提案『クラスの中心にいるNo.2』
前回の提案記事『クラスの中にいるNo.1』(記事はこちら)ではクラスの中心にいる子どもだけが役目を担っていて尊い存在ではなく、我が子の個性やいるポジションを尊重し子供自身が自分の色を出せるようにすべきである、そのためには親の視点を変えるべきだと記しました。今回は親の思い描く「クラスの中心にいる」という子供像を捨ててもらい、子供の頃のポジションや注目を浴びること、そして親はどのようなことを行うべきかを記してまいります。
1、子供時代のポジションは一時的である
子供時代の「クラスの中心」は一時的なものであり、社会に出ればまた別の評価基準になる傾向があるため将来ずっと中心にいるというわけではありません。類まれなるリーダーシップを発揮している場合は生涯中心にいることがありますが、子供の頃にクラスの中心にいる立場になれなかったとしても、自分に合った場所や役割は他の場所で展開されます。
子供時代に『クラスの中心にいる』ことだけが価値があるのではないと考え、長い目で子供を導くことが大切です。金子みすずの「みんなちがってみんないい」、シスター渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」、相田みつをの「他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな」は子供に限らず全ての世代に理解すべき共通する素敵な考え方だと考えます。
しかしその反面私が危惧していることとしてリーダーとなり、みんなを引っ張っていく子供が減っているような気がします。例えば受験にだけ全力を注ぐべきで勉強の時間が削られるクラス活動には時間を割きたくないだと考えることや思春期になると同調意識が高まり目立つ役目をやりたがらない、面倒なことを避けて通るなど中心にいることを拒むことを子供自身が選択してしまうことがあります。これらの考え方を子供自身が構築するのは思春期の難しい時期であったりしますが、多くは親の考え方が根深く強く影響していると考えています。自分自身を尊ぶということが狭い意味で自己のために動くという考え方になり、他者との関係性から自らを高めていくという意識が欠如しているのもまた気がかりなことでもあります。そう考えるとクラスで分担役割的なクラスの中心にいることは必要かもしれません。
2、子供を十分に観察しありのままを受け入れる
やはり親になるとある程度の社会経験を積んでいるので子供には順調な道を進んでほしいと願い考え、その考えに沿ってその枠にはめて育てようとしてしまうのが親の性です。中にはそうしてはならないと思い悩んでいる方もおられるでしょう。そこで先ず行うべき事は我が子がどのような個性であるのか見極める事です。友達とワイワイすることが好きな子であっても先陣を切るタイプなのか、又はその先人の後ろについていくタイプなのか、静かに過ごしたい大人しいタイプであっても数人の友達と静かに過ごすタイプなのか又はまるっきり一人で過ごしたいのか、あるいは大人しく過ごしたいけれど一人でいることには不安があって友達に声がかけられないのかなどよく観察していると枝葉が分かれるように子供にもさまざまなタイプがある事に気付きます。我が子はどんなタイプなのかな?と気付き受け入れ、子供に過度な負担がかからないように育ててあげることが必要なのではないでしょうか。
3、注目される・評価されるということの意味
クラスの中心にいると良くも悪くも常に見られる立場です。褒められやすいけれども批判もされやすく、時には妬みや僻みなどの負の感情も受けてしまうことも無きにしも非ずです。また期待されることが多くプレッシャーが大きくなることもあります。「中心にいる意味」は必ずしもポジティブなものばかりではなく、子供にとって重荷やストレスになることもあるのです。期待やプレッシャーをどう感じ、どう跳ね返すのか或いは鈍感力でそれらをものともしない逞しい精神を持つことも必要であったりします。先ずそのことを親が認識しておくことも子育てや教育では重要なことだと考えます。そして子供達の中には注目を浴びたくない目立ちたくないという思いを持っている子供もいます。注目を浴びないところで自らの色を出したい子供もいれば、色を出したくないという子供さえいます。思春期を迎えれば更にひっそりと学校生活を送りたい子供もいます。注目されることがどうしても個性で避けたいことであれば無理をさせることは良くありませんが、やはり長い人生一度くらいは自分自身の得意なことで中心にいる、注目を浴びる、評価を受けることがあっても良いと考えます。
4、親の理想を緩め子供を見守る
