品に目を向けてみよう。内容は架空の友人キティに宛てたもので尋常ではない2年間の隠れ家の生活の中での出来事や将来作家やジャーナリストになりたい夢、思春期らしい悩み、希望と絶望など多くを自己発見を綴ったものである。アまたンネの日記には2種類あり、アン絵が自分のためだけにかいた内容と後の公開を期して聖書したものです。その後見つかった5ページを加えて再編されている。親となり読み返してみると自分自身の経験を重ねて俯瞰して読み取ることができ、アンネの短い人生の結末がわかっているからこそナチスの恐怖に怯える極限の生活で希望を失わずに己を幸福感で満たしていく内容は、平和の時代に生きながら心が満たされない状況にある現代の私たちがアンネの作品から人間はどのように生きるべきかを深く考えることが重要ではないだろうか。
私が日記を通して我が子に思考させ想像させたのは戦争の悲惨さや残忍さユダヤ人迫害、平和の重要性などは勿論であるが、それ以上にアンネがやりたいと願っていた事ができない環境下にあったことを自身に置き換えて考えさせること、また平和である日常の中でいかに自分自身が幸せで好きな事ができるチャンスが転がっているか、そして自分が自由に動くことができ多くのことを実現できることへの感謝を深く考えてもらうためでもあった。
つまりこの作品で『全力でできることを行う日々への感謝』『向き合えることに喜んで向き合う幸福感』『自ら得たことを人に還元する自分自身の活かし方』を真剣に考えて欲しかったのである。人生は山あり谷あり平坦な道だけを歩むことは周りの人を見てもそう多くはない。誰しもが大なり小なり問題を抱え解決しながら歩むものである。アンネ・フランクのような絶望と期待が入り混じる困難な環境下に置かれることが現代の日本にはないものの、世界に目を向けると戦争や紛争は起きているわけで自然災害で生活が一変する経験を持つ日本もおり、それがいつ何時我が身に降りかかるはわからないのである。だからこそ私たち親は子供を育てる上で優しさの中に存在する強さを持たせる教育をしなければならない。
ここでアンネの父オットーに焦点を当てる。慎重に慎重を期し2年も潜伏していたアンネ一家に突如としてナチス兵が訪れたことに戦後調査が行われた。そこで発覚したのは同じユダヤ人による密告であったことがわかっている。父オットーはその事実を知っていながらそれを表立てすることなく伏せていたのである。自身の家族を失った被害者としてその人物を知りながら公表せず責めなかった心情や葛藤、そしてなぜそのようなことに至ったのかを考えてみる。
密告した人物はアムステルダムのユダヤ人協会のメンバーでユダヤ人居住区でナチス政策を実施するための役割を強制されており、自分自身の家族を守るための手立てを全て失った段階でアンネ一家のことを密告したのである。そのことを戦後父オットーは匿名の人物によりその事実を知った。同じユダヤ人が・・・と思うと怒りの沸点は一気に上がり震えたであろうか。しかしオットーは物静かで穏やかな人物であり同じユダヤ人がユダヤ人をナチスに売ったことを公にしてしまうとさらにユダヤ人差別に火がつくかも知れぬと考えたのではないだろうか。または自分の家族を守るためならナチスによって追い込まれたと考えたかも知れぬし、もし自分なら同じようなことをしたかも知れないとの考えに至ったかも知れない。父オットーが罪を憎んで人を憎まずという心境に辿り着けたかどうかはわからぬが、ここぞという時にその人間性が出てしまうと考えると私はまだまだ自分自身を磨く余地があると考えるのである。
こどもの日が平和であり続けることを祈るばかりではあるが、この先平和であり続けることが保障されていないからこそ、優しさの中に自分自身の想いだけではなく相手のことを考える芯の強い子供に育てる教育を施さなければならないのだと考える。すぐには受け入れられないことも現実を受け止めて優しさを持ち深く考えることができることが、心を解放して自由に生きる幸せを手にすることができるのではないだろうか。
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