偉人『ウイリアム・モリス』
今週は花に関する記事を投稿しておりその関連でまだ取り上げていない芸儒家といえば19世紀のイギリスを代表するデザイナーであり多くの肩書を持つウィリアム・モリスにすることを決めた。彼の述べた言葉に「役に立たないもの、美しいと思えないものを家においてはならない」「幸福の秘密は日常生活の細部に関心を持つことだ」というものがある。王族貴族のためのものであった芸術を一般庶民の生活の中に根付かせた彼の言葉には説得力がある。何より150年から200年前の彼の作品がここかしこで見受けられることが何よりの証である。殊更美的感覚を日常に取り入れて美を楽しむことに磨きをかけよと運動し続けたモリスの思いが現代に息づいている。大量生産を嫌い職人の手仕事を尊重し続けたモリスの想いはどこ吹く風か現代の百円均一のショップに彩を添えている皮肉な結果となっている。時代の潮流だといえばそれまでではあるが今一度ウィリアム・モリスの信念とは何か、そして娘に受け流したものとは何かを考えていく。
ウィリアム・モリスはイギリスのデザイナー、詩人、アーティスト、思想家と多くの顔を持ちアーツ・アンド・クラフツ運動の中心人物としての顔がある。工芸や装飾美術に対して深い尊敬を持ち職人による手仕事の価値をことさら強調し、大量生産を行う近代化を真っ向から批判した。 情熱的で献身的な彼の姿勢はデザイン、詩作、印刷、政治活動の多岐に渡り、それら全てに全力で取組み生活と芸術を一体化させるモリス&カンパニーを設立し、壁紙、テキスタイル、家具など幅広いデザインの制作と監修を行い「使うものは、美しく、役に立ち、愛すべきものでなければならない」という信念を持ち提唱し続けた。温厚で人当たりの良い性格の彼ではあったが、自分自身の信念には一切の妥協を許さず、同僚や弟子には親切であったが美意識や空間プロデュースおよび思想については一切妥協をしない頑固さと厳しさがあったと言われている。ではその強さはどこからきているのか。
ウィリアム・モリスは1834年3月24日イギリス・ロンドン近郊の田園地帯の広がる自然豊かなウォルサムストウでロンドンシティの証券仲買人の息子として誕生し、モリスと同名の父はファイナンス事業で巨万の富を得ており中流家庭の何不自由のない生活と教育を受けた。幼い頃は本好きで9歳で「ウォルター・スコット全集」を読破したと言われ、ポニーに乗りながら読書するのが好きだったという話も残されており、自然の中に身を置いて過ごすことがせきで想像力豊かで一風変わった少年だったもいわれている。彼が名門の寄宿学校「マールバラ・カレッジ」に通うも規律の厳しさや閉鎖的な雰囲気と環境を嫌っていたことも納得できる。しかし彼が13歳の時に父が病死亡し、父の死後は母と兄弟と小さな家に移り住み父残してくれた遺産で何不自由なく過ごした。
また子供の頃からの読書量は膨大で勤勉な性格と相まって学業に於いて優秀な成績を収め、1853年父の遺産でオックスフォードに教会の牧師となるために進学する。オックスフォードで彼が心置きなく没頭したのが建築である。校内を歩いているだけで美的感覚が研ぎすまれそれだけでも満足であったようだが、オックスフォードで生涯の友で協力者となるエドワード・コリー・バーン=ジョーンズに出会う。彼もまたモリスと同じように教会牧師となるために進学したが、彼らは評論家ジョン・ラスキンと出会いラファエロ前派に引き込まれていった。二人とも聖職者の道へは進まず芸術の道を選ぶこととなった。のちに親友のエドワード・コリー・バーン=ジョーンズは画家となり、モリスと共同でステンドグラスを製作も行っている。
1856年芸術家になることを志したウィリアム・モリスは建築家であるストリートの事務所に入るが、ロンドンにはオックスフォードに溢れていた美しき建築物がないばかりか人が多く悪臭や流行性の病も多く衛生上良いとはいえない環境に嫌気がさし生活に耐えられず事務所を辞めた。親友のバーン=ジョーンズが画家ダンテ・ゲイブリエル=ロセッティの門下生となり、その影響を受けてモリスも画家になることを決意する。
しかしそこでロセッティのモデルを務めていた将来の伴侶となるジェイン・バーデンと恋に落ち結婚した。娘二人をもうけ結婚生活も順風満帆と思われていたが、妻のジェインはロセッティとのただならぬ仲となりモリスは精神的に深く傷ついたが、二人の関係を承知の上で二人の娘と家庭の継続を選択した。
一方妻ジェインも葛藤の生活を送っていたのである。モリスが家庭の中に理想や思想美意識などを持ち込んで家庭の中に反映させ、家庭生活そのものを理想の美的空間として追求した。そのため妻ジェインは夫の理想や思想と自分自身の自由さを求める気持ちの狭間で葛藤した。モリスは温厚で真面目な人物であったが自分自身が一度信じたことや決めたことには情熱をもって実行しさらに没頭し、詩作、印刷、デザイン、政治活動のす全てを家庭にも持ち込んだ。家族にしてみると心の安住の場所であるはずの家は家族が自由に手を加えることもできない緊張を強いられる場所であった。
彼の建てた「レッド・ハウス」は建築から内装、家具、壁紙に至るまですべてモリス自身や仲間たちが手がけ、家族で暮らす空間そのものを「理想の美的生活空間」にしたのである。
