偉人『未来の科学者』
今週月曜の提案記事は『SDGs12項 つくる責任つかう責任No.5』(記事はこちら)を受けての偉人・・・誰にするか、ワンガリーマータイ(記事はこちら)、レイチェル・カールソン(記事はこちら)、マハトマ・ガンジー(記事はこちら)、若い世代で言えばグレタ・トゥーンベリなどがいるが、偉人記事の選択にもマンネリを感じ妙案はなかろうかと思案すること数日。次世代の子供を未来の偉人にしてしまえと閃いたのである。つまり偉人とはどのように作られるのかを科学的分野に当てはめて考えてみようと思い立ったのである。この思いつきに至るには数年前に読んだ新聞記事が関係している。そこに登場したのが架空の科学者タラノア・テリサ(Terenisa Taranoa)という名前である。タラノアとはフィジー語やトンガ語、サモア語で「対話」「語り合い」「物語る」という意味を持つ重要な言葉らしいのであるが、2018年に国連気候変動枠組条約(UNFCCC)で「タラノア対話(Talanoa Dialogue)」という枠組みが導入されていることから各国が自国の気候変動対策について対話し、透明性や共感を持って協力し合うことを目的としたことにちなんで未来科学者の名前を記していたという記事であった。
環境破壊により国の存続すら危機的状況に置かれている南太平洋の国々の人々の叫びを代弁する名の未来の科学者が現れることを期待し記事を書くことにする。
さて子供達が未来の科学者に向かって歩くために先ず何をしなければならないのかを考えてみよう。
乳幼児期にはイタズラを受け入れる
私が以前「1歳児は小さな科学者である」と記したことがある。なぜそのようなことを書いたのかといえば1歳児は初めての知恵を授かり「コップの水を溢したらどうなるだろうか」「溢れた水を手で叩いたらどうなるのだろうか」と次々に思うまま行動を起こしさまざまなことを学んでいく。これが1歳児の科学的目となり観察眼に磨きをかけていくのである。こればの行動は親にしてみれば大変困ったことであるが、実は子供の好奇心を育てるにあたっては不可欠でかなり重要なものなのだ。この1歳児のイタズラ無くして科学の目は育ち難いと言える。よって超一流の科学者に育てたければ乳児が自然と取る行動には可能性が秘められていることを承知した上で見守り続けよということなのだ。
幼児期には質問を多く出させる
幼児期になれば「なぜなの?」「どうして?」という底なし沼のような、マグマのように湧き出てくるこの質問攻めを大いに受け止めなくてはならないのが親の役目である。「ママ、どうして水は掴めないの?」「ねぇ、どうして人の目の色はこんなにも違うの?」「どうして右手と左手は同時に別のことができるの?」「どうして手の指は長いのに足の指は短いの?」「どうして人間は言葉を話せるのに一種類の言語で話していないの?」「どうして白は一つの色じゃないの?」「なぜレコードやCDは回らないと音が出ないの?」・・・最初は真剣に受け止めていた私であったが「ねぇ」と言われただけで身構えることがあった。「もう知らない、聞かないで」と内心叫んではいたもののできるだけ応えなければという思いに縛られてもいた。しかし当初は子供の成長のためと受け止め真摯に向き合ってはいたものの、余りの凄まじい質問攻めに心折れそうになった日も・・・しかし今となっては家事や仕事の手を止めて対応したことは間違いなかったと確信んしている。
就学期には学習基礎を抑える
子供が小学校へ入学し科学や生物に関することを学びだすと実体験をもとにした学習習得がいかに重要であるかを痛感した。「どうして水が掴めないのか」と質問をした際に水が液体から固体、気体へと変化することを凍らせたり湯を沸かし水蒸気を見せ、水蒸気が液体へと変わる様子を手間を掛けて共に実験をしたことが学習にしっかりと結びつくことで学びを確固たるものにしたと考えます。実体験を通して学びの基礎をしっかりと築くことがその先の学びの基盤となる。
中学期は興味のある分野を決める
