偉人『志筑忠雄』
江戸時代『重力』という言葉を作った人物志筑忠雄を取り上げる。彼の名前を知る日本人は大変少ないであろう。私も子供と共に重さの学習をスタートさせるまでは頭のどこにもなかった名前である。しかし一度彼の人生を紐解いてみると、なぜ彼が歴史の中に埋もれてしまったのかとても残念である。今回は彼の記した書物で彼の風貌を想像するしかなく、肖像画すら残っていない志筑忠雄とはどのような人物であったのだろうか想像に想像の幅を広げて考えてみようではないか。
『重力』という言葉を辞書で引くと、「地球上の物体には地球の引力と地球の自転による遠心力が働いており、この引力と遠心力が合和さった力が重力になる」と説明がある。実はこの説明の中に記されている『引力・重力・自転・遠心力』という言葉全てが、この志筑忠雄によって作られたものである。江戸時代に西洋から入ってきた科学・哲学・天文学を蘭仏の辞書しかない時代に志筑忠雄は単なる言葉をオランダ語から日本語へと訳すのではなく、世界的知識を日本語へ置き換えるために自分自身でニュートンの物理学を学んだり、ドイツ人天文学者のヴァルクの天文学書を独自の解説を加えて日本で知識としてなく誰にも知られていなかったことを書物化した。大学受験時の日本史でも取り上げられたことのある『暦象新書』も彼の記したものであり、天動説が信じられていた日本において地動説を翻訳した志筑忠雄の存在は幕府にとり「西洋思想の侵入口」とみなされると同時に、『天=神の領域』と考えられていた日本思想にとっては「天体は互いに引き合い、その間に神の意思は介在せず」と訳したがために志筑忠雄を危険分子とみなしていたのだろう。何よりも江戸幕府が遅れていたのは『キリスト教の再流入』であったのだから。
志筑忠雄は1760年に長崎の商家の中野家三代用助の五男として誕生し、その後志筑家の養子となりランダ通詞としての役を継いだのである。しかし生涯病弱で若くして多くの病を抱えていたため隠居生活を早めに行い、人との交わりを持たず政治や世の中と距離を置き蘭書一途に没頭した江戸時代後期の通訳士である。多くの偉人の中には人生の中に病を経験し、病を患ったからこそある種の力を得た偉人は多く、そのマイナスであろう事実が長い目で見れば偉大となるための力を備わっていたりする。志筑忠雄もまた過去の偉人らと同じように類稀な力を獲得し結果を導くため故の病だったのではないだろうか。彼には病もさることながら隠居して人と交わることなく記した書籍も日の目を見ないわけであるから経済的な問題も少なからずあった。よって彼の記した『暦象新書』は公的に読まれることはなく、私的なものとして知識を求める人の間で息を潜めるように読まれていたのである。彼については家庭を持っていたのかどのような晩年を送ったのかなど記録が残されていない。鎖国時代に彼ほど西洋的学術を研究した人物はいないにも関わらずである。しかし日本地図を初めて制作した伊能忠敬や伊能の弟子であった高橋至時らも志筑忠雄の恩恵を与えた人物であり、功績を讃えられているにもかかわらずその基礎を気付いた志筑忠雄は歴史に埋もれている。誠に残念で現代の科学進歩の恩恵を受けている我々にとって彼の名前すら聞いたことがないのは恥ずかしいことかも知れぬ。これからは歴史に埋もれた人物の掘り起こしという学問があっても面白いかも知れない。
さて科学というものは自然哲学から学問へと派生し、宇宙や自然界と結び付きやがて宗教や社会的思想などと対立し法則的知識として確立されていったものが、明治以降日本はそのプロセスなしに実社会で実用的な技術進歩だけで成功してきたのが日本である。つまり日本は欧米諸国の進歩の上に自国の考え方を盛り込んで研究や実験を行ない発展を遂げてきた国である。よって科学や自然哲学が社会や宗教と結びついていないからこそ研究費などの予算が無造作に削られるということが起きやすいのかも知れない。科学の土台が欧米諸国に比べて希薄であればこそ本質を見抜くための時間や労力そして予算を投入することが必要なのだと考えるのだが、目先の経済的観念に囚われ左右されてしまったことが、日本の科学的進歩が何十年も遅れてしまったという事実が残ったのである。ある女性政治家が「2番じゃダメなのですか。1番にこだわる必要があるのか」と声色高々に叫んでいたことが蘇る。他国の科学の基礎と進歩の上に鎮座し技術を磨いてきた日本の道筋が、子供達の教育にオーバーラップしてしまうのだ。最も簡単に学習習得の結果ばかりに目を奪われ、肝心の子供の幸せとは何かを親が履き違えているように感じてしまうのだ。子供が自ら考え行動を起こすと時間がかかってしまうため子供が分からない事を考えさせず親が安易に答えや解法を教える、正解が出せるようになることや点数がよく成績が良いことや早取りばかりに親がこだわることがどうしても欧米諸国と日本の科学の歴史の違いに見えてしまうのだ。
遠回りしてもいいから自分自身の学びを見つけさせるということなくして、大きな挑戦や成長のために必要な聳り立つ壁を登らなければならないことや予測もしないアクシデントに見舞われたときに対応する力が出せるだろうか。自分自身の足で地面を踏み固めていない子供達がこれらに立ち向かえるかといえば、奇跡の力を生み出す子供はわずかで多くの子供がその聳り立つ乗り越えるべき壁を見上げているだけになるのではないか。
上記のことを考えて志筑忠雄の人生を紐解くとき自分自身が集中し学べるものや研究できることそして成し遂げる職業に出会い自分自身を活かせる人間になることは、誰かが与えてくれる人生よりも充実し満足する人生を得ることになるのではないだろうか。
志筑忠雄は自ら発する情熱と集中力で人生を駆け抜けた人ものであり、歴史の中に埋もれているようであっても確実に掘り返される結果を残せている。江戸時代に唯一日本で国際的偉業を成し遂げ功績として残したのが志筑忠雄その人である。彼の名前を知らないというのは大変もったいないことなのだ。
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