その一方で娘たちとの関係は大変良好でモリスは大変子煩悩で子どもたちに北欧神話を語って聞かせたり、自作の物語を読み聞かせ、子供達が自然と触れ合うことを重視し時間を割いていた。またモリスは子供達に手仕事の楽しさや芸術の意義を幼い頃から教え説き、父娘関係は非常に親密だったと伝えられている。とりわけ次女のメイ・モリス との関係は芸術的にも情緒的にも非常に深い絆で結ばれ、メイはモリスの思想や美意識を最も深く理解し受け継いだ存在であり、モリスもまたメイの芸術的才能を一早く見抜き積極的に励まし支援を行った。その後刺繍デザイナーや宝飾デザイナーとして活躍したが、彼女は母ジェインと叔母のエリザベス・バーデンより刺繍の手解きを受け美術学校で刺繍を専攻した後、父のモリス・カンパニーで刺繍部門を任されたのである。
モリスは幼い頃から自分自身が目にし触れてきた自然をこよなく愛し、心惹かれる建築のある景観に触れたことを子供達にも良き環境と考え時間や労力を惜しまず与えると同時に、自身が行ったアーツ・アンド・クラフツ運動の核心部分となる手仕事の楽しさその重要性及び芸術の意義を幼い頃から娘に教え解いていたのである。モリスの作品には花や植物鳥など自然の中に存在するものからインスピレーションを受けており、子供達にも美しいものを美しいと感じる感性を育てていたのである。娘たちはレッド・ハウスやケルムスコット・マナーなど、芸術に満ちた環境で育ってのもモリスの幼少期の豊かな環境の良さを理解してのことだったことは容易想像がつ木、だからこそ娘メイはモリスの思想や美意識を最も深く理解し受け継いだ存在だったと言える。
父モリスのすごいところはメイに刺繍だけを極めることだけを伝えたのでなく、環境という美的感覚を磨くことの土台となるものを制限なく与え、また職人が繰り出す技の凄さと労働の尊さなどの信念を実行し教えたとされている。父モリスが亡くなった後メイは父の事業を整理し、アーツ・アンド・クラフツ運動の理念を広める活動に尽力し、女性の芸術的自立や、手工芸の社会的価値に強い関心を持ち、女性のための職業訓練や教育活動にも関わった。つまり娘メイは単なる芸術家ではなく、父の芸術に恥じない生き方をしようと父モリスを生涯のモデルロールとして尊敬し敬愛した。
ここで考えてみよう。親が子供にできることを。
娘メイは「私は父の作品の中で育ち、彼の言葉を聞き、彼の手元で学んだ。そのすべてが、今の私を形作っている。」と語っている。なんと素敵な言葉であろうか。父モリスが娘に伝えたかったものが彼女の言葉の中に集約されている。私もこのような親でありたいと活動するに至ったのがウィリアムモリスの親としての行動が引き金である。彼のように妥協なく信念を貫き通せたかというと彼の足元にも及ばないものであったが、彼の思想があったからこそ生活になくてはならないものではない美しきものを生活に活かし、それを追求しああでもないこうでもないと日々美しきものの学びを行っている。視覚的美しいもの、装飾華美なものではないにしろ職人の手仕事を納得できるもの、目には見えないけれど耳を楽しませてくれる美しきもの、皮膚感覚を心地よく刺激してくれる良質なもの、さまざまな香りを楽しむことと口にする安全で安心な美味しいものを自分の中に取り入れることができる心の余裕をこれからの子供達に親は与えてほしいと考える。感性の豊かさや優しさや労りを持つ心の余裕、そして色々な価値観を持つ人々や物事を受け入れることのできる大きな器を子供達は手にしてほしい。
ウィリアム・モリスは手紙や日記に庭仕事、読書、詩の創作、友人との語らいなど、自然や手仕事に根ざした穏やかな日々を記している実直な人であった。自身の理想を家庭に持ち込んだがその生活は質素であった。しかし理想と現実の狭間で揺れ動き、熱き情熱を静かなヴェールで包み、心を乱す苦悩を静かに抱えながら家庭人として自分自身の感情だけで家庭を壊すことをせず、自分自身が理想を家庭に持ち込んだことを十分理解した上でバランスを保っていた器の大きな人物であった。何事にも動じないというような強さではなく、どんな衝撃的なことも真正面から受け止めつつ自分自身の中で静かに心を落ち着け着地していくことに格好良さを感じてならない。だからこそ彼の作品が好きなのであろう。
20代でモリスの多くの壁紙やクリムトのような完備で装飾的な派手さはないが心安らぐ繊細な印刷物で心に安らぎを感じ、30代でモリスの作品で空間を彩り時間を過ごし、40代で彼の作品に生き方や考えを感じ取ろうと必死になり、現在は彼の作品や生き方娘たちとの関わりに人間の本質を見つけようと足掻いている。とにかく私は無類のウィリアム・モリス信奉者である。彼のプリントされた生地でサイズ違いのブックカバーを手作りし、自分磨きのための本にそのカバーを纏わせ、彼の作品がプリントされたマグカップをシドテーブルに置き、彼の影響をダイレクトに受けたエミール・ガレの明かりの元本を読むのが最上級の幸福の時間である。ウィリアムモリスの生き方に心惹かれこれからも人生を歩むであろうが、彼の目指していたことを一つでも吸収したいものである。
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