科学は広大な分野で多岐にわたそれらの分野を先ず知り、自分自身がどの分野に興味や関心があるのかを絞ることも必要になります。科学の分野は主に物理学(力・エネルギー・宇宙など)、化学(物質の性質・反応など)、生物学(生命・細胞・進化など)、地学(地球・気象・地震など)、天文学(宇宙・星・惑星など)があります。好きな教科は何か、その教科を教科書から徹底的に学び尽くすように努めると良いでしょう。そのためには体系化された教科書レベルから始めることをお勧めします。
高校以降は学習を深掘りする
中学校で学んだ知識を土台に高校では教科書・参考書を参考に体系学習を行い、入門書・一般向けの本などの専門誌『Newton』や『ナショナルジオグラフィック』などの科学雑誌を弓混んでいくようにします。また動画・オンライン講座を活用することで知識を増やしていくことも必要だと考えます。そして問題を解いたり実験をするなどして学んだ知識をアウトプットすることを学んでみることも必要です。
疑問に感じたことを調べる
日常を何気なく過ごしていると疑問に感じたりすることはあまりないかもしれませんが、常に好奇心に溢れているとあらゆる方向から物事を捉え疑問を持つようになります。すると 自分で調べる習慣さえ身についていれば貪欲に学びを広げることができるようになります。こうなれば自分自身の進むべき道を見つけることができます。
「何がしたい」ではなく「これがしたい」という方向性を見つけることができでしょう。
科学を知るためには歴史を紐解き、現実を直視する
科学に限ったことではありませんがその分野の歴史を紐解くことは分析することに繋がりどのような時代変遷を辿ってきたかで見え方が異なってきます。例えば地球温暖化は産業革命後の1850年頃から始まり、20世紀後半から急速に進行していると言われるが、実は人間活動前から自然気候変動が起こり地球の気温変化は火山活動や太陽活動、地軸の変化で自然の気候変動は起きている。また1750年以降の産業革命で石炭を使った機械化が進み、CO₂(二酸化炭素)などの温室効果ガスの排出が急増した。しかし本格的な温暖化の兆候が見え始めたのは19世紀後半(1850年以降)である。しかし技術革新真っ只中である19世紀後半には気候変動の研究も進んでおらず環境保護なんぞどこ吹く風だあったのだ。人間活動がさらに進み技術力も発達してくると20世紀以降(1950年代)から急速に気温が上昇。特に1970年代後半から現在にかけて温暖化のスピードが顕著に加速しているのだ。この頃から「地球温暖化」という言葉が一般にも広まり始め研究者の登場により科学的データが出されるようになり一般人にもその情報が届き出し、世界的規模で取り組まなければならない時代に来てしまったのである。つまりこのような歴史背景を知ることにより、これ以上の環境破壊を招かなくて良い方向が導き出され、何をしなければならないかを国同士そして世界規模で取組む必要に迫られているのだ。つまり時代背景や現代の置かれている状況を理解し学び、研究に活かす人材が求められている。
未来の科学者は現代の我々が作る
科学の進歩は時に人間の生きる尊厳を脅かしているとも言える。自由で便利でを追求したあまり皺寄せが次世代の子供や孫にのしかかってしまった。先人の行いの不合理さが世を受け継いでいく子孫の生活を大きく脅かしているのであるから、何かをしなければならない。親として何を子供達に託すべきかを考えると負の遺産はなるべき軽減し、人間らしく生きる世を残さなければならない。親である我々がその姿を子供達に示し促す教育をしなければならない。つまり未来の科学者を育てるためには、我々親がその時代を理解し次の時代がどうなるのかを読まなければならない責任があるのだ。
まだ見ぬまだ現れぬ未来の科学者たちはどのような分野に於いても温かく、調和を重んじ、人間らしく生きるために伝統を受け継ぎ守り、時に書き名的持論を展開しその結果を得て、誰も責めずに、みんなでより良い方向を考える対話に根差した人物像であってほしいものだ。
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