偉人『中村哲』

2019年12月アフガニスタンの砂漠に水を引き荒地を緑に変え多くの命を救った医師 中村哲氏が、武装集団に襲われ殺害された衝撃のニュースが日本中を駆け巡った。アフガニスタンの情勢は日を追うごとに悪化し、安全確保に細心の注意を払いながら留まり活動を行っていた只中であった。「一発の銃弾より一本の用水路」「水と食料さえあれば現状を変えることができる」「水があれば多くの子供の命が救える」という人道支援に人生を捧げた人物である。平和とは何かを子供達に考えてもらう記事提案『平和の種を見つける』(記事はこちら)を配信したが、過去の苦々しい戦争についてや戦争や紛争で命を落とした人々に目を向けることも平和教育の一環である。

今回は中村哲氏を通して単なる平和と戦争で片付けられないこと、一歩間違えば日本も戦火に巻き込まれるかもしれないこと、国の政策と個人でできることの違いやその真髄を見抜ける子供をどのように育ててれば良いのかを考えてみようではないか。

中村哲氏は日本の医師・人道支援活動家であり、アフガニスタンとパキスタンでの長年にわたる医療・農業・灌漑事業を通じて数多くの命を救い、地域社会の発展に多大な貢献をした人物である。しかし2019年12月4日朝、用水路の作業場へ行く途中武装集団に襲われ、運転手そして護衛、中村哲氏6人銃撃され凶弾に倒れた。

あれほどアフガニスタンの人々のために活動し地元の人々から信頼を得ていた彼が殺されなくてはならなかったのか。日本のジャーナリストの地道な取材によって身代金目的の誘拐が失敗し殺害してしまったという犯人の供述があったとする記事が新聞に掲載された。当初は用水事業に絡む水の権利が背景にあるとする証言もあり、犯人も捕まっていないことから真実は何だったかは今も不明であるが、命をかけて取材をしてきたジャーナリストや情報提供者のことを考えると信憑性がある記事だ。武装集団が横行する国はどうしても貧しさが付き纏い生きるために犯罪に手を染めることは昔からあることで仕方がないと思う反面、この貧しさをどうにかしなければならないと信念を持ち行動したのが中村哲しであっただろう。しかしどんなに世の中があれ荒んで心が擦り切れても、人間として忘れてはならないものがあると中村哲氏は身を捧げて我々に教えているのではないだろうか。

1978年に山岳会パーティの同行する医師としてアフガニスタンとパキスタンを訪れた中村哲氏は、現地の病人が外国登山パーティの医師を頼りに診察を願い出る状況に驚きながらも診察をし、山岳者のための薬を確保するために薬すらまともに渡すことができないジレンマを感じ後悔に苛まれた。その後1982年治安の悪いパキスタンの病院からの医師派遣の依頼に名乗り出たのはこのことが大きく影響している。

ではなぜ彼が弱者に対して目を向ける医師であったかということであるが、幼い頃に母方の祖母に弱いものを守れ、強いものが弱いものをいじめているものがいたら、お前は弱いものの見方となれ。」と教えられた。

人間の人となりを考えるとき幼き頃の教えがその人の人格を作り上げることをブログで再三記してきたが、中村哲氏の途方もないことを成し得てきた人物もやはり幼き頃の祖母の教えやプロテスタントの信仰厚き母や教育を通して多くのことが築かれたのはいうまでもないが、やはり彼は精神科の医師としての立場で「人として生きる、人間とは何か」と考えてきたからこそ、貧しき人々弱き人病を抱える人々と35年余りの長きに渡り向き合うことができたと言えるだろう。

もう一つここでエピソードを記しておこう。診療所建設をしている最中一部の住人が武器を手に診療所に押しかけ発砲してきた。すると中村哲氏と共に働く元ゲリラは銃を手に応戦しようとしたが中村氏は武器を置けと命じた。応戦してこないことに拍子抜けした住民の武装集団は引き返し中村氏らは事なきを得た。実は幼少期に叔父が「強いということは争いという腕力を用いて喧嘩をするものではなく、争わない戦わない喧嘩をしないということが強いということだ」と教えていたというのだ。この中村哲氏の勇気は共に働く人々や地域の人々の信頼を得ることになったという。目には目をではなく、一見負けているように見えても結果的に利益や勝利につながるという負けるが勝ち、損して得とれということであろう。結果的にそうなったとしても武装集団に襲われ武器を置けという勇気というものはそう簡単に言えるものではない。彼が命を落とした時にはそのような判断をする暇もなかったのではないだろうかと悔やまれる。