親は子供を愛おしく思うあまり「こうあってほしい」という思いや願いを強制してしまうことがあります。「みんなと仲良くしてほしい」「クラスをリードしてほしい」「クラスで存在感のある子供であってほしい」も素敵な願いですが、その親の願いや理想を緩めることも必要なことです。親の願いや期待か強すぎると子どもにとっては息苦しさを感じたり期待の重さを感じるかもしれません。何より子供が子供らしく過ごせない、自由に羽ばたけないとなっては子供の幸せを願うこととは真逆のことになってしまいます。先ずは親の理想を緩め子供を見守ることに徹してほしいと考えます。子供が楽しくクラスで過ごせているか、どのようなことをしているのか、お友達との付き合いは順調か、クラスメイトの素敵なところを子供は見つけているだろうか、一人で過ごしている時は何が楽しいのかなど幼稚園や学校での時間をどのように過ごしているか話を聞いてあげる余裕が親側にあればいいと感じます。
私が強く思うことはクラスでのポジションよりも「満足感」や「自己肯定感」をもって子供自身が毎日学校に行けている、楽しそうに過ごしている、帰ってきて笑顔でいる、時に本音で色々なことを話してくれる、愚痴が言えるなどその子らしく安心して過ごせることが1つでもあればそれは十分な社会性だと考えます。
5、親ができる一番のこと
親ができることそれは「どんなポジションにいても大丈夫」と子どもに伝えてあげることです。クラスの輪の中に入っている子供たちはコミュニケーション力があるので比較的安心してみていられるかもしれませんが、大人しくて友達をなかなか作れないタイプの場合は「友達といつも一緒じゃなくてもいい」、消極的な子供の場合は「目立たなくても、あなたはあなただから大丈夫」「困ったことがあったらいつでも話を聞くよ」など声を掛けて今のありのままでいいんだということを伝える必要もあるでしょう。時には後押しが必要になることもあると思うのですがその場合には、子供を十分理解した上で親の理想は傍に置いて、子供が子供らしく生き辛さを抱えずにすむ方法を思案するべきだと思います。そして何よりも子どもにとって『戻れる場所がある』という安心感を伝えるこそがクラスの中での自信に繋がるのです。
6、クラスの「中心」は多様なかたちであるべき
クラスの中心といえばリーダーシップがある、発言力がある、人気者、ムードメーカーというイメージが強いかもしれませんが、このようなタイプの子どもだけがクラスの中心にいるということでは子供達の可能性を大きく伸ばすことはできないと考えています。私が子供の頃はクラスを引っ張っていく子供を先生が指名しクラスが回っており、クラスの委員長を投票で決めるにしても先生の粋のかかった勉強のできる子に決まるというパターンだったのですが、子供が小学4年の頃担任の先生が一人一人をクラスの中心に据えるというお考えで、それぞれの子供の得意な事を活かすようにリーダー役を与えていたことに誰一人取りこぼさない教育は『これだ‼︎』と深い感動を覚えました。面談時に「得意分野がない子供はいないのですか?」と尋ねると「得意なことを全面に出さない子は周りの友達からの情報を入手し、得意なことがわからない子供はよく観察して得意なことを気づかせてあげる」とそしてさらに驚いたのが「誰しも何か優れたことを持っているので見つからないということはなく、見つからない子供が出てきたら自分自身の目が曇っていたり、視点を変える変革の時なんです」語っておられました。不思議と毎年この先生が受け持つクラスの団結や子供同士の繋がりはやる気と優しさと励ましに溢れていると評判でした。
つまり「クラスの中心」は一人ではなく、限られた複数人が存在することでもなく、みんなが主役になるべきでみんなが中心になる機会を与えるということが教育現場では必要なのではないでしょうか。教える側にとって授業の準備もさることながら雑務が多いことなど全ての先生ができることではありませんが、子供達の大・大・大成長を見てきた親としては、このような先生がおられ学校生活を導いてくださることは大変ありがたいことでした。
まとめに入ります。
子供の頃のクラスの中心にいるというポジションは生涯続くものではないことやクラスの中心にいることは決して良いことばかりではないということも記しました。何よりも親は自分自身の持つ理想の子供像を緩めてありのままの我が子を理解し見守るなど親のすべきことを行うことの必要性と保育や学校という場所で子供それぞれがクラスの中心にいる機会を作ることを経験から述べさせてもらいました。最後に親の目の前で展開されていることよりも重要なのが、親の目に触れることができない部分にこそ大事なことがあるということをお伝えしておきます。
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