アフガニスタンの現地情勢が不安定な中でも「武力ではなく、水と農業こそが平和への道」という信念を貫き活動をしてきたがその活動に暗雲が立ち込めた。それがアメリカで起こった同時多発テロだ。アフガニスタンに潜むテロ組織により引き起こされた2001年9月11日のアメリカ同時多発テロということで、世界の多くの国々がアメリカを支持しアフガニスタンを攻撃した。そして日本もまたアフガニスタンへの自衛隊派遣を決定したのである。一部のテロ組織の人間のために貧しい多くのアフガニスタンの国民が攻撃を受けなければならないのかと怒りに震えたという。私もその時の中村氏のインタビューが記憶に残っているが、国民の多くが農民で一部のテロ組織のために多くのアフガニスタン国民が犠牲になることは大変胸の痛むことであった。平和憲法を持ち戦争をしないと謳っている日本がどうするべきなのかを日本政府の要望で中村哲氏は国会で意見を述べた。にもかかわらず日本はその後多国籍軍に参加することを決めた。中村哲氏は落胆したに違いない。

しかし彼が国会でアフガニスタンの現状を訴えたことは政府には届かなかったが、日本の国民には彼の思いが届き冬を乗り越えるための2億円もの寄付金が集まり、各国の支援団体がアフガニスタンを次々と去っていく中で彼を中心とした団体が食糧を支援していたのである。本来は官民一体となり行動を起こすことが望ましいとは思うのだが、どちらかを立てれば角がたつことや建前と本音をうまく使い分け日本政府は先を読み、民間の活動を予測して彼を国会に呼ぶシナリオを立てていたのであろうか。幸いなことに日本国民の中には国の政策に右へ倣いすることなく、何を為すべきかを個人的に考え行動する日本人がいたことにホッと胸を撫で下ろした。深読みをしすぎだと思う方もいるかもしれないが、これまでの歴史的なことを考えても表面的には見えないことが起こるのが国の国策である。

これからを担う子供たちには一時の感情に流されることなく、理性を持って何が重要なのか、何が人間らしいのか、自分自身のすべきことは何かなど深く思考して行動を起こせることをこの歴史的出来事から学んでほしいと考える。

そしてもう一つアフガニスタンで起こったいる干魃がなぜ起きているのかを考えることも我がことのように考えを巡らせてほしいのである。

中村哲氏が井戸を掘ってしばらく経つとその井戸が枯れてしまう、深く掘ってもまた水位が下がることの繰り返しだった。地表の水だけではなく地下の水までも枯れてしまうことがアフガニスタンでは起きていたのである。その原因こそが地球温暖化だったのだ。アフガニスタンの情勢悪化はこの水不足、そして水ないからこそ作物が育たず食糧難が起き、そして食うためにゲリラ活動やテロリストになる悪循環が起きたていたのである。つまり地球温暖化が加速していけばこのアフガニスタンのようなことが他国で起きても不思議ではないのだ。このような連鎖を中村哲氏は見て争いではなく水と食糧をと発信し続けていたのである。私たちは彼が述べ続けていた「武力ではなく、水と農業こそが平和への道」という信念を今一度噛み締めるべきではないだろうか。平和というものは人間の衣食住が満たされることが最低限求められることがベースであり、それが脅かされる地球温暖化も争いの火種になりかねない。

これからの時代を担う子供たちには、複合的に絡み合ったものを他人事ではなく自分自身のことに置き換えて『為すべきことは何か』と大人が真剣に考え行動を示し、子供たちに教え続けるべきではないだろうか。中村哲氏の祖母と叔父のような発言を子供に伝える時間を設けることも大人の責任ではないだろうか。

中村哲氏はイスラム教徒の信仰や文化を深く理解し、尊重しながら現地住民に寄り添った支援を展開した。強さと勇気を持ち戦争よりも命を守る道を選択し、医師としての道を歩むなかで国内外の「見捨てられた人々」に目を向け、自分自身の為すべきことを行いその道筋を後世に残し凶弾倒れた。「一人の人間として何ができるか」彼は自分自身にそう投げかけ人生を全うしたのであろう